ロンデルンの夜を前に
さすがに、ニロアナさんの時ほどは驚かなかった。
何と言ってもノダさんは、この首都ロンデルンこそが本来の職場だ。
少なくとも、ニロアナさんと比べて遭遇の可能性は格段に高かったし。
というわけで、久し振りのご挨拶。
さすがに俺たちのキッチンカー営業の事は何も知らなかったノダさん、
色々とたまげていた。と言っても、俺たちのチャレンジ精神を大いに
評価し、そして喜んでもくれた。
開店の際はお世話になっただけに、感慨もひとしおだ。
いいよな、こういう再会も。
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「ところで。」
フラットコーヒーのお代わりを待つ間に、ノダさんがふとその表情を
少し険しくした。
「さっき聞いたんですが、時計塔の事件はご存知ですか?」
「ええ。って言うか、見ました。」
「え?何それ。」
問いに対する反応が、俺とニロアナさんで反対になった。そりゃまあ、
ずっと図書館にいたなら、知らないだろうな。
「時計塔のてっぺんに、女性の遺体が刺さってたって事件です。」
「ええぇ?…マジで?」
「猟奇殺人って表現がピッタリの、実に悪趣味な事件ですよ。」
「ええ…そんなに。」
どうやら、至って簡単な情報だけを仕入れて話題を振っていたらしい。
俺の語る具体的な事件内容に対し、ニロアナさんだけでなくノダさんも
かなりドン引きしている。…無理もないな、同じ街での事件なんだし。
ここへ来る前に、タカネがちょっと語っていた。
彼女が元いた世界でも、ずっと昔に「ロンドン」という街で同じような
猟奇殺人が起ったんだとか。しかも永遠に未解決だったらしい。
確か「切り裂きジャック」だっけ。…どこの世界ででも起こるんだな、
そういう怖い事件ってのは。
と言っても、今日の時計塔の事件はそういう狂人の仕業とかじゃない。
ほぼ確実に、ロナモロス教の内部で行われた「用済み人員の抹殺」だ。
誰かに言う訳にはいかないものの、俺たちだけの確信がある。
まったく、嫌になる話だな。
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「無理ですよ。」
俺たちに対するノダさんの口調は、取り付く島もなかった。
何だかんだでいい時間になってる。もう、今日の営業は終了でいい。
しかしさすがに今から宿を探すのは難しいので、どこかで車中泊を…と
考えていたのである。しかしそれを聞いたノダさんが、即・否定した。
「被害者がたった一人と言っても、猟奇犯罪なのは事実です。しかも、
犯人が捕まっていないんですよ?」
「…確かにそうですね。」
街がそれほど大騒ぎになっていない理由は、まだあの事件の情報が広く
知れ渡っていないからだ。遅くとも明日には騒ぎになるだろう。いや、
既に今日の時点でそこそこ広まっていても不思議じゃない。
でも、俺たちがその犯人に狙われる理由は、現時点では何ひとつ無い。
キッチンカーの営業を始めて以降、関わった事件と言えばピアズリムの
魔者襲撃だけだ。しかもあの事件はウルスケスが独断でやった事だし、
少なくともロナモロス教の関わりはなかったと確信している。
それに、もし何かの理由で狙われる事になっても、オラクモービルには
タカネが一体化している。ハッキリ言って、要塞に立て籠もってるのと
あまり変わらないだろう。だから…
「いえ、安全かどうか…って話ではありませんよ。」
首を横に振ったノダさんが、険しい表情のままゆっくりと説明する。
「事件が起きたのは昨夜。そして、あなた方がロンデルンに来たのは
今朝です。その状況で車の中で宿泊なんかすれば、怪しまれますって。
すぐに潔白を証明できます?」
「…………………………」
なるほど、確かにその通りですね。
ただでさえ怪しい新規事業なのに、この状況で変な事をすれば嫌でも
不審に思われる。俺たちから事実を明らかには出来ない以上、その点は
最悪を想定しておかないと。
「じゃあ、結局どうするの?」
そう言ったのはニロアナさんだ。
「あたしはもう、このままホテルに直行するよ。おっかないからね。
でも、あなたたちは?…もしかして街を出るの?」
「いやその…」
そう言われると、地味に迷うなあ。
街を出る、というのも選択肢としてアリだろう。だけど多分、ローナは
いい顔しない。とりあえず、ネイル捜索の手がかりを求めて来たから。
ニロアナさんが来てから、ローナは面倒を嫌って中座している状況だ。
勝手に方針を決めると、きっと後で揉める。出来ればそれは避けたい。
でも現実的に考えた場合、俺たちが宿を取るのは限りなく難しそうだ。
高いとか空いてないとかではなく、単純に怪しいから。オラクモービル
込みで考えると、必要以上に不審な目で見られる可能性が高い。
どうしたもんだかなあ…
「うちに泊まります?」
「え?」
「は?」
何ですと?
ノダさんは、たまに予想を超える。
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そんなわけで、今夜はノダさん宅に厄介になる事と相成った。これなら
ローナは別に文句言わないだろう。泊まるのは俺とネミルだけだから。
「この車、停められます?」
「ええもちろん。」
いくぶんドヤりながら、ノダさんが実に頼もしい即答をしてくれた。
「お忘れかも知れませんが、あたしこう見えてトーリヌス様の運転手を
務めていたんですよ。駐車スペースなら余裕で確保できます。もちろん
あたしの家の庭にね。」
「おみそれしました。」
俺とネミルは、揃って頭を下げた。いやはや、確かに若干忘れてたな。
この人、あのトーリヌスさんの腹心だった。ありがたく世話になろう。
「じゃあ、お送りします。」
「え?」
「ホテルまで送って、そこから直接ノダさんの家に行く…という流れで
大丈夫ですよね?」
「え、ちょっと」
「ええ。今日はあたしも、落成式に出るだけでしたから。会社には後で
電話を入れますから大丈夫。」
「あの…」
「いいですよねニロアナさん?」
「…まあ、うん。じゃ頼むね。」
ニロアナさんは困り顔だったけど、もう勢いで押し切った。正直な話、
きちんと送って行かないとさすがに不安だったからな。
何はともあれ、今日はここまでだ。
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「真ん前には停車しないで欲しい」と言われたので、ホテルの前を少し
通り過ぎたところでニロアナさんを下ろした。確かに立派なホテルだ。
こんな奇怪な車で乗り付けるのは、さすがに恥ずかしかったって事か。
…まあ、その気持ちは充分分かる。だから気を悪くなんかしないよ。
変な車なのは事実だし。
そこからノダさん宅へ。さほど遠くなかったので、40分ほどで到着。
確かに庭と言うか、駐車スペースが広い。家の大きさは普通だけど。
さすがは、王宮御用達の建築会社の社員宅だ。変に納得してしまった。
「じゃあ、奥の方に停めて下さい。入口はこっち側にありますから。」
「了解です。」
「先に開けてきますね。」
「よろしく。」
そう言ってノダさんが先に降車し、足早に入口の方に向かう。その背を
見送りながら、俺はポツリと小声で言った。
「タカネ。」
『うん?』
「無駄になるとは思うけど、ひとつ頼まれてくれるか。」
『いいよ。どうせ朝まで暇だし。』
「悪いな。」
どうにも気になる。
取り越し苦労ならそれでいいけど、これ以上後れを取るのは避けたい。
何たって、ニロアナさんだからな。
頼むぜ、タカネ。