自由という名の狂気
『父の使いで来ました。』
『お父様?』
くぐもった声が、怪訝そうに問う。
『私の知ってる方かしら?』
『以前に会いに来たと思いますが。憶えてませんか?』
『…………………………』
メイの返答に、相手は少し黙った。
やがて。
『もしかして、エフトポさん?』
『そうです。エフトポ・マイヤールは私の父ですので。』
『ハイハイ思い出しました。珍しくちょっと長話をされましたっけね。
お元気かしら?』
『さあね。』
次の瞬間。
斬!!
右腕から伸びた刃が扉を走り抜け、薄暗い廊下の壁に反射光が躍る。
『ちょっと離れててよ。』
『え?』
『扉を蹴破るからさ。』
ドゴォン!!
言うが早いか炸裂したキックが扉を凹ませ、そのまま内側に倒す。
淀んだ室内の空気が流れ出してくるものの、メイは全く動じなかった。
『あんまりのんびりしてられる時間ないし、さっさと話を進めるよ。』
「せっかちな人ですね。」
動じた様子はないものの、さすがに呆れた声が独房の奥から聞こえる。
「…もしかして、もう外の人たちは死んでるとか?」
『職員は全員斬った。』
「へえぇー、徹底してますね。で、私を迎えに来られたんですか。」
『そう。協力してもらいたくてね。まあ、前に父が言ってたと思うけど
今回はちょっと切実でさ。』
「で、こんな強硬手段に出たと。」
『悪いけど、あたしは父ほどお喋り好きじゃない。だから決めて。』
そう言ったメイの黄色い目が、部屋の隅に座る相手へと向けられる。
黒い椅子に座るその人物の頭には、ヘッドギアが着けられていた。
『協力してくれるなら、その仮面を外してここから連れ出す。だけど、
あたしに天恵を使うのは無しで。』
「協力しなければ?」
『あたしはこのまま帰る。』
「殺さないんですか。」
『やって欲しいなら別にいいけど、そんな気ないでしょ?』
「ええ、確かに。」
そう答えた相手―シャドルチェは、フフッと小さく笑った。
「お父様とは正反対の方ですね。」
『で、どうすんの?』
「もちろん、ここから出して欲しいと思っていますよ。」
『じゃあ協力してくれる?』
「ええ。」
『分かった。』
ゆっくり歩み寄るメイの声が、少し低くなる。
『もう一回言っとくけど、あたしに天恵を使わないでよ。』
「はい。」
『んじゃ、じっとしてて。』
瞬間。
斬!!
縦向きに走った刃が、ヘッドギアの接合部のみを鮮やかに切断した。
一瞬の間を置き、その金属の仮面は左右に分かれガランと床に落ちる。
内側に収められていた茶色の髪が、不揃いに肩にかかった。おそらく、
長期に渡りまともに整髪していないのだろう。
「…ああ、スッキリした。」
そう言ったシャドルチェが、閉じていた両目をゆっくりと開いた。
正面に立つメイをその視界に捉えた直後、驚きの表情を浮かべる。
「ビックリですね。まさか…」
『人間じゃないとは思わなかった、って言いたい?』
「正直に言えば。」
『でしょうね。』
答えたメイが皮肉っぽく笑う。
『ま、そういう事だから。』
「どうもありがとう。だけど…」
『何?』
「私って気まぐれだから。」
キィィン!!
言い終わるより前に、シャドルチェの瞳が紫色の光を放つ。禍々しい
視線が、まっすぐ眼前のメイの目を射抜いた。
「お人形さんはお人形さんらしく、言う事聞いてもらえるかな。その」
斬!!
シャドルチェの言葉は、そこまでで途切れた。
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一瞬の静寂ののち。
「…あああぁぁぁぁぁぁ!!」
狭い独房内に、悲鳴が轟いた。
『うるさいな。出血はしてないから大した事ないっての。』
手を押さえうずくまるシャドルチェにそう言い捨て、メイは足元から
何かを拾い上げる。それは、完全に凍てついた右の中指だった。
ガリッ!!
石のように硬くなったその中指を、メイは事もなげに嚙み砕いた。
氷の破片となった中指が飛び散り、チラチラと光を反射する。
『時間が無いから立って。』
なおも動けないシャドルチェの肩を掴んで無理やりに立たせ、メイは
彼女の顔をグッと覗き込んだ。
『言ってなかったけど、あたしには【洗脳】の天恵は作用しないのよ。
何たってもう死んでる身だから。』
「…………………………ッ!!」
『んじゃ、あと9回聞く。あたしと来る気ある?』
言いながら、メイはシャドルチェの左の中指をそっと叩いた。
あと9回。
その意味するところは明らかだ。
長い数秒後。
「…分かった。言う通りにする。」
『んじゃ行こうか。ロナモロス教の狂った奴らが待ってるよ。たぶん、
仲良くできると思うから。』
「そう。」
そこでシャドルチェは苦悶の表情を消し、口を歪めて笑った。
当たり前の笑みからあまりに遠い、澱んだ醜悪な表情。だかそれでも、
メイは軽く笑みを返すのみだった。
『へえ、いい顔すんじゃん。んじゃ行こう。』
「お互いさまでしょうね。」
そんなやり取りの後、二人は同時に笑い出した。
寒々とした独房内に、歪んだ笑い声が虚ろに響き渡る。
解放の高揚など、どこにもない。
そこにあるのは、狂気だけだった。