イーツバス襲撃
かすかに悲鳴が聞こえた。
何が起きたかを理解する前に、目の前に何かが落ちてきた。
人だ。
外壁の守衛が落とされたのか。
一瞬の間に、それだけの推測が頭を駆け巡った。自分でも不思議なほど
冷静に、落下してくる人影をじっと見ていた。顔なじみの守衛だなと、
落ちるまでの刹那にそこまで考えている自分が信じられなかった。
そして。
俺の目の前に頭から落下した骸は、鈍い音をたてて…
ガッシャアァァァン!
予想は外れた。
無残に潰れて血を撒き散らすのかと思ったその骸は、粉々に砕けた。
まるでガラス細工のように、微細な赤い破片を周囲に撒き散らした。
「な、何だッ!?」
「……氷だ。」
隣で悲鳴を上げた同僚ゼポに、俺は異様なほど冷えた口調で答える。
そう、氷だ。
おそらく、何らかの天恵の力で体を凍らされ、そして落とされたんだ。
見覚えのあったはずのその守衛は、木っ端微塵に砕けてしまった。
凍結。そして殺害。
聞いた事がある。確か去年の話だ。神託師が三人、たて続けに…
ダン!
恐怖が麻痺したかの如き物思いは、そこで中断された。凍結死体に続き
何か落ちてきた。いや、飛び降りてきたと言った方が正しいだろうか。
セポのすぐ背後で立ち上がる、影のような真っ黒なローブの長身。
「……何だおま」
斬!
凄まじい風が、セポの上半身を横に駆け抜けた。言葉は途中で止まる。
相変わらず、俺の心は冷えていた。そんな俺の顔を凝視するセポの顔に
霜が走り、同時に上半身がずるりと斜めにズレる。だが、それもほんの
少しだけだった。
ズレた上半身はそのまま凍りつき、中途半端な断面を晒して止まる。
同時に、数秒前までセポだった骸は仰向けに倒れて転がる。さすがに、
砕けてしまうほどの衝撃はなかったらしい。全ては一瞬だった。
次は俺か。
冷えた頭に、そんな言葉が浮かぶ。覚悟をする間があるだろうかと。
しかし、ローブの影はもうそこにはいなかった。…見逃されたのか?
どこへ行ったのかを見極めるため、体を捻ろうとした刹那。
ガクン。
中途半端に硬くなった体がその動きについていけず、一周回った末に
ゼポと同じように倒れた。同時に、全身をすさまじい激痛が覆う。
ああ、そうか。
やっと分かった。
俺は別に冷静だったわけじゃない。襲われる覚悟なんかもなかった。
冷静でも何でもない。
ゼポが死ぬと同時に、俺も斬られて凍らされていたんだ。あまりに速い
一撃だったから、気づけなかった。
…………………………
情けない話だ。
こんな形で死ぬ事になるとは。
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後日。
収監されていた囚人たちは、揃ってその時の冷たい恐怖を語った。
何か黒い影が、扉の向こうの廊下を駆け抜けるのを覗き窓から見た。
その直後、窓は真っ白に凍りついてひび割れた。自分たちの髪も服も、
尖った霜がまといついて固まった。ほんの数秒だけ、息が白くなった。
途方もなく冷たい何かが、音もなく廊下を駆け抜けていったのだと。
その日。
イーツバス刑務所の職員は死んだ。
ひとり残らず斬られ、凍らされて。
略奪はなかった。
刑務所の解放も起こらなかった。
囚人たちは収監されたまま、刹那の恐怖に慄いただけだった。
ただ一人を除いて。
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『さあて、と。』
突き当たりの部屋の前まで到達した黒い影が、そこで言葉を漏らす。
『ちょっとお話しましょうか。』
フードから顔を晒した影―メイが、酷薄な笑みを浮かべて言い放つ。
同時に周囲に霜が広がり、扉の横にはめ込まれたプレートを凍らせる。
刻まれた文字が少しずつ白くなり、やがて読めなくなった。
【シャドルチェ・ロク・バスロ】
『どなた?』
くぐもった声が、鈍重な扉の向こうからかすかに響く。
危険な者同士を隔てる金属の扉は、悲しいまでに心許なかった。