もうひとつの手がかり
「あ~~、やっぱり熱々はいいね。いかにもコーヒーって感じで。」
午前のお客が一段落し、ほんの少し弛緩した空気の店内。
そんな声を上げたのは、いつもの席に座るローナさんだった。
…あたしが言うと変な感じだけど、やっぱりこういうのは不思議だ。
リアルタイムで南下しているはずの人物が、何事もなかったかのように
席に着いてコーヒーを飲んでると。
まあ、深く考えるまでもなくこれはこのお店のスタンダードだ。
ローナさんは世界中どこでも自由に転移できるし、タカネさんは彼女の
ノートパソコンに入れば一緒に移動できる。モリエナは誰か一人と共に
行った事のある場所に転移できる。
そしてあたしは、エイランの著書がある場所ならどこにでも行ける。
己の事だとピンと来ないんだけど、人がやるのを見ると本当に不思議。
転移って、面白い力だ。
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「手伝わなくていいんですか?」
「今日はほぼ移動日だから、営業をするとしても夕方よ。それまでは、
自由時間って事でね。」
ランドレの問いに答えたローナさんは、意味ありげに笑って続ける。
「あんまりあたしがベッタリだと、新婚夫婦のお邪魔になるからね。」
「ええー…」
ランドレもモリエナも、その言葉に困惑気味。ペイズドさんは苦笑。
さすがにもう新婚って感じじゃない気がするけど、確かにそんな時間も
大切なのかな…って、タカネさんの存在を忘れてませんか?
ま、いいや。
「それで、今日の目的地は?」
「クーランゼって言ってたっけな。まあ、特に目的は無いんだけど。」
「でも、少なくとも二日くらい滞在する予定なんですよね?」
「そう。そこを超えちゃうと、後はロンデルンまで大きな街がない。」
「で、車中泊するしかないと。」
「まあ、大きくなくていいなら街もあるんだけどさ。ちょっとね。」
何故か少し言葉を濁すローナさん。何だろ、この人らしくないなあ。
「クーランゼと他の街って、具体的に何が違うんですか?」
「うん?食い下がるねポーニー。」
「ちょっと興味がありまして。」
「あーうん、そうだろうねえ。」
正直に言ったら、何となく苦笑いを浮かべられた。何かまずい事でも?
「まあ、単純な話よ。」
「何ですか?」
「クーランゼになら、ちゃんとしたホテルがあるってだけ。」
「ホテル?…泊まるんですか?」
「そう。」
「何でまた。お金かかるのに…」
「たまにはベッドで寝たいのよ。」
「それだけですか。」
「で、二人っきりになれるでしょ?さすがにタカネもいないし。」
「…………………………?」
「察しなさいって事よ。」
…………………………
あ。
そうか。
理解しました。
ああ恥ずかしい。
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「でも、ロンデルンに当てがあるという訳じゃないんですよね。」
「まあね。」
ペイズドさんの問いに答えるローナさんは、小さく肩をすくめた。
今日はフレド君を預かる日じゃないから、そんな話も遠慮なくできる。
本人も理解はしてるけど、やっぱりそこそこ気を遣うからね。
「どっちみち外国まで行くんなら、少しでも情報収集しておきたいって
だけの話よ。具体的に何をするかは行ってから決める。」
「まあ、そんなもんですよね…。」
答えつつも、あたしには頭に浮かぶ当てがあった。もちろん、騎士隊の
シュリオさんとリマスさんだ。あの二人ならある程度色々話してるし、
上手くすれば何かしらの情報を提供してくれるかも知れない。
…とは言え、こっちに隠し事があるのもまた事実。それを無い事にして
情報だけくださいってのも無茶だ。いくら何でも門前払いだろう。
こちらの目的があまりに特殊であるせいで、気安く人を頼れない。
この辺りはトランさんたちも、頭を悩ませているところなんだろうな。
「もう少し、手がかりみたいなのがあればよかったんですけど。」
スプーンを1本1本ていねいに磨きながら、モリエナがそう言った。
「あたしが思いつく事は、そのままネイルの警戒する事ですから…。」
「いいのいいの、気にしないで。」
不本意そうな顔のモリエナに対し、ローナさんは笑って手を振る。
「あなたはあなたなりの形で情報をくれたし、それなりにロナモロスの
解像度も上がってるよ。だったら、後はあたしたちが何とかする。」
「…すみません。」
「あなたにはあなたの役割がある。それを果たしてくれればいい。」
「はい!」
元気な返事だね。
確かにモリエナの背負うものは重いけど、うつむいても仕方がない。
ここはトランさんたちを信じるべきところだろう。あたしたちはただ、
お店とフレド君を守ればいい。
午後もいいお天気になりそうだ。
気合い入れて働こう。
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ゴメンね呼び出して。
あんまり、ランドレたちには詳しく聞かせられないからさ。
いえいえ。
それで、何でしょうか?
あれから、具合はどう?
おかげさまで、すっかり楽になっています。
感覚的には、もう完治したのではと思うくらいですが。
なるほどね。
そのへん、どうよタカネ。
病状の話?
言ってもいいの?
ええ。
いいわよねペイズドさん?
え?
はい、もちろん。自分の事ですし。
分かった。
じゃあ変に隠さずに言うよ。
で、症状はどんな感じ?
悪いよ。
意図的なんじゃないかと思うほど、悪化の一途を辿ってる。
え?
私の心臓が…ですか?
そう。
心機能補助はあたしがやってるし、細胞の保全もずっと続けてるけど。
病気の進行そのものは前からずっと続いてて、重篤になりつつある。
ええ…
つまり私は、もう長くないと?
だからランドレに聞かせないよう…
いや、そういう訳じゃないのよ。
さっきも言ったけど、あたしが体の内部から心機能補助を維持してる。
変な言い方になるけど、このままでいいなら寿命を迎えるまでくらいは
耐えられる。ずっとあたしが補助を続ける限りね。
…そ、そうなんですか。
もしこれが肝臓とか腎臓だったら、簡単に行かなかったかも知れない。
でも心臓はあたしの最も得意とする臓器だから、そこは安心していい。
極端な話、今このまま心停止しても大丈夫だって事よ。
…何とも不条理な状況なんですね。私の想像をはるかに超えています。
貴重な体験をしていると言うべきでしょうか。
確かにね。
【病呪】の対象にされながら、今も生きてるって事が既に不条理よ。
それだけタカネがチートだって事。
さてと。
もう訊いちゃうけど、本来の病死に至るまであとどのくらいだと思う?
そうね。
長くてあと一週間ってところかな。
分かった。
何が分かったんですか?
つまり、本来ならあと一週間で私が病死してたって事ですよね。
そう。
それは同時に、かなり特殊な状況を創り出すって事。
特殊な状況…?
とりあえず、あたしも備えるから。
あなたたちはいつも通り、店の営業をしてくれればいいよ。
分かりました。
あえて詳しくは訊きません。
信じてお任せする事にします。
そうそう。任せなさい。
この恵神ローナにね。