不穏な客人
窓の外に仰ぐ空は、どんよりと厚い雲に覆われていた。
「…もうじき見納めだというのに、嫌な空ねえ。」
薄暗い部屋の中で、ローブ姿の女性がそんな言葉をつぶやく。
もちろん誰ひとり聞く者はいない。寒々とした陰気な空間だった。
雑多な物が詰み上がっている中に、不自然なほど物のない空間がある。
どうやら、その場所にあった物だけ集中的に片づけたらしかった。
「さて、と。」
窓から室内に視線を戻した女性が、そう言って腰を上げかけた刹那。
チリリン!
来客を告げるベルが鳴り、さらには扉をノックする音が小さく響いた。
一瞬動きを止めた女性は、そのままゆっくりと入口に向かった。
「どなた?」
『突然すみません。ちょっとお願いがありまして。』
「何でしょうか。」
『天恵宣告です。』
「…………………………」
外はますます暗くなってきていた。
================================
しばしの沈黙ののち。
ガチャ。
錆びた音と共に、入口の扉がほんの少しだけ開かれた。
そっと外を窺う女性の視線が、扉のすぐ前に立つ男性を捉える。
見た事のない、人の良さそうな人物だった。
「本当に突然すみません。こちら、神託師の方のお住まいと聞いて。」
「ええ…まあ。」
「お忙しいかも知れませんが、是非お願いしたいんです。」
「それはちょっと…」
「話だけでも聞いて頂けませんか?…お時間は取らせませんので。」
「…………………………」
口調は控え目だが、何か差し迫った事情を感じさせる話しぶりだった。
再び沈黙を挟んだのち、女性は扉をゆっくりと開ける。
「…分かりました。とりあえず中へどうぞ。ご期待には沿えませんが、
それはご容赦のほどを。」
「すみません、お邪魔します。」
「期待に沿えない」という前置きが聞こえなかったのか、男性は丁寧に
礼を述べてそのまま家に入る。その様子に、女性はため息をついた。
「散らかっていてすみません。」
「いえいえ。…お引越しですか?」
「いえ。ちょっと長期の旅行をする予定なんですよ。」
「旅行ですか。」
頷いた男性は、示された古い椅子に腰を下ろす。
「大変な時にすみません本当に。」
「それは別に。…ですけど、先程も言った通りご期待には沿えません。
どうぞご理解下さい。」
「…と仰いますと?いえ、お金ならきちんと持ってきましたから。」
「いえ、そうじゃないんです。」
首を振った女性は、やや大きな皮の椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「…お恥ずかしい限りなんですが、私は世襲で神託師を継いだだけ。
実際に天恵の宣告をする事は、残念ながら無理なんです。世間的には、
名ばかり神託師などと呼ばれている存在ですよ。」
「名ばかり…ですか。」
「ええ。不名誉な呼び方ではあるのですが、仕方ないかなとね。」
「そうなんですか…残念です。」
「申し訳ありませんね、本当に。」
「いえいえ。」
小さく笑って頷いた男性は、やがてゆっくりと椅子から立ち上がった。
しかし入口の方へは向かわず、隣の部屋の方へと歩いて行く。
「あの、もし?」
「こちらはあなたのお部屋ですか?…ずいぶん寂しいですね。」
「いえ、娘のですよ。」
「ああ娘さん。なるほど。」
「それが何か?」
ずけずけと踏み込む男性の態度に、女性は苛立ちを隠さなかった。
「ご期待に沿えず申し訳ない。が、もういいでしょう。天恵宣告なら、
他の神託師をあたって下さい。この国にはまだ何人もいますから。」
「ええ、そのつもりです。」
「だったら…」
「それにしても、ずいぶんと豪胆な人ですねあなたは。」
「…は?」
相手の言葉の意味を図りかねた女性は、露骨に眉をひそめた。
「何の事です?」
「ご存じありませんか?去年の事件です。あなたと同じような神託師が
たて続けに三人殺されました。皆、あなたと同じ名ばかりでした。」
「…それなら聞きましたよ。でも、三人だけだったんでしょう?」
「確かにそうです。その後、凶行が行われた事実はありません。」
「だったら別に」
「なぜ三人だけと分かったんです?それは結果論でしかないのに。」
「…………………………」
黙り込んだ女性に、男性はゆっくり向き直る。その手には、本棚の上に
飾られていたらしい、古びた人形が握られていた。
「警察に保護を願い出た神託師は、ざっと数えても十人を超えました。
その中に、あなたの名はなかった。何故です?」
外は、雨になりそうな曇天だった。
================================
やや長い沈黙ののち。
「…さあ、どうしてでしょうね。」
肩をすくめた女性が、そう言いつつ「娘の部屋」に視線を向けた。
「怖かったのは事実です。だけど、助けを求める気にはならなかった。
その資格があるのかと思ってね。」
「資格?」
「名ばかりの神託師など、ローナ様に対する冒涜の権化でしかない。
その事への罰なら、甘んじて受ける選択もあるかと思ったんですよ。」
「殺されても仕方ない、と?」
「そう思ったのかも知れません。」
「なるほど…冒涜ですか。」
「勝手な言い草ですけどね。」
そこで女性は、フッと笑った。
「娘が私を見限った事で、生きる事に意味を見いだせなかった頃です。
あるいは死を望んでいたのかも。」
「そうだったんですか。」
「娘にも軽蔑されてましたからね。名ばかりの神託師として。」
「…理不尽な話ですねえ。」
「こんな時代ですからね。神託師の存在なんて、意味もありません。」
「そうでしょうか。」
「…………………………?」
「本当に今の時代、神託師の存在はそこまで無意味でしょうか?」
意外なほど強い口調でそう言い放つ男性は、人形をそっと棚に戻した。
「少なくとも私はそうは思わない。神託師も天恵も、世界の一部です。
たとえ時代がどうあろうとね。」
「…そう言ってもらえると、少しは救いになりますよ。」
「すみません、一方的な話をして。…そろそろ失礼します。」
「お役に立てず申し訳ありません。訪ねてくれてありがとう。」
女性の言葉に頷き、男性はそのまま入口へと向かった。扉が再び開かれ
外の空気がわずかに流れ込む。
「それでは。」
「お気をつけて。」
外に足を踏み出した男性が、そこでふと足を止めた。
「あ、それと。」
「何でしょう?」
「娘さんの事なんですが。」
「…娘が何か?」
クルリと振り返り、男性は言った。
「出ていかれたのは、もっと最近の事ですよね?」
「は?何を言っ
ドン!!
最後まで言う事は出来なかった。
衝撃が体を貫き、女性は体を曲げてそのまま崩れ落ちた。
見下ろす男性の背後の敷石に、黒い点がいくつも落ちて模様を描く。
ついに雨が降り出していた。