魔王のご帰還
まさかこんな事になるなんて。
お爺ちゃんが急に亡くなってから、それこそ数え切れないほど繰り返し
心に浮かんだ言葉だ。正直言って、もういい加減飽きてきている。
だけど、あたしたちの日常はいつもそんな事の連続だ。本当にいつも、
まさかと思いながら暮らしている。よく正気を保てているもんだなと、
自分に呆れる事もしばしばだ。
今日だって、まさにそういう事態。
さあ張り切ってお仕事と思っていた矢先、怪物が群れなして襲来した。
楽しいはずの文化祭会場が、悲鳴の響き渡る空間と化してしまった。
そしてトランは行方不明。
何だかなあ。
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たぶん心配ないというローナの言葉には、説得力なんてまるでない。
いい加減な事を言わないでと文句も言いたいところだけど、言わない。
相手が恵神だからじゃない。ただ、あたしもそう思うからってだけだ。
トランなら、きっとこの程度の事はどうにか切り抜けるだろう。
そういう確信があるからこそ、今はじっと耐えるという選択が出来る。
見捨てるわけじゃない。ただ単に、信じているってだけの話。
この怪物に対して、トランの天恵がどれほど優位性を持っているのかは
知らない。神託師のくせに知らないのかと言われそうだけど、そんなの
あたしに分かるわけがない。いくら神託師とは言っても、そんな事まで
見通す事は出来ない。それがあたしという人間の限界だ。あたしはただ
トランを信じる事しか出来ない。
そうやって、どのくらいの時間このオラクモービルにいたのだろうか。
何にも出来ないから長かったように思うけど、実際はほんの十数分だ。
この不条理な膠着状態にもようやく慣れ、そして飽き飽きしている。
トランはどこにいるんだよ。
何とかできると言っても、だったらどうやって戻ってくるんだよ。
怖いというよりも、あたしは状況にイライラしていた。そんな中で、
思いがけず店のポーニーから連絡が来た。…いや、一体どうしてよ?
状況を見る限り、店側の人間がこの事態に関わるなんて展開は…
『どうやらトランさん、マルコシム聖教の教皇女と一緒みたいです。』
は?
教皇女って、確かポーニーの名前を騙ってたという人?
それが何でピアズリムの文化祭に?
『とにかく、彼女が持っている本を借りて連絡してこられたんですよ。
こっちはこっちで連携しますので、とりあえず連絡を入れました。』
「そっちはそっちでって、何をするつもりなの?」
『モリエナを向かわせます。』
「え!?」
さすがにあたしだけじゃなく、傍で聞いていたローナも目を丸くした。
『へえー、なるほど。』
対照的にタカネさんは納得声。いや今の話で何を察したの!?
とは言え、トランの方は一刻を争う事態らしい。あれこれ細かく訊ける
時間なんかない。ならもう、勢いで押し切ってもらうしかない。
…正直、今のこの状況でのあたしはかなり無力だ。出来る事がない。
ならせめてトランたちを信じ、皆の無事を祈るばかりである。
お願い。
無事で戻って来て。
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ポーニーからの連絡が来るまでは、時間経過の実感がまるでなかった。
しかし具体的な連絡を取って以降、かなりじれったい感じになった。
モリエナはどうなったの?
分体のタカネさんはどうなったの?
トランはどうするつもりなの?
次々に湧き出る不安と疑問の数々を無理やり押し込め、とにかく待つ。
情けない話だけど、今のあたしにはそれしか出来ないんだ。とにかく、
分断されてしまったトランたちが、ここに戻ってくるのを待つだけ。
まさかこんな事になるなんて。
もういい加減、こういうトラブルは勘弁して欲しいとも思うんだけど。
神託師として生きてる以上、それはちょっと無理だろうなとも思う。
そういった難事も含めて、あたしとトランは共に生きているんだから。
まさかの事態だろうが何だろうが、乗り越えて行くしかないって話よ。
実際、あたしは別に取り乱したりもしていない。我ながら麻痺し過ぎと
思うけど、別にそれがダメだという感覚も抱かない。
魔王の妻なら、このくらいはね。
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永い永い、さらに十数分ののち。
「あ、来た。」
窓を窺っていたローナが、ポツリとそんな言葉を発した。パッと視線を
向けると、確かにこっちに向かって歩いてくる一団がいる。…人数は、
ざっと40人弱といったところか。訊いてたよりもだいぶ多いかも。
おそらく、その進軍を見た他の人が一緒について来たって事だろうな。
混乱状態だからこそ、迷いない行動を取る者は頼もしく見える。
『魔王のご帰還ね。』
どことなく、嬉しそうな口調で言うタカネさん。気楽だなあホントに。
だけどあたしとしても、その姿にはちょっとだけ見惚れるよ。
大勢を引き連れ、怪物を寄せ付けず悠々と歩いてくるその姿には。
不謹慎かも知れないけれど、それでこそ我が夫だよ。
さて。
今回のこの騒ぎは多分、ウルスケスの天恵によるものだろうって事だ。
誰にも確信なんかないし、そもそも何が目的なんだよって話だけれど。
どっちにせよ、今は原因究明よりももっと急を要する問題があるよね。
ようやくみんな合流できたんだ。
バカ騒ぎ、とっとと終わらせよう!