迷いなき突破
何度経験しても不思議だ。
相変わらず残る違和感と痛みとが、まるで嘘のように消えるこの感覚。
失ったはずの右手が、当然のように動かせているこの現実。
タカネさんもナノテクノロジーも、あたしには到底理解できない。
この世界の常識では測れないのは、記憶の片鱗を得た事で確信した。
理解なんて、そもそも最初から無理に決まってるんだから。
あたしに出来るのは、信じるという事だけだ。
================================
ピアズリム学園。
来た回数はそれほど多くないけど、ほんの少し憧れを抱いていたっけ。
こんな普通の学校で、普通の勉強をしてみたかったと。
最初から叶わない願いだ。
ロナモロス教と懇意の神託師の娘。そんな出自の人間に、ごく普通の
学校生活なんてはるかに遠かった。それが当たり前だとも思っていた。
コトランポ・マッケナーがこの学園を去ったと聞いて、ホッとした。
「もう行かなくていいんだ」という安堵に、甘えている自分がいた。
ウルスケス・ヘイリーが学校を退学した時も、何も考えまいとした。
誰とどこへ行こうとも、もう二度と行きたくないと思うばかりだった。
共転移という己の天恵を、あたしは何度となく憎んだ。
「行きたい場所に一瞬で転移できるなんて、うらやましい!」
何度そう言われ、愛想笑いで適当にごまかしてきただろうか。
言われるたびに、あたしは心の中で叫んでいた。
行きたいところなんて、あたしにはひとつも無いんだと。
あたしが自由に行ける場所なんて、この世界にはどこにも無いんだと。
だからこそ今。
あたしはあたしの意志で、この学校に戻って来た。
ここに来たいと、本気で思って。
あたしにしか出来ない事を、タカネさんと一緒にやり遂げるために。
================================
『とにかく立ち止まらず走って。』
「お任せしていいんですね?」
『進路の確保くらい、今のあたしのスペックでも十分よ。』
「了解です!!」
両足に力を込め、北側の通用口へと一気に駆ける。目指す建物はそこを
出てすぐ左だ。渡り廊下があるから迷わない。とにかく一気に行く!
外に出た途端、眩しい陽光にほんの少し目を細めた。
と同時に、進行方向右手に黒い剛毛を生やした魔物の姿を視認する。
通用口から飛び出してきたあたしに気付き、飛び掛かろうと身を沈めた
その刹那。
『竜刃平線!』
号令と同時に、魔物の目の前に細い細い光が蒼く走ったのが見えた。
気付かなかったらしい魔物が、その線に飛び込むように躍りかかる。
斬!
予想通りだった。
大きく開けた口から背後に線が通過すると共に、魔物の体もきれいに
切断される。斜めに飛び込んだ事により、口から首、背中までが完全に
泣き別れになっていた。
赤黒い血が飛び散るのを、辛うじて視界の隅で捕捉する。止まらず走る
あたしには、その瞬殺は駆け抜けた背後で起こった事に過ぎなかった。
悪いけど、急ぐんで。
================================
渡り廊下は、ある種の聖域だった。
恐らくタカネさん的にも、ここさえ確保すればいいという領域として
非常に分かりやすかったのだろう。上下左右、とにかくあたしの前の
数歩を踏み出す空間が維持される。襲い来る魔物が、死ぬか機動力を
封じられるかで背後へと飛び去る。いちいち省みず、あたしはただ前を
見据えて走るだけだ。
感覚的には長く感じたけど、実際はほんの1分弱だったらしい。
粘っこい糸で足を絡め取られた魔物を抜き去り、あたしは渡り廊下を
走破して第二講堂の裏口に至った。
後は皆さんの連携を信じるのみ!
立ち止まらず、さらに加速をかけて裏口の金属扉に全速力で突進する。
激突の直前。
バン!
まるで狙い済ましたかのように、扉が内側に勢いよく開いた。…いや、
「ような」じゃなくて本当に狙っていたんだろうな。
バン!
ガチャン!!
あたしが駆け込むと同時に、背後の扉が再び閉められ更に施錠される。
そこでようやく急停止。今になって急に、思いっ切り息切れしてきた。
「よくやってくれた!」
ハッと視線を向ければ、扉を閉めた男性―トランさんがあたしの顔を
まっすぐ見てニッと笑った。それにつられ、あたしも小さく笑った。
会心の笑みってこれの事だ。何とか呼吸を整え、はっきりと答える。
「お待たせしました。」
「頼むぜ。」
「はい!」
まさに息つく間もなく、案内されて講堂へと向かう。あの魔物がここを
襲わないのはトランさんの【魔王】の効果らしい。正直信じられない。
まさかこんな事も出来るとは…
ほんの二秒ほどで廊下が終わると、一気に天井が高くなる。入った事は
一度もなかったけど、ここが講堂だという事は考えなくても分かった。
「怪我人は!?」
「あっちだ。急いでくれ!」
広い講堂の片隅に人だかり。確かに一箇所に集まっている方が安全だ。
トランさんと共に駆け寄ると、周りの人たちがパッと道を開けた。
刹那。
「!?」
寝かされた怪我人の斜め向こうに、あたしは知っている顔を見つけた。
思わず足が止まり、そしてかすれる声を抑えられなかった。
「……………ミズレリ…!」
「え?」
瞠目したあたしに、目の前の女性は怪訝そうな表情を浮かべる。
だけどあたしは、あふれそうになる言葉も涙も力づくでせき止めた。
違うよ。
ミズレリ・テートは死んだんだよ。
あたしの目の前で、偽りの姿のまま死んだんだよ。
あの死に顔を見たからこそ。
あたしはあたしである事を捨てた。それは揺るがない事実だ。
目の前の女性はミズレリじゃない。彼女が姿を借りた人物に違いない。
そうだ。
マルコシム聖教の教皇女ポロニヤ。
彼女に間違いない。
================================
「あの、何か?」
「何でもありません。」
遠慮がちな問いかけに即答する。
「それより怪我人を!」
「あ、はい!」
些細なやり取りなど、周りの人には殆ど聞き取れなかったのだろう。
いや、それでいい。それがいい。
彼女が誰かなんて、今のこの場では本当にどうでもいい事のはずだ。
あたしは
あたしのやるべき事をやるだけだ!