手繰る糸の紡ぎ手
ローナは、入れ込んだ人間に関して苦労や手間を惜しまない。つまり、
俺たちには。本人は「えこひいき」だと笑いながら言ってたっけな。
そして、それ以外の人間に対しては
限りなく平等で、そして寛大だ。
今回の騒動は、おそらくウルスケスが起こしたものだろう。
それに対してローナが何と言うか、今ならおおよその想像がつく。
「まあ、そんな使い方もあるよ。」
この程度だろう。
俺たちが危ない目に遭うとか何人が負傷したとか死んだとか、そういう
結果についてはあれこれ言わない。ひとつの出来事として流すだけだ。
以前の俺なら、そんな態度に憤りを覚えていたかも知れない。だけど、
今ならただこう思うだけだ。
「ああ、恵神らしい考えだな」と。
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ローナは、満15歳を迎えた全ての人間に等しく「天恵」を授ける。
特定個人を選んだ上で特定の天恵を授ける…なんて事は不可能らしい。
そもそも神としてのローナに、人を個人として認識できる感覚はない。
そんな己に飽きたからこそ彼女は、人間としての肉体を得て現出した。
現出したからこそ、彼女はいわゆる「えこひいき」をする相手を得た。
それが俺でありネミルであり、最近の例で言えばドルナさんとかだ。
「神がえこひいきって何だ!」とか言われそうだが、彼女のひいきなど
些細なものだ。神の力で厚遇とか、そんなのはほとんど無いに等しい。
どっちかと言うと、変な苦労ばかり積み増されている気さえする。
…いかん、少し虚しくなってきた。
ともあれ、基本的にローナはさほど世界に影響をもたらさない。いや、
そういう事ができない非力な体を、あえて選んだと言うべきだろうか。
そして、俺たち以外の「天恵持ち」がやる事にも原則的に不介入だ。
それがどんな結果になろうと、己がもたらす天恵がこの世界の摂理だと
認識しているからこそ、あれこれと細かい事は言わない。
ゲイズ・マイヤールをタカネと共に殺しに出向いたのは、ごく個人的な
思い入れがあったからだ。要するにゲイズは恵神を怒らせ、嫌われた。
その程度の話だ。今さら俺たちが、とやかく考えるような話じゃない。
そしてローナは、俺たちが分不相応な難事に手を出すのを好まない。
自分たちの生活や人生を犠牲にしてまで、底なしの善行に染まるなと。
彼女の言葉を借りるなら「神さまの真似事をするな」ってところか。
神に言われると説得力が違う。まあ言われた時はかなり反発したけど、
今では俺たちも彼女の引いた一線は理解しているつもりだ。
理解しているからこそ。
自分のやろうとしている事が、その一線のどちらかは自分で決める。
そう。
誰に何と言われようと俺は。
ここにいる人たちを救いたいという選択を、分不相応とは思わない。
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現状の検証はもういい。と言うか、ネガティブな気持ちが増すだけだ。
ここからは考え方を変える。
今の自分に何が出来るかではなく、今の最善は何かを本気で想定する。
とにかく緊急を要するのは、6人の怪我人をどうにかするって事だ。
気休めの応急手当は済んだらしい。なら、早く病院へ搬送しないと。
そのための最善とは何だ。
とにかく魔者の包囲を突破し、このピアズリム学園を脱出し、そこから
最寄りの病院へ運ぶ。おそらくこの街にも、病院くらいはあるだろう。
どうにかしてオラクモービルまで、この6人を運んで載せて…
ダメだ。
オラクモービルに6人を乗せようと思ったら、最低でも座るのが前提。
横たえた状態でそんな人数を載せるのは、容積的に絶対に不可能だ。
全幅を勘違いしていた人間が言えた義理じゃないけど、確信がある。
おそらく、3人までが限界だろう。はっきり言って無理があり過ぎる。
それ以前にどうやって連れて行く?
この案は最善には程遠い。
物理的にも時間的にも、あまりにも成功の確率が低い。
もういい。
最善の策など、少し考えれば容易に思いつくじゃないか。
いい加減、現実逃避はやめろ俺。
彼らを救える方法は、ひとつだけ。
モリエナの【共転移】だ。
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怪我人6人を助ける。
その目的は、モリエナが来ればほぼ達成できる。
これなら近場と言わず、もっと話を通しやすい病院にも運べるだろう。
それも時間をかけずに。
問題は二つだけだ。
どうやってそれを本人に伝えるか。
そしてどうやってここまで来るか。
シンプルかつ、困難な問題である。
本人でなくとも、まずタカネにでも連絡を取る事さえ出来れば…!
「あれ?」
刹那。
怪我人の様子を見に行ったらしい、ロナンが怪訝そうな声を上げた。
目を向ければ、応急処置を手伝っていた女性と、その同伴者の男性の
二人と向き合っている。どうした?
「何であたしの服着てるの?」
「え?」
何だ、どうした本当に。今この場で変な諍いを起こさないでくれよ。
あわてて歩み寄る間にも、ロナンは詰問口調で二人に問いかけている。
「そっちは兄の服ですよね?」
「え…いやその…」
「どうしたんだよロナン。」
兄の服?
つまりシュリオさんの服って事か?ただの勘違いじゃ…
「ホラその胸元。シュリオっていう刺繡が入ってるでしょ?」
「…………………………」
確かに入っている。しかもこの服、けっこう上等な仕立てだな。
一瞬この現状を忘れた俺は、傍らの女性の服に目を移した。そっちは…
「ねえ、どうしてそんなものを?」
「いえあの…お借りしただけで…」
「借りたって誰によ。」
「お世話になっている人に…」
言い合う二人のそんな声は、俺にはほとんど聞こえていなかった。
俺が凝視していたのは、女性がその手に持っている小さな本だった。
学校の文化祭に持参するには、どう考えても不釣り合いな代物。
目の前の女性の年齢から考えても、やっぱり不釣り合いな代物。
そして今の俺にとっては、まさしく喉から手が出るほど欲しい代物。
「三つ編みのホージー・ポーニー」の文庫本だった。