魔者の襲撃
ルトガー爺ちゃんの死をきっかけとして、俺はネミルと一緒になった。
神託師と共に生きていくというのは選択ではなく、後からついて来た
ネミルの追加ステータスだ。でも、別にそれで躊躇などもしなかった。
共に生きていくという事実こそが、俺たちの全てだったから。
当然のように、俺はネミルにとって初めての天恵の宣告相手となった。
その結果は知っての通りだ。まあ、当時は悪い冗談くらいに考えたな。
どういう力なのかを悟ってからは、それなりに活用もしてきたと思う。
だけど最近、特に思う事がある。
いや、最近になったからこそ思える事…と言った方が正しいだろうな。
覚醒した人は等しく、いずれ天恵と一体になる。
その古臭い言葉の意味が、理屈ではなく感覚で掴めてきたって事だ。
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異形の怪物が、前触れもなく何匹も出現していた。そこにいた人たちは
反応する間もなく、爪や牙の餌食になった。傷の深さなどは、さすがに
遠目には全く判らなかった。
しかし俺は、悲鳴と怒号が飛び交う中で妙に冷静だった。傍らの二人に
両袖を掴まれながら、襲撃してきた怪物を【魔王】の瞳で捉えていた。
何なのかは判らない。しかし多分、ウルスケスの「魔核」を移植された
何かの成れの果てだ。いや恐らく、移植されたのは人間なんだろう。
そう思えるシルエットとおぞましさの中に、確かに感じ取っていた。
あれは「魔」の気配だ。ずっと前、ローナが言っていた概念のものだ。
するとこの怪物たちは魔者、とでも形容すべきなんだろうか。
いずれにせよ。
それが俺が思う通りの代物ならば、できる事はあるはずだ。
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悠長に考えている暇はない。いや、むしろ直感と反射神経が勝負だ。
近くまで来た一匹が、明らかに俺に狙いを定めた瞬間。
ギィン!!
「止まれ!」
【魔王】の天恵を発動させ、意識を目の前の魔者に集中する。
予想した通り、まさに飛び掛かろうとしたそいつはガクンと停止した。
「えっ!」
「止まった!?」
俺の袖を離したロナンとドルナさんが、そんな声を同時に上げる。
しかし俺には、二人に視線を向けるだけの余裕がなかった。なぜなら、
魔者が一匹だけじゃないからだ。
そして感覚で分かる。残酷なほどに鮮明に分かってしまう。これもまた
習熟の結果なんだろうけど、いっそ分からない方が気が楽だった。
そう、分かってしまう。
俺の【魔王】の力は、どうやっても一匹にしか作用しないという事が。
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悠長に考える時間など1秒もない。動きを止めた一匹のすぐ後ろから、
別の個体がすごい勢いで駆け寄って来ている。
どうする。
意識をあっちに移したら、その瞬間目の前の個体への支配が解ける。
両方同時が無理だというのは、理屈ではなく感覚で確信できてしまう。
俺の両脇にいる二人が、ほぼ同時に息を呑むのがかすかに聞こえた。
どうする。
俺は…
「後ろから来る奴を殺せ!」
ドガッ!!
二匹目が、一匹目の脇をすりぬけて迫ろうとした瞬間。
俺のその言葉を耳にした一匹目が、弾かれたように右腕を振り抜いた。
横を通過しつつあった二匹目の頭に爪を突き立て、そのまま押し倒す。
凄まじい膂力により二匹目の頭蓋が砕け、パッと赤黒い鮮血が散った。
「………………!!」
息を呑むドルナさんの顔がチラッと見えたけど、説明とかは全部後だ。
とにかく。
これが行けるなら、まだ道はある!
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とにかく今、考えるのは最小限だ。
ざっと周囲を見回し、次に取るべき一手を素早く探る。
よし!
「あいつを殺せ!!」
こちらに向き直った一匹目に、少し離れた場所で学生数人を襲っている
別の個体を指し示す。三度目の指示に忠実に反応した一匹目は、大きく
跳躍して指定した三匹目を迷いなく組み敷いていた。
「早くこっちへ!」
狙われる対象から外れた学生たちにそう呼び掛けて、俺はパッと背後に
視線を向けた。記憶通り、そこには二階建てらしき大きな建物がある。
己の天恵の進化に酔いしれるほど、俺も呑気じゃない。
確かにこの方法を繰り返し使えば、同士討ちの連鎖も可能だろう。
しかし、それはあまりにもリスクが高過ぎる。ロナンとドルナさんが
ここにいる以上、こんな猛獣使いのサーカスみたいな戦法は取れない。
一手間違えただけでも、どちらかに致命傷を負わせる危険がある。
今はとにかく、少しでもこの状況を打破しなくては!
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こんな時、下手な出し惜しみをするのは愚の骨頂だ。
「ハッ、無様だねえ。こんな化け物風情の餌になって終わるとはな!」
大声で放った俺の言葉に、場にいたほぼ全員が顔を歪めた。
もちろん、俺に対する怒りで。
「ちょっ…」
「何言ってるんですか!?」
「いいから一緒に来て!」
傍にいる二人に小声で告げた俺は、こちらを注視する全員に叫んだ。
「怪我人を抱えてついて来い!」
そのまま踵を返し、さっきアタリを付けたあの建物へと駆け出す。
ロナンとドルナさんもあわてて俺に続く。
他の面々も、示し合わせたかの如き動きで一斉に俺たちを追って走る。
負傷して動けない数人を、周囲の者たちが連携して抱え上げ、走る。
自分より大きな男性を軽々と背負う女子もいた。
皆、俺の【魔王】の力で操っている状態だ。こんな極限状態であれば、
些細な暴言で大きな怒りを買うのはごくごく簡単だった。
【魔王】の影響下にある人間は皆、正気の時よりも身体能力が上がる。
以前に、それは検証した事がある。もちろん人智を超えた力が出せると
いう意味ではなく、むしろ潜在能力を発揮できるという感じだろう。
何よりこの状態になった人間には、怖れや躊躇いは微塵も生じない。
言われた事を機械的にこなす存在となり、俺の指示には絶対に従う。
怪我人を抱えて来いなんて指示は、こうでもしないと出せなかった。
統制された人間の動きは侮れない。
最後に指示を出した一匹目が、他の個体に八つ裂きにされている頃。
俺たち三人と周りにいた人たちは、どうにか建物にまで到達していた。
さいわい施錠されておらず、魔者が中に侵入している気配もない。
中の扉を開けると、大きな講堂だ。先に逃げ込んだ数人の姿があった。
鍵をかけるという発想が、彼らから出なかった事実に心底感謝した。
「怪我人をマットの上に!」
「あっ、はい!」
既に【魔王】の力は解除している。正気に戻す前に暴言の記憶も消去。
我に返った人たちは、無意識に抱え上げていた怪我人をそっと下ろす。
「…ひどい。」
誰かがうめくようにそう言った。
誰しもが思っている事だった。
6人中5人が、パッと見ただけでも判るほど重傷だ。応急措置とかでは
とても間に合わない。と言うより、そんな道具も何もない。
いや、そもそも。
迷わず駆け込んだのはいいものの、この建物は思ったよりも壁が薄い。
そして窓も結構大きくて多い。扉は入ってきたひとつしかないけど。
こんな場所で籠城をするとしても、もってせいぜい十数分程度だろう。
窓か屋根か、いずれにせよ破られてしまえば一気に詰む。
状況は厳しい。どこまでも厳しい。
「ふぅ………………………」
とりあえず、俺は深呼吸をした。
今求められるのは、何だろうか。
強力な天恵?
援軍?
違う。
たった今、俺に求められているのは
ただひたすら、冷静さだ。