凪いだ籠城者
外は大混乱になっていた。
その一方で、この店の中がどれほど危機的な状況に陥っているのかは
まったく認知されていなかった。
デモンストレーションとして、あの鞄が爆発したというのは判る。
そして、あれの20倍の威力を持つ爆弾がこの店に持ち込まれたという
意味不明な事態も。しかしどうしてその犯人が一緒にいるんだろうか。
こういうのって、見えない場所から脅迫するとかが定番じゃないのか。
ダメだ。
さっぱり分からない。
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「…ど、どういう事なんですか?」
さすがに店にいた他のお客たちも、少女の言った言葉を聞いていた。
今この瞬間、限りなくヤバい場所に自分がいる事も理解しつつあった。
まずい。このまま店内がパニックに陥れば、最悪の事態も起こり得る。
「落ち着いて下さい。」
しかし当の少女―ランドレは、顔色ひとつ変えず淡々と言い放つ。
いや、お前は落ち着き過ぎだろう。
「他のお客の皆さんを巻き込む気は全くありません。なので可能な限り
普通にお店を出て行ってください。通報して頂いても構いませんよ。」
「………………」
この状況に恐慌を来たしつつあったお客たちも、あまりにも落ち着いた
ランドレの言葉に黙り込む。偶然、その全員が女性だった。もちろん、
みんなランドレより年上だ。何ともちぐはぐで、異常な雰囲気だった。
「…じゃあ…」
短髪の女性が、そう言って入口へと向かう。それに倣うように、全員が
黙って行儀よく出て行く。これまたシュールな光景ながら、俺としては
ここにいる人間が減るのは有難い。少なくとも不毛な懸念が減る。
最後の一人が出て行ったと同時に、入口のドアは閉められた。
出て行ったお客たちは、外の混乱の中であっという間に見えなくなる。
「ご主人。」
その様子を窓ガラス越しに見ていた俺に、ランドレが話しかけてきた。
「私が用があるのは、こちらの女性と伯父だけです。あなたもこのまま
出て行って頂いて構いません。後は私たちの個人的な問題なので…」
「勝手な事ばっか言うなクソガキ。お前何様のつもりだ?」
「ヒッ…き、君!」
伯父の男性が乾いた裏声を上げる。が、俺としては知った事じゃない。
ゆっくりと視線をランドレに向け、俺はあらためてはっきりと告げた。
「ここは俺の店だ。何のつもりかは知らんが、出て行って欲しけりゃ
土下座して頼めや馬鹿女。嫌なら、その鞄持ってとっとと失せろ!」
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数秒の沈黙は、殊更に長く感じた。
そして。
「…まあ、そこまで仰るなら無理に出て行けとは言いませんよ。どうぞ
ご自由に。」
「………………」
「あ、それとこのお店、確か電話を引いてらっしゃいますよね?」
「え?ええ、ありますけど…」
不意に問われたネミルは、困惑顔で答える。
「好都合です。…あぁ、念のために言っておきますが、起爆スイッチは
私の皮膚の中にあります。簡単には取り上げられないので、下手な事は
なさいませんように。」
「ランドレ…」
「伯父さんも落ち着いて下さいよ。あ、じゃコーヒーのお代わりを。」
「……承知しました。」
あえていつも通りの調子で応対し、ネミルがカップを下げて戻る。
チラッと目を向けられたので、俺は小さく首を左右に振って答えた。
言いたい事、問いたい事は分かる。どうだったのかという確認だ。
まあ、見れば判る話だろうけど。
別に俺は、怒りに任せてあの暴言を吐いたわけじゃない。こんな状況で
口にするなんて、まともな人間から見れは狂気の沙汰だろう。
単なる爆弾魔ならば、ここまで手の込んだ事はしないだろう。もちろん
何かしら目的があるはずだ。つまり現時点で起爆させる可能性は低い。
そう踏んだからこそ、俺は状況打開のための手を打ってみた。
あれだけ煽って怒らせれば、相手は俺に対して少なからず悪意を持つ。
あの黒い影さえまとってくれれば、後は俺の「魔王」の力でどうにでも
処理できただろう。だからあえて、ああいう態度を取ってみた。
しかしこのランドレという少女は、俺の暴言に全く感情を動かさない。
これほどに凪いだ心を保たれると、俺の「魔王」は力を発揮できない。
顔を引きつらせる伯父を目の前に、ランドレは本当に平然としていた。
どうする。
お客が出て行った以上、その誰かが通報するのは間違いない。そろそろ
警察に知られていてもおかしくないだろう。爆発した鞄の件も含めて、
大ごとになるのは時間の問題だ。
しかし、どうすればいい。
目的も何も分からないこの状況で、俺はどういう選択をすればいい。
…いや、そもそもの疑問がある。
どうしてこの女は、「ネミルだけ」出ていく事を許可しなかったのか。
まあ普通に考えれば、やはり神託師だという点が理由と考えられる。
しかし、それとこの異様な状況とをどう結び付ければいいんだ。
…せめて、ネミルと最低限の意思の疎通が出来れば…
「できるよ。」
「は?」
「何ですか?」
「いえ何でも。」
「コソコソ話さないで下さいね。」
「はぁい。」
ランドレに釘を刺されたネミルが、そう答えて小さく肩をすくめる。
その瞬間、確かに俺の方を見た。
…何だ、どういう意味だ?
「ニロアナさん、ここから出た後で通報したかな。」
「え?…ああ、多分な。」
この言葉には、ランドレも特に聞き咎める様子はなかった。解放した
客の話だから、別に口にしてもいいという事なんだろう。
…確かにニロアナさんはいた。でもそれが何だって言うんだ?
(ん?)
困惑する俺の目に、不意にネミルの左手の指輪が映った。
いつの間に着けてたんだ?
ネミルの指輪。
不可解な解答。
そして、意図的な個人の名指し。
………………………………
おい。
もしかして、ここから出て行く前にニロアナさんの天恵を取ったのか。
もしかしてそれは、俺の考えている事を読み取れるようなものなのか。
だったら…
思うと同時に、ネミルは左手の指で「花」の形を作ってみせた。
紛れもなく今、俺が考えて指示したとおりの動作だ。
頷くネミルの顔に、わずかなドヤが混じる。
…マジかよ。
抜け目ないな。