交錯する地へと
思ったほど、恐怖は感じなかった。
別に情に縋ったわけでもない。いやむしろ、彼女から見れば今の俺など
恨みの対象でしかないだろう。その事実を踏まえれば、次の瞬間に命を
奪われても何の文句も言えない。
彼女が今、少なくとも正気に戻っているからか。
それを目の当たりにしたから、罪の意識が多少なりとも消えたのか。
それも違う。
過去を捨てた彼女にとって、今さら正気に戻った事が救いに繋がるとは
思えない。むしろ狂っていた方が、苦しまずに済んだのかも知れない。
そんな独りよがりは、いくら何でも俺には出来ない。
ならもう、自分の命を完全に諦めたとでも言いたいのか、俺は。
ここで彼女に殺されるのはもう確定だから、腹を括ったって事なのか。
…………………………
やっぱり違うな。
どれもこれも違う。
結局俺は、彼女を前にする事で己の生死を度外視してるんだろう。
ウルスケス・ヘイリーという人間がどんな変貌を遂げたのかをずうっと
目の当たりにしてきた事で、普通の人間の死生観を無くしていたんだ。
だからこそ。
どうなろうと、どうでもいい。
================================
しばしの沈黙ののち。
「先生、ひとついいですか。」
感情の全くこもらない声で、彼女は俺に問いかけた。
「何だ?」
「先生たちはこれから、どうなさるおつもりなんですか?」
「…………………………」
しばし、返答に窮した。
今すぐ殺すかどうかという状況で、いささか解釈に困る質問だ。
今日までの事情を察しているなら、今の窮状も知ってるって事だろう。
俺だけでなく「俺たち」と形容したという事は、ロナモロス教の今後を
問うている、という話になる。
正直、俺などに訊かれてもそうそう答えられるような質問じゃない。
と言うか、実際ウルスケスがそれをどこまで知りたいかも分からない。
答えを急かすような気配はない。
変貌したあの男も、今は犬のように従順な態度を見せている。
今になって、助かるかも知れない…という考えが浮かぶ自分に呆れる。
狂っているとか何とか言ってても、しょせん俺もまだまだそんな域には
達していないって事だろうな。
ならせめて、彼女の問いには真摯に答えるべきだろう。
俺はある意味、覚悟を決めた。
================================
「今さら言うまでもないが。」
声が震えない事に少しホッとした。
「もう、君に魔核を生成してもらう必要はなくなった。」
「そうみたいですね。」
「だから始末するとか、そんな話は微塵も出ていない。それは事実だ。
そして…」
「そして?」
「率直に言って、今ここを出ていく君を止められる者はいない。」
少なくとも今ここに、ゲイズもといブリンガー・メイはいないはずだ。
俺の見た限り、ウルスケスを止める事が出来るのはあいつだけだろう。
いないものはどうにもならない。
「そうですか。」
やはり、ウルスケスの声には抑揚がない。明らかに俺の答えに満足など
していない。当然だろう。今の俺はただ、現状を話してるだけだから。
だからこそ、ここからは腹を括って話す。
俺がネイル・コールデンの意志を、代弁する形になるのだろうから。
================================
「俺たちはイグリセを出ていく。」
「…………………………」
「俺の知る限りでは、行く先はまだ未定だ。ただ、どこへ行くにしても
それは単なる亡命じゃない。」
「と言うと?」
「魔鎧屍兵に天恵持ち。これだけの戦力が揃っている今、モリエナの
離反ごときで逃げに徹する選択などない。俺たちは世界をかき回す。」
「先生もですか?」
「当然だ。ここまで来て、中途半端な逃げを打つ気なんかないさ。」
言い切った瞬間、その言葉が俺自身の中で確信に変わったのを感じた。
言い訳でも釈明でもない。これは、俺自身の所信表明に等しい言葉だ。
俺は【マルチクラフト】なる天恵を得て、異界のファクターを探究する
運命を受け入れた。最初の内は単に研究が楽しかった。だが今の俺は、
そんな無邪気な言葉でカテゴライズされるべき存在じゃない。とっくに
決定的な一線を超えている。
それを超えさせたのは間違いなく、目の前にいるウルスケスだ。
勝手な理屈だ。それは分かってる。それでも彼女の天恵に賭けた結果、
俺はもう引き返す事の出来ない領域に至った。その事に後悔などない。
だったら俺は、ロナモロス教の一員として最期の最期まで突き進む。
その先に破滅しかないと言うなら、破滅に至る探究を愉しむだけだ。
「俺はこのまま、突き進む。」
それが謝罪の言葉に代える、君への本音だ。
================================
「分かりました。」
そこでウルスケスは、初めて大きく笑ってみせた。以前とは異なる、
計り知れない何かを込めた笑みだ。禍々しくも、それは美しかった。
「信じていいんですね?」
「当たり前だ。教え子に嘘なんか、今さら言わないさ。」
「そうこなくちゃ。」
愉快そうにそう答え、ウルスケスはそのまま踵を返した。控えていた
魔獣人も、それに従って体の向きをクルリと変える。…忠実なんだな。
「それじゃあ、あたしはこれで。」
「君はどうするんだ?」
「まあ、まずは気晴らしですね。」
「気晴らし?」
「ええ。」
振り返らず、彼女は告げた。
「我が懐かしき学び舎に、久し振りに行ってみます。ちょうど今頃って
学園祭の時期ですから。」
「そうか。」
そんな時期か。
もうすっかり忘れてたな、あそこの年中行事なんてものは。
何をするのかは訊かない。訊いても何の意味もない。
ただ俺は、見送るだけだ。
「元気でな、ウルスケス。」
「先生もね。」
ひらひらと手を振り、ウルスケスは去っていった。もう振り返らずに。
俺もまた、同じように手を振った。まるで友達を送り出すように。
ああ。
世界に爪痕を残せ、ウルスケス。
応援してるよ。
================================
================================
「学園祭?」
「そう、明日からなんですよ。」
ロナンの声は、いつもに増して高く弾んでいた。
どうやら彼女、店に行ったその足でわざわざここまで来たらしい。
教える機会がなかったけど、やはり侮れない行動力の持ち主である。
って言うか、この話を伝えるためにこんな時間から来てくれたんだな。
「出店してみません?」
「面白そうだね。」
俺より先にネミルが食いついた。
「ピアズリム学園の学園祭に参加。ちょっと話題になっちゃうかも。」
「ノリが軽いな。」
いささか呆れつつも、ネミルのその言葉にはきっちり共感できる。
まあ、俺も大概って事なんだろう。チラと見れば、盗み聞きしている
ローナもニッと笑って頷いた。
「よし、それじゃあ明日になったら飛び入り参加といこう。」
「やたー!」
ネミルとロナンの歓声が重なった。いいねえ、やっぱりノリが大切だ。
こんな事を始めたんだからな。
ピアズリム学園か。久し振りだな。
よし、今日は早く寝よう。
明日は面白くなりそうだ。