禍々しき創造
天恵に呪われる。
あるいは、天恵に呑み込まれる。
そんな話など、もはや過去の伝説に過ぎない。そもそも天恵宣告自体が
廃れた現代において、起こり得ない事と言っても差し支えない。
少し前まで、そう思っていた。
実際に、そうなってしまう前まで。
ウルスケス・ヘイリーと
この俺自身が。
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彼女が創り出す魔核は、間違いなく俺や回りの者たちを蝕んでいった。
もちろん目に見えるわけじゃない。その効能は、誰にも証明できない。
だけど俺には、確信があった。
心の奥底から湧き上がる、どす黒い衝動。明らかに己の心とは異なる、
原始的かつ野蛮な激情。少なくとも俺の中に、こんなものがあったとは
考えられない。だとしたら…
いや、違うな。
それが全くなかったのかと言えば、答えは否だ。
俺だけじゃない。誰の心の中にも、この衝動は大なり小なり存在する。
いつもは気付かないか、理性の力で抑え込んでいるかのどっちかだ。
ウルスケスの魔核は、そんな内なる負の衝動に強烈に働きかけてくる。
知らず知らずのうちに俺たちは皆、その力に取り込まれていたらしい。
だがそれは、決して悪い効果だけだとは言い切れなかった。
原始の衝動は、理性という枷を外し人の精神をむき出しにする。
そうしてある種の解放を得た者たちは、危険な任務にも率先して赴く。
怖れを知らぬ彼らが、ロナモロスに戦果をもたらしたのもまた事実だ。
魔鎧屍兵を動かすだけでなく、この魔核は狂戦士さえも生み出せる。
かつてこの天恵を持ち得た人間が、何人いたのだろうか。
そして彼ら彼女らは、己の可能性をどれほどまで見極めたのだろうか。
今ならもう断言してもいいだろう。
その答えをとことんまで極めたのがウルスケスであり、見届けたのが
この俺なのだと。
俺は魔核に囚われながらも、魔核の本質を理解し得た。それを応用し、
魔鎧屍兵を動かす事に成功し、今は人工的な魔核の再現さえ成し得た。
造物主であるウルスケスが人として破綻してしまった今、魔核の本質を
見極められるのはこの俺だけだ。
あの少女を壊してしまった事実は、これからも背負っていく事になる。
今さら目を背けたりはしない。が、間違っていたとも考えない。
彼女の生み出した魔核は、まさしく世界を蝕むための尊い結晶であり…
「先生。」
呼びかけは、限りなく唐突だった。
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誰にそう呼ばれたのか、最初は全く判らなかった。いや、正確に言うと
その声をもう忘れてしまっていた。まぎれもない、彼女の声を。
ハッと視線を向けてみれば、部屋の入口にウルスケスが立っていた。
自分の足で立っている姿を見るのは本当に久し振りだ。そんな彼女は、
じっと俺の顔を見つめていた。
「お久し振りですね。」
「…ああ、そうだな。」
どう答えるべきか迷った。彼女は、ずっと俺のすぐ近くにいたはずだ。
正気を失っていた間も、療養の時を除けば原則的に傍に置いていた。
何をもって久し振りなのか、それは彼女の精神状態次第だろう。
記憶が無いのなら、それについての説明をすべきであり…
「ずっとまともに話も出来なくて、どうも申し訳ありませんでした。」
「…………………………いや。」
背筋に寒いものが走るのを感じた。
まともに話も出来ないという表現の裏には、今日までの自分の状態への
客観的な認識がある。つまり彼女は今日まで、自分が狂っていたという
事実を知っているのか。とすれば、まさかその間の事も知っていると…
「先生。」
「何だ?」
「もう、今さらあたしがいなくても大丈夫ですよね。」
「…………………………」
やはり
知っているのか。
「ならもう、あたしはロナモロスを抜けます。お世話になりました。」
決まりだ。
全てを知った上で抜けるとなれば、見過ごす事など決して許されない。
悪く思うな、ウルスケス。
彼女の死角で、俺はミュートブザーを押していた。
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モリエナがいなくなった今、教団は落ち着くまでは非常事態である。
特に幹部級の連中に関しては、有事に備えた対策が準備されている。
挨拶の言葉を述べたウルスケスが、踵を返そうとした瞬間。
シュン!
カイ・メズメが【共転送】によって送り込んだ工作員が、素早く彼女の
首に腕を回した。問答無用で意識を落とすか、そのまま絞め殺すか。
いずれにしても不問に付す。だから一刻も早く彼女を…
「これが答えですか。」
ウルスケスの声は、ぞっとするほど平坦だった。
抵抗らしい抵抗もせず、ただ右手を掲げて自分を羽交い絞めにしている
太い腕にそっと添える。
次の瞬間。
「オオオォォォォォアァッ!?」
彼女を締め落とそうとしていたその男が、いきなり異様な声を上げた。
どう聞いても人の声帯から発したと思えない、耳を疑うような咆哮。
「ウルスケス…!」
「研究者の血が騒ぐでしょ?」
ニッと笑った彼女の右手は、妖しい赤色の光を放っていた。それは、
魔核形成の時と同じ色だ。
まさか彼女は
彼の腕の中に、直接魔核を生成しているとでも言うのか?
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変化は、わずか十数秒で終わった。
異様な咆哮が途絶え、腕を離した男があらためてこちらに目を向ける。
その顔は微妙に歪み、スキンヘッドの表面には細かい棘が生えていた。
魔核を直接食べさせた獣の変異体、つまり魔獣とは根本的に違う存在。
ウルスケスはまさに今、それを創造してみせた。
人とも魔獣とも違うそれは
そう
魔獣人、とでも呼ぶべきだろうか。
恐ろしかった。
そんなものを、顔色ひとつ変えずに創り上げたウルスケスが。
彼女の言った通り
探究の血が騒ぐ、自分自身が。
俺も彼女も
正しく狂っている。