トリシーさんのお店にて
本当に入れ違いだったらしい。
北催事場に戻った俺たちは、三軒隣のスペースに既に露店を構えていた
トリシーさんと再会した。けっこう本格的な、単座の理容スペースだ。
俺たちがダラダラあちこち見ていたというのもあるけど、それにしても
相変わらず仕事が早い。
「おお、トランじゃないか。」
「ご無沙汰してます。」
「元気そうだな二人とも。」
用具のチェックをしていたトリシーさんは、俺とネミルの顔を見比べて
嬉しそうに笑った。日焼けした顔の印象は、前に会った時のままだ。
この人も、天恵絡みで妙な大騒ぎに巻き込まれた手合いである。
他ならぬルソナさんが、彼の容姿を無断借用して俺の店にやって来た。
ニセモノがウロウロしているという状況に、俺たちも右往左往した。
結局、騒ぎの元であるルソナさんを補える事は出来た。しかし彼女は、
実の父親との間に計り知れない確執を抱え、逃げてきていた身だった。
全てが明らかになった後、トリシーさんはルソナさんを店で雇った。
過去を捨て去りたい彼女の、新しい拠り所になる事を快諾してくれた。
神託師だろうと魔王だろうと、あの時の俺たちにそこまでの事はとても
出来なかった。だから、大人であるトリシーさんに託すしかなかった。
今にして思えば、かなり投げっ放しだったと思う。でも実際のところ、
天恵宣告のアフターケアまで神託師が担当するのは何か違うだろう。
そういう思いもあったから、あえてその後の事は訊いたりしなかった。
そして今に至る。
何だか、悪くはなさそうな今に。
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「偶然お会いしたんですよ。ホントすぐそこで。」
「へえ、珍しい事もあるもんだな。君らも出店したのか?」
「ええ、まあそんなところです。」
「そうかそうか、前向きだねえ。」
感慨深そうに言ったトリシーさんの目が、今さらローナたちに向いた。
「…で、そっちも人が増えたと。」
「ええ、まあ…そうですね。」
「何だ歯切れが悪いな。もしかして俺の見立て違いか?」
「いえいえ、そうじゃないですよ。一緒に来てますし。」
ずっと半笑いで聞いていたローナがそんなフォローを入れる。
そう、見立て違いって訳じゃない。およそトリシーさんの言う通りだ。
ただひとつ、増えたのが「人」じゃないんだ…という点を除いて。
やっぱり変だよなあ、俺たちって。
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「へえぇ、トラックの移動店舗か。思い切った事を考えたねえ。」
「すっごいアイディアですね!」
「自分でもそう思います。」
感心してくれたトリシーさんたちに対し、俺は実感込めた言葉を返す。
見知った人にそう言ってもらうと、あらためて自分たちのチャレンジの
突拍子のなさを実感できる。まあ、分かってた事ではあるんだけど。
ともあれ、眉をひそめられるような感じでなかったのは喜ばしい。
励みになります、冗談抜きで。
「どんな感じになるんだ?」
「それは…」
「明日のお楽しみって事で。」
ニッと笑ったネミルがそう答える。トリシーさんたちも笑って頷いた。
「なるほど確かに。んじゃ楽しみにしとくよ。」
「よろしく。」
なんか期待のハードル上がったな。まあいいや。
知り合いが近くにいてくれるというのは、思った以上に心強い。
何にせよ明日からだ。頑張ろう。
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「ところでルソナさんは、やっぱり理容師の修行をしてるんですか?」
「うーん、少しはね。」
ネミルからの問いに、ルソナさんはほんの少し言葉を濁す。何だろう?
「あたしはあたしなりのやり方で、お店の役に立とうと思っててね。」
「ルソナさんなりの方法?」
「それって、どんな…」
しばしの沈黙ののち。
「いいじゃないか。せっかくだからお試しでどうです?」
「え?」
トリシーさんの言葉に、俺たち全員ちょっとポカンとした。…お試し?
もしかして、青空理容院の?
「面白そうね。じゃちょっとお願いしてみようかなぁ。」
「!?」
そう言ったのはローナだった。え、恵神が人間に散髪してもらうの!?
それってアリなの!?
「どうぞどうぞ!」
愛想のいいルソナさんに案内され、興味津々なローナが席に着いた。
いや、本気ですかあなた?見れば、ネミルも複雑な表情になっている。
そりゃそうだ。人の姿になっていると言っても、恵神ローナ本人だぞ。
たとえ髪の毛であろうと、人の身で切り落としたりしていいのかよ。
「いいんじゃない?」
事もなげにそう言ったのは、ずっと黙って見ていたタカネだった。
「何と言っても本人が乗り気だし、意外とアリなのかもよ。」
「いや、でも…」
「元いた世界では、あたしや拓美は割と神に近い領域に至ってたよ。」
そう言って、タカネがフッと笑う。
「神ってのは概念でしかなかった。どっちかと言うと、重要だったのは
存在じゃなくて御業の方よ。」
「御業?」
「何が出来るか、または何をするかって事。ローナは、天恵を与える。
それは確かに、人ならぬ者の御業。だけどあたしたちだって、人ならぬ
身で常識外の事を何度もしてきた。見る人が見れば神だったと思う。」
「…まあ、確かに。」
この人も、能力の多様性では完全に恵神ローナを超えてるもんなあ。
「だけど本来のあたしは、人の手で作られたものだった。間違っても、
神聖な出自なんかは持っていない。年月をかけて力を手に入れただけ。
だから神を名乗る事もなかったし、友達は人ばっかりだったしね。」
「なるほど。」
何だか、納得できる話だった。
確かにローナは神と呼ぶべき存在であり、超越した存在だという事実に
疑問の余地はない。だけど、彼女が「具体的にどういう存在」なのかは
俺たちが定義すべきじゃない。その定義を知っているのは本人だけだ。
だとすれば、彼女がOKと言う事は本当にOKなんだろう。いちいち、
俺たちが気にする事じゃない。
何だろうな。
異世界から来た存在に、己の世界の神の定義を説かれる日が来るとは。
ちょっと笑いそうになってしまう。
イイじゃないか、本当に。
意外と世界はそんなもんだろう。
「んじゃ、よろしく。」
いつの間にかケープを被ったローナが、うきうき声でトリシーさんに
そう告げる。
「ちょっと短めで。」
「承知しました。ええと…」
「ロナです。」
「ロナさんね。来店ありがとう!」
おお、始まるのか。神の散髪。
思いもかけないイベントだ。
やっぱりお祭りはいいなあ。