キッチンカーを作ろう・7
チリリン。
「いらっしゃいま…ああぁ?」
揃えた声が、中途半端に途絶える。いや、その気持ちは分かる。
次に出てくる台詞も分かってる。
「ずいぶんお早いお帰りですね。」
うん、そうなんだよ。
実質、2時間くらいしか経ってないのも知ってる。もう帰ったのかよと
言いたい気持ちも凄く分かる。
まあ、初日だし。
正直、こっちも心配だったし。
================================
「あまり進まなかったんですか?」
「いや、そうでもないよ。」
ランドレさんにコーヒーを注文し、俺は肩をすくめた。…って言うか、
こうして見ると今さら感慨が湧く。爆弾を携えてこの店に来た少女が、
今では働いているという事実に。
まあ、今はそんな事はいいんだよ。
「とりあえず、キッチンコンテナの基部はほぼ出来た。自走式のね。」
「自走式!?」
ペイズドさんが頓狂な声を上げる。なお、店はさすがに早じまいした。
初日だし、もうそんなに客が増える時間帯でもないし。完全に任せた
時間はそれほど長くなかったけど、まあ初日の慣らし営業だからね。
無理は禁物だ。
…って、何を上から目線で語る俺。何にもしてないだろうが今日。
いや、午前中の仕事はしてたけど。
ダメだ。
タカネに任せたのは仕方のない事と割り切ってるけど、いざ思い返すと
何にもしてない感が凄い。ってか、注文つけてただけだし。
「いいじゃん、それが今のあなたのやるべき事なんだからさ。」
「…………………………」
そう。
ついさっき、帰る前にローナにそう言われていた。納得もしている。
あくまでも喫茶店を営んでいるのは俺とネミルなんだから、その観点で
意見を出すのも重要なんだと。
うーん…
もっと大人にならないとなあ。
================================
店を留守にしていたのは3時間弱。ただし、実際にキッチンカー作成に
費やしていたのは30分足らずだ。タカネの作業はとにかく速いから。
その後何をしていたのかと言えば、要するに街ブラである。
…いやいや違う。遊んでたわけじゃない。「交通事情の調査」である。
タカネからすれば、この世界は未だ未知の異世界だ。もちろんローナと
あちこち回ってはいるらしいけど、そんなのとはちょっと意味が違う。
気ままにあちこちを見て回るのではなく、目的を持つ調査なのである。
「常識知らずは、想像以上に失敗に繋がりがちな要素なのよ。」
やたら実感のこもる口調で、タカネがそう述べた。
何でも昔、異星の社会に降り立った時はそれでよくしくじったらしい。
自分たちの常識を軽い気持ちで持ち込むと、意想外の問題が発生する。
だからこそ、事前にきっちり下調べする必要があるんだとか。
もちろん俺たちも異議はない。
やってる事がいちいち規格外過ぎるタカネが、そういう分別をちゃんと
持っているのは大助かりだ。ただでさえ非常識な事をやってるんだから
せめて考え方くらい社会常識の枠に収めておきたい。
まあそんな訳で、基部が出来た後は街の道路事情などを調べに行った。
ここはいわゆる「田舎街」だけど、ちゃんとした道路もあるしそこそこ
車も走っている。この街でちゃんと走れる車なら、今後どこの国や街に
行っても問題にはならないはずだ。そういう意味で調べる価値はある。
もちろん、ロンデルンのような都会ではまた話は変わってくるだろう。
目立つかもしれないし、警察とかに咎められる可能性もなくはない。
しかしそもそも、そういう大都会にわざわざネイル・コールデンたちが
潜伏するだろうか。今現在の状況を考えるなら、そっちの可能性の方が
よっぽど低いような気がする。
俺たちは別に、本格的に移動店舗を商売にしたいってわけじゃない。
あくまでも目的はネイルを探す事。キッチンカーは手段でしかない。
そこを履き違えると、やるべき事が無駄に迷走してしまう。
そういう意味でも、ワンクッション置こうという話になったのである。
正直、俺もその方が助かる。
あそこでタカネのワンマンショーを見続けてると、変になるから。
================================
「まあ黎明期だけど、道路交通法はそこそこ固まりつつある感じね。」
そんな事を呟くタカネと共に、街をブラブラと流す。
その間俺たちは、タカネがどういう存在なのかをあらためて本人から
きっちり説明してもらう事にした。言い出したのはネミルだけど。
「いいよ。やっぱり、あたしも一度そういう機会がいると思ってた。」
本人の了承も得た。ローナは、妙に保護者っぽい顔で笑ってる。まあ、
ある意味俺たちの保護者と言ってもいい存在だからなぁ。
そういうわけで、タカネは辛抱強く自分についての説明を俺とネミルに
分かるようにしてくれた。それでも完全に理解できたわけじゃないが。
分からないのは当然だ。あまりにもテクノロジーに差があり過ぎる。
生半可な天恵では相手にならない。そんな万能存在を完全に理解なんて
出来ると思う方がおかしいだろう。
完全じゃなくていい。自分たちなりの形で理解しようとする意志こそが
大切だ。
未来の一部を預ける相手なら、なお必要な事だろうから。
================================
そうやって聞いた話は、やはり俺の理解をかなり超えていた。しかし、
何とか俺たちなりに理解できた要素もあった。
タカネはナノマシンという、目には見えない極小機械の集合体らしい。
全体でひとつの人格を持つものの、集合したナノマシンは残らず等しく
タカネとしての意識と力を持つ。
何とも想像を超越した概念だけど、何とかそういうものと受け入れる。
受け入れた上で現状を振り返れば、けっこう納得できる部分は多い。
ランドレさんに渡したあのメガネ。あれにもタカネの分体が宿ってる。
肉体を形成せずに、視覚補佐メガネの機能の維持を目的としている。
ちなみに、さっき作った基部にも、ごく少数のタカネが常駐している。
完全に離れてしまうと制御が不可能になる。現状、あの大きな「腕」を
動かすためにはタカネ本人の一体化が必要になる。しかし動かすのでは
なく、ただ制御を維持するだけならその少数でも十分事足りるらしい。
そして現在、タカネは片手間で己の分体の数をせっせと増やしている。
自己増殖まで出来るとは恐れ入る。しかし、やはり時間はかかるとか。
「それでもここは、最初にいた世界よりは増殖に適してるよ。」
「それはどうも。」
光栄なのかもさっぱり分からない。でも、少なくとも悪い話じゃない。
状況が整うのは素直にありがたい。
とにかく、何とかそのあたりまでは俺もネミルも理解できた。
「今はそれで充分だよ」と、タカネ本人も笑いながら言ってくれた。
「最初の世界では、あたしの存在を完全に理解できる相手は拓美しか
いなかった。」
どこか遠くを見つめつつ、タカネはそう言った。
「もちろん友人は大勢できたけど、彼らにナノテクノロジーを理解しろ
というのは無理な話だったし。」
「じゃあ、ずっと秘密だったの?」
「秘密って訳じゃないよ。言っても理解できなかったってだけの話。」
ネミルの問いに苦笑したタカネに、寂しさの影などは見えなかった。
「でも、理解できない事はそれほど問題じゃない。あの世界の人たちは
あたしを認めてくれてた。もちろん拓美とリータのおかげでもあるけど
大事なのはそこじゃない。」
「…まあ、誰であれ完全に理解するなんてそもそも無理な話だしな。」
「そうそう、その通り。」
俺の返しに、タカネは実に嬉しそうな表情を返した。
「出来なくたっていいんだよ。ただ認め合えればそれでいい。あたしは
そうやって、いくつもの世界で人と関わってきたの。ここも同じよ。」
「なかなかの体験談ね。」
ずっと黙って聞いていたローナも、さすがに感心したように呟く。
「でもまあ、異世界転生なんて事が天恵の範囲内で起こり得る世界よ。
あなたは確かにイレギュラーだったけど、そこまで達観しているのなら
かえって安心できるってね。」
「そりゃどうも。」
笑い合う二人の姿に、俺もネミルも何だかすごく安心した。
よかった。
トモキの事も含めてどうなるのかと思ってたけど、何とかなりそうだ。
もちろん、本格的に問題に向き合うのはこれからだけど、少なくとも
今の時点で不安になる事はない。
人間関係に限っては、って話だが。
================================
「んじゃ、一旦お店に戻ろうか。」
「ああ。」
どうやら調査に満足いったらしい。タカネの提案に俺たちも頷いた。
そこそこ彼女について理解ができたからこそ、確かめる事がある。
一気にキッチンカーを組んでしまう前に、きっちりと確かめる事が。
それが想定通りなら、二号店構想は一気に具体的な形を成すはずだ。
さあ、早く店に戻ろう。
正直、店長としても気が気じゃないから。