凍てる刃
ゲイズ・マイヤールが殺された。
その報に、特に心を動かされる事はなかった気がする。遅かれ早かれ、
あの女はまともな死に方をしないと思っていたから。
果たして本当に彼女は「殺された」のか。もしかすると、戦いの果てに
敗れて死んだのではないだろうか。そんな事を淡々と考えている己に、
そこはかとない狂気を感じていた。だがもう、嫌悪感などはなかった。
おそらくは俺も、既にウルスケスが生み出す「魔核」に囚われている。
彼女が壊れていくのと同じように、その道に引き込んだこの俺自身も
緩やかに人として破綻しつつある。もう俺は、そんな救いなき事実さえ
研究者の視点で客観視している。
もう終わりなのか。
それともとっくに終わってるのか。
どっちでもいい。
今の俺は人じゃない。
コトランポ・マッケナーという名を持つ、何かだ。
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ゲイズの死より差し迫った問題は、ランドレ・バスロがいなくなったと
いう現実だ。彼女の天恵が無くなるという事は、すなわちウルスケスの
精神を安定させる術が無くなるのと同じ。もう現状維持も難しくなる。
魔鎧屍兵の量産が成され、現時点で国の軍隊を相手に出来る戦力にまで
成長しつつある。ウルスケスの持つ【魔核生成】の天恵は、この兵団の
要とも言うべき能力だった。
しかしすでに彼女の精神は、人間としてのそれでは無くなりつつある。
こんな現象は、過去の事例に関する記述の中にも全く見られなかった。
おそらく、これほど多く魔核を生成し続けた者がいなかったのだろう。
そもそもが忌まわしい能力であり、活用方法すらなかっただろうから。
彼女は恵神ローナから得た天恵を、誰よりも使い続けた。
その結果が身の破滅ならば、責任は与えたローナに帰結するはずだ。
きっとそうだ。
俺もネイルたちもそう信じる。
信じる事で、今を生き続けるんだ。
狂気の中でな。
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キュイン!!
俺の指示から数秒後。
目の前に、棺のような形の真っ黒な容器が一つ現出した。紛れもなく、
この俺がカイ・メズメに【共転送】で送らせた代物だ。
ランドレ・バスロが姿を消す前からもう、魔鎧屍兵が頭打ちになる事は
予想していた。だからこそ、代わる何かを模索する必要があったんだ。
「熱心ねマッケナー君。分かった、あたしに任せなさい。」
嬉しそうなネイルのそんな返答に、あの頃はまだ嫌悪感を抱いていた。
少なくともあの頃は、俺にも良心の欠片が残っていたんだろうか。
まあいい。もう遠い過去だ。
とにかくネイルの天恵の力を借り、俺は更なる開発の道を邁進した。
【マルチクラフト】なる俺の天恵はいつでも、俺の想定を大きく超える
異界の知の具現化を成し遂げた。
どこまでが自分の技能なのか考えるのは、いつからかもうやめていた。
何もかも黙過し、俺はただ結果だけ追い求める自分に納得していた。
そして今。
この吐き気を催す墓地に、俺は己の創造物と共に在る。
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魔鎧屍兵は、人の骸を組み込む事で初めて起動する。魔核の存在だけで
動かす事は出来ない。それは絶対の壁になっていた。
しかし、ネイルはその結果に納得を示さなかった。何とかしてみせろと
この俺に告げた。そのための助力は欠かさないからと。
だったら、俺も遠慮などはしない。とことん無茶振りをして探究した。
魔鎧屍兵を次の領域にシフトアップさせ得る、異界の知を探し求めた。
その完成を待っていたかのように、ゲイズ・マイヤールが死んだ。
運命じみたものを感じてしまうのは当然だ。言い訳などする気もない。
紛れもなく、これは大きなチャンスと呼んでいいものだ。
「構わないよ。」
ゲイズの父エフトポも、それに対し実に寛容だった。一人娘の死など、
彼にとっては何かしらの好機でしかないのかも知れなかった。
そして俺は【共転送】によるゲイズの許への転移を果たした。それは、
もうひとつの可能性を示す結果だ。ここまで来ればもう、迷わない。
今ここで、ゲイズの死を覆す。
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埋められたばかりの棺は、苦もなく掘り起こす事が出来た。難しいなら
増援を頼もうかとも思っていたが、そんな必要は全くなかった。
持参した溶接具を使い、蓋の一部を焼き切る。そこから覗き見えたのは
確かにゲイズの土気色の顔だった。よく見てみると、右の手首が無い。
戦いで失ったか解剖で取られたか、いずれにせよこれであのモリエナを
追う事は出来なくなったって事だ。…まあいい。今はあまり興味ない。
ゲイズの死に顔は、確かに今わの際の苦悶と怒りを孕んだものだった。
しかし、今さらそんな事でいちいち動揺などしない。死んだというのは
ただの事実だ。受け入れなければ、話は前に進まない。
寒々とした月明かりの下、俺は別の器具を用いてゲイズの死体を抉る。
胸元、もとい心臓を丸ごと、専用に作った器具で丸くくり抜いたのだ。
流れる血の赤黒さは、もはや俺にはいささかの感慨も生まなかった。
ゲイズが死んだという事実を、ただ受け入れるだけの事だ。
今は、な。
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黒い棺の蓋は存外軽い。と言うか、ボタン操作でほぼ完全に開く。
中に収まっていた「それ」が何か、正しく説明できるのは俺だけだ。
そして正しく理解できる相手など、この世界には存在しないだろう。
どうでもいい事だが。
血の滴るゲイズの心臓を、中にある「それ」の心臓部にセットする。
移植と呼ぶにはあまりに雑な処置。さすがに吐き気を催す。しかし、
原理的にはこれでいいはずだ。後は内部に収めた、魔核に託すのみ。
ガシュン!
心臓を収めた部位が勢いよく閉じ、わずかに血が飛び散った。しかし、
今さら気にする事でもない。そしてほどなく、その部位が微かに光る。
内部では、取り込んだ心臓を強大な力で核にまで圧縮しているはずだ。
プロセスはおぞましいものの、その様はどこか機能美を感じさせた。
と、その刹那。
「おいお前!そこで何してる!?」
意想外の声が、遠くから聞こえた。
まずい。見回りが来たのか。思ったよりも早かった。どうすればいい。
こんな時、モリエナがいなくなった弊害を否応なしに痛感する。
カイの共転送だけでは、ここからの離脱は望むべくも無いのである。
どうする。
魔鎧屍兵を呼び寄せる事は出来る。しかしそれをすれば、間違いなく
大ごとになってしまう。さすがに、今それはかなりまずい。とは言え、
今この俺が呼び寄せられる者では…
「動くなよ!!」
状況は、俺を待ってなどくれない。残酷なほど展開が早い。巡回兵は、
もうすぐそこまで迫って来ていた。仕方ない。ここは覚悟を決めて…
刹那。
ダン!!
いきなり、傍らの黒い棺が重い音と共に揺れた。目を向けていなかった
俺には、「それ」が飛び出した瞬間は見えなかった。
見えたのは直後の結果だけだった。
跳躍し、舞い降りた影。
目の前に現れたその影に驚愕する、哀れな初老の巡回兵。
そして。
かすかな音と共に斬り飛ばされた、彼の首。
血は、一滴も飛び散らなかった。
切断面が一瞬で凍り付くその様を、俺は確かに目にしていた。
ドサッ。
乾いた音を立て、凍てついた彼の首が地面に落ちる。
全ては、一瞬だった。
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「あらあら、マッケナー君。」
軽やかな動作で俺の方に向き直った影は、親しげにそう言った。
ゾッとするほど艶やかな声だった。
「これ、あなたの仕業ァ?」
「ああ。」
意外にも、声は全く震えなかった。
怖れや嫌悪感など、目の前の光景に対する達成感に比べれば些事だ。
間違いなく、俺は昂っていた。
「成功したみたいだな。」
「ふぅん、コソコソ作ってたのってコレだったんだ。」
「コソコソとは何だよ。」
もはや、目の前で行われた惨殺など気にもならなかった。俺にはもう、
普段通り会話が出来るだけの余裕が戻っていた。
「設計概念だけ渡されて、苦労して魔鎧屍兵と融合させたんだよ。」
「相変わらず、実物は無理ってか。ケチねぇネイルも。」
「まあ、リスクがあるんだろうから仕方ない。それより…」
そう言って、俺は彼女に歩み寄る。
近くで見ると、なお機能美に溢れた姿だ。正直、ちょっと惚れる。
「駆動に問題はないか?」
「全然。気に入ったわよ。」
そう言った彼女が、伸ばした右腕。
そこには、霜をまとう刃があった。
「あたしは死んだのよね?」
「ああ。それは間違いない。だが、カイは君の魂を感知していた。」
「だから蘇れたの?」
「結果が全てを物語るって事だ。」
「ま、いいか。」
言いながら、かつてゲイズであった「それ」は酷薄な笑みを浮かべる。
「タカネって言ったっけ。いずれ、あいつの首も飛ばしてやる。」
「君を殺した奴か?」
「そう。んで…」
そこで彼女は、狂気を孕んだ視線を初めて俺にまっすぐ向けた。
「あたしの、これからの名前は?」
「ああ。それはネイルに聞いてる。異世界で怖れられた名前をな。」
そう。
ゲイズだったおぞましい彼女の
新たなる名前。
腕に凶刃を宿す、殺戮の機械人間。
「ブリンガー・メイだ。」