名もなき骸の終着点
「間違いありませんね。」
ナガト先輩の告げた言葉に、今さら驚きなどはなかった。と言うより、
その前からかなりの確信があった。
あの死体が、間違いなく【氷の爪】の天恵を持つ者だったと。
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シュリオの実家へ急いで赴き、あの能天気教皇女と無事に再会した。
何でも、ロンデルンからまっすぐにここまで来ていたらしい。意外と、
言われた事はすぐやる性格なのね。まあ、結果的には大助かりだけど。
とにかく、本物の教皇女ポロニヤはここに留まる事になった。個人的に
その方が賢明だと思う。シュリオのお母さんと会い、なおそう思った。
何と言うか、臨機応変に秀でた女性という印象だ。詳しく聞いた事は
ないけど、かつてシュリオが問題を起こした時も上手く立ち回っていた
らしい。シュリオとしても、それを踏まえた上で提案したんだろう。
「しばらくお世話になります。」
「どうぞどうぞ!」
「よろしくお願いします。」
さっさと話がまとまり、あたしたち二人は何となく保護者っぽい立場で
お母さん―セルバスさんにしっかり託した。…これも仕事なのかなあ。
ともあれ、懸念はひとつ解消した。
大っぴらに喧伝しない限り、ここに教皇女がいる事はバレないだろう。
ひとまず、ロナモロス教は振り切る事が出来たと考えてもいいはずだ。
ホッとした途端ドッと疲れが出た。まあ、いつもの事だけど。
細かい取り決めのため数日、ここに留まる旨を陛下たちに連絡した。
その翌日。
とんでもない通報が入ったと、首都の隊長から連絡が来たのである。
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あたしがこの地にいたのは、もはや運命的な偶然だったかも知れない。
とるものもとりあえず、指定された病院とやらに行ってみた。そこには
既に現地の警察が来ていたけれど、何だかおかしな事態になっていた。
【氷の爪】だとされた死体の手に、妙な腕輪がはまって動かせないと。
しかし、その厄介な事態は呆気なく解決に至った。
まるであたしが到着するのを待っていたかのように、その腕輪とやらは
消えてしまったのである。何だか、監視されているかのようだった。
ともあれ、その死体が【氷の爪】の天恵持ちだったとすれば、明らかに
こちらの領分だ。それについては、警察も割とあっさり認めてくれた。
と言うわけで、あたしはその死体と一緒に大急ぎでロンデルンまで戻る
運びとなった。ここの件についてはシュリオに任せればいいって事で。
死体と一緒というのはちょっと嫌な旅だけど、まあすぐだから我慢だ。
翌日には王宮に戻れたし、その後はさすがに隊長たちに託した。
そしてナガト先輩の天恵によって、ようやく確信を得るに至った。
右腕のないこの女の死体が、間違いなく【氷の爪】本人という確信を。
長かったなあ、本当に。
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とは言え、万事解決には遠い。
そもそもこの女を倒したのは一体、誰だったのだろうか。
そしてこの事を通報してきたのは、誰だったのだろうか。
「順当に考えれば、オラクレールの誰かという事になりますね。」
「ですね。」
陛下の推測は至極もっともだった。もちろんあたしも同意した。
だけど、引っ掛かる部分も多い。
そもそもあそこの人たちに、こんなヤバい奴を倒す事が可能だろうか。
色々と技能に秀でてはいるけれど、それでも戦闘能力が高い人なんか
いなかったはずだ。どう考えても、その点はピンと来ない。
しかしその一方で、騎士隊に通報をしてきたというのはピンポイントで
可能性を絞れる要素だ。それもまた事実。何と言ってもあそこの人には
ナガト先輩の天恵を知らせている。あたしたちが神託師連続殺人事件の
犯人を追っている事も知っている。それを踏まえれば、殺したとはいえ
【氷の爪】のタレコミをした事には整合性がある。ってか、そこにしか
辻褄を合わせる要素がないだろう。
確証を得られるだけの物証はない。
しかし、なかば以上の確信がある。それは陛下や隊長たちも同じだ。
きっとシュリオもそう言うだろう。
「それじゃ、どうしましょうか?」
あえてあたしが陛下に訊いてみた。
「状況を鑑みれば、オラクレールが関与した可能性はかなり高いです。
実際に仕留めている以上、看過するのは危険だとも思えますが。」
「あなたはどう思いますか?」
「え?」
即答でそう問い返されたあたしは、ちょっとキョトンとしてしまった。
しかしほどなく、陛下の真意をその言外に察して気を引き締める。
別に、無責任な質問返しじゃない。むしろ切実な問いかけだろう。
あたしとシュリオの二人は、騎士隊の中でも彼らとの関わりが深い。
単なる状況証拠からだけではなく、総合的に見てどうかという問いだ。
ある意味、かなり重い問いである。
しかしあたしには、さほどの迷いもなかった。
「おそらく、それほどの危険はないだろうと思われます。」
「黙過しても問題はないと?」
「少なくともあそこの人たちには、ロナモロス教のような危険な要素は
ありません。それは断言します。」
「分かりました。」
即答した陛下がにっこりと笑う。
それを目にした隊長たちにも、もうあれこれ問おうという気配はない。
あたしの言葉を、そしてその言葉を信じた陛下を信じるという証だ。
ありがとうございます。
発言には、責任を持ちますので。
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「…あの女の身元は、どうにかして割り出せますかね。」
「最大限努力はしよう。」
ゲルノヤ隊長が、ナガト先輩からの問いにそう答えた。実際のところ、
それはかなり難しいだろうと思う。さすがにあたしにも分かる。
教皇女のニセモノを殺害したのが、あの死体の女なのはもう確定だ。
おそらく、神託師連続殺人の犯人だというのも間違いないだろう。
しかし実際のところ、彼女が本当にロナモロス教の人間だったとしても
現時点で打てる手は少ない。いや、下手に突っつくとまた問題になる。
ニセモノの遺体を本物として渡した以上、今突っつくのはなお危険だ。
「危険な存在が一人いなくなった。その事実だけを粛々と受け止めて、
今後に備えましょう。」
「はい。」
「それではもう、ひととおり調査を済ませたら埋葬して下さい。」
「仰せのままに。」
陛下の言葉に、あたしたちは揃って答える。
そうだ。
今となっては、そうするしかない。
死ねば皆、等しく終わりだから。
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夜は深かった。
そして、どこまでも静かだった。
ゲイズ・マイヤールの遺体の埋葬がされたのは、ロンデルン郊外にある
身元不明者用の墓地。その中でも、特に犯罪に関連する遺体の埋葬地。
関係のある者以外、立ち入る事さえ許されない曰くつきの場所だった。
もちろん、弔問に訪れる者などいるはずもない。なのでまともな門さえ
設けられておらず、埋葬を行う者と警邏する者が通る通用口しかない。
誰かが来る事などあるはずもない、忘れられた骸の終着点。
そこに
今
キュイン!!
かすかな音と共に、フードを被ったひとつの人影が出現していた。
まだ真新しい、ゲイズ・マイヤールの墓標のすぐ目の前に。
しばしの沈黙と静寂ののち。
「…やっぱり、辿り着けたか。」
フードを被ったまま、現れた人物―声からすると男―がそう呟く。
その口調には、どこか呆れのような響きが込められていた。
「…相手は死人だってのに、大した天恵だなカイ。」
『光栄です。』
「褒めたつもりはないけどな。」
くぐもった声で言い交わした男が、やがてゲイズの墓標に目を向ける。
フードの奥に光る眼に、弔意などはいささかも宿らなかった。
「何てザマだよゲイズさん。まさかこんな呆気なく死ぬとはね。」
答えなど変えるはずもない。しかし男は、なおも墓標に向けて告げる。
「だけど、俺はここに辿り着けた。カイの【共転送】の力を使ってな。
それが意味するところは、もちろんあなたにも分かるはずだな?」
憑りつかれたかのように、男の声は低く続いた。
「魂だか屍念だか知らないが、まだそういうのが残っているからこそ。
あなたはこの俺をここに呼び寄せる事が出来た。その事実は覆らない。
なら、文句は言うなよ。」
そこで言葉を切り、男は被っていたフードを一気にたくし上げる。
「いいぞカイ。ここに送れ。」
『仰せのままに。』
雲の切れ間から差した月明かりが、男の横顔を冷たく照らし出す。
コトランポ・マッケナーの横顔を。
そこに宿る、歪な覚悟の色を。