想定外の指輪
「何でいきなり帰るとか言い出すんだよ。俺なんかしたか?」
「だからちょっと調べ事だってば。明日の夜には帰ってくるから!」
(やっぱり怒ってるのか…)
「言っとくけど、別に怒ったりしてないからね!!」
「あ、ああ…」
「6時までにお砂糖届くから。じゃまた明日の夜に!!」
困惑しきりのトランに手を振って、あたしは慌ただしく店を出た。
悪い事したとは思うけど、ハッキリ言って一緒にいるのは無理がある。
とにかく、今のこの状況をきっちり理解しないと。
色んな意味で、気持ちが持たない。
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あたふたと外に出る。いつの間にかずいぶん日が長くなってるなあ。
入口のガラス越しに見るトランは、相変わらず困惑顔だった。さすがに
ここまで離れると「読心」の天恵も力を発揮しない。…あぁよかった。
あのまま際限なく心の声を拾われてたら、どうしようかと思った。
「ごめんね。」
聞こえない謝罪を呟いて、あたしは店を後にした。まずは実家に帰る。
勘ぐられるかもしれないけど、もうそれは仕方ない。
とにかく、まず状況を整理しよう。
ハッキリ言って、これは想定外だ。今までは何かにつけてお爺ちゃんの
意志が見え隠れしていたんだけど、これは手紙にも書かれてなかった。
いくら何でも、こんな重大な事実に触れないわけがないだろう。つまり
お爺ちゃんも知らなかったんだ。
さっきはちょっとパ二クったけど、さすがに少しずつ制御できるように
なってきてる。つまりこの「読心」という天恵の特性が掴めてきた。
…神託師であるこのあたしが掴んでどうするんだ、って話だけど。
おそらくこの能力は、自分に意識を向けている相手にしか発動しない。
だから、こんな風に大勢の中に身を置いても、四方八方から心の声が
聞こえてくるような事はない。もしそうだったら頭が変になるだろう。
今のところ、複数の心の声を一度に聞けるかどうかまでは分からない。
トランの声しか聞いていないから。
とりあえず、この点に関しては家に帰って検証しようと考えた。まあ、
家族が相手ならそれほど後ろめたい思いをしなくて済むだろうから。
そしてもうひとつ。
どうすれば、この天恵はあたしから抜けるのだろうかという点。
正直、この点に関しては確信に近い予想がある。多分間違いない。
簡単な話。指輪を外せばいいんだ。それで天恵はニロアナさんに戻る。
これは理屈とかじゃなく、薬指から伝わる感覚が教えてくれている。
と言うか、もしそうじゃなかったらお手上げだ。
でも今はまだ外さない。
とにかく、しっかり検証しないと。
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「何か食べたいものとかあるー?」
「いいってば!!」
実にしつこい母の言葉を振り切り、あたしはかつての自室に逃げ込む。
何と言うか、無駄に疲れた。
父も母も兄たちも、至って何気ない顔で迎えてくれた。それはいいけど
全員本心がダダ漏れ。いやあたしが心の声を勝手に拾ってるだけだけど
とにかく考えてる事が一緒だ。
(ケンカしたのかな。)
(もう倦怠期なのかな。)
(トラン君、下手だったのか?)
下手って何がだあぁぁぁ!
まだそこまで進展してないって!!
自分の家族たちが、こんな下世話な本心を持ってるとは思わなかった。
…ちょっと帰って来ただけなのに、どうしてそこまで余計な危機感を
持つんだろう。心の声って、聞けば聞くほど分からなくなるなぁ本当。
結局、あたしはまだまだ子供だって事なのかも知れない。
まあいいや。
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翌朝は、早くに目が覚めた。
と言うか、予想通り変な夢を見た。
まだ指輪は外してない。そのせいかどうかは知らないけれど、とにかく
一晩中変な夢で悶々とさせられた。…違う意味で身が持たないなあ。
そそくさと朝食を済ませ、家族からの生温かい視線から逃げるように
外出する。もう、検証は十分です。
家を出たその足で、ニロアナさんの教室に向かう。住居と併設なので、
予想通り本人がいた。
「こんにちはー。」
「あら、お久し振りネミルちゃん。戻ってたの?」
「はい。」
(もしかしてケンカ?婚約解消?)
あなたもですか。
勝手な言い草だとは思うけど、もういい加減にして欲しいなあ。
もしも自分のこの天恵を知ったら、何を聞こうとするんでしょうね。
まあ、それはもういいや。
さりげなく、あたしは指輪を外してしまい込んだ。同時に、自分の中の
異物感のようなものが霧散するのを感じ取る。ああ、やっぱ予想通り。
ニロアナさんの心の声も、もう全く聞こえない。少なからず安心した。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと。」
怪訝そうなニロアナさんに対して、あたしはニッと笑ってみせる。
ごめんなさい。
もうちょっとだけつきあってね。
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「ただいまー。」
「…よう、早かったな。」
「うん。まあやっぱりこっちの方が落ち着くからね。」
「よく言うぜ。」
素っ気ないひと言を返すトランに、あたしはニッと笑って答えた。
「ゴメンね突然。今日の分は働いて返すから。ね?」
「俺としてもそのつもりだよ。」
うーん、素っ気ないなあ。
心配してたくせに。
でもいいんだ。
もう、心の声は聞こえないけど。
トランが、どれほどあたしを大事に思ってるのかは聞かせてもらった。
顔が赤くなるのを必死で隠すくらいにはね。
今日の半日で、あたしはこの指輪の力をそれなりに検証してきた。
色んな人を対象にして、出来る事と出来ない事をきっちりと見極めた。
少し前に、トランがランボロスたちを実験台にして検証したように。
あたしも街の人たちで、自分の力をしっかり調べてきた。
何と言われようと、それは必要な事だと思ったから。
さて、じゃあこれについてトランに打ち明けるべきか否か。帰るまで、
ずっと迷っていた。だけどトランの顔を見たら、嘘のようにあっさりと
決心がついた。
うん、隠し事はよくないよね。特にあたしたちの間には。
こんな不条理な力を持ってしまった同士だ。共有は大事だろう。
「ねえ、トラン。」
「うん?」
「ちょっと話があるんだけど。」
「…何だよ、あらたまって。」
そんな顔しなくていいってば。
別れ話とかじゃないから!
…いかん、毒されてるなぁあたし。