俺とネミルと爺ちゃんと
そそくさと遅い朝食を済ませ、俺は母が用意してくれた服に着替えた。
一応は喪服らしいけど、俺なんかがあんまりあらたまった服を着るのは
かえって失礼にあたる。って事で、色だけはそれっぽいやつになった。
「じゃ行ってくる。」
「気をつけて。また後でね。」
母に見送られ、俺は自転車に乗ってステイニーの家を目指した。
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目指す家は割と坂の上にあるから、ギアを切り替える。俺の自転車は、
最新型の12段変速だ。
乗るたびに思う。
これ、絶対この時代にあるべき代物じゃないんだろうなと。
一昨年、両親と一緒に買いに行った際に店の人からちょっと聞いた。
この変則式自転車は「異界の知」のひとつなんだという事を。
異界の知。それは「天恵」によってもたらされる、こことは違う世界の
技術や知識の総称だ。この自転車を発明したギノアという人は、天恵に
よって変速ギアというテクノロジーを得たらしい。そのおかげで彼は、
一代で財を成したと言われている。いわゆるアタリを引いたって事だ。
別に、うらやましいとは思わない。たまたまアタリだったってだけだ。
それに異界の知は、危険なものだと判断されれば抹殺されかねない。
こういった無害な技術でなければ、己の身を亡ぼす危険な代物らしい。
悪いけど俺は、そんなのお断りだ。それに異界の知レベルの天恵なんて
それこそ数百万人に一人。宝くじを当てるよりも難しい。どっちみち、
俺なんかには縁のない話だ。
俺は平凡な料理人でいい。
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北に向かいペダルを漕いでいると、子供たちの遊ぶ声が聞こえてきた。
左手に見えてきたのは、恵神ローナを崇めるロナモロス教の教会の跡。
廃墟だったここの庭に、いくつもの遊具が設置されている。子供たちが
遊んでいる姿が見えた。そう言えば俺も昔、よくここで遊んだっけな。
遊具はどれも、爺ちゃんの手作り。補修していた姿を今も憶えている。
教団の腐敗と時代の流れが重なり、ロナモロス教は衰退していった。
それでいい。ローナ様はあんな宗教など求めていない。爺ちゃんはよく
そう言ってた。神託師としては少し問題のある考え方なんだろうけど、
もう誰も気にしてなかった。それが今の時代なんだと。
大仰な教義を謳い上げる代わりに、子供たちが元気に遊んでいる。
これでいいんだと、今なら俺だってちゃんと分かる。
なあ、爺ちゃん。
そうだろ?
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思ってた以上に、ステイニーの家の前は騒然としていた。
やっぱり急な事だったんだろうと、あらためて思った。こんな調子じゃ
ネミルはほったらかしだろう。今はとにかく俺のやる事をやるだけだ。
自転車を停めて入口に向かう。幸いそこに、ネミルのお母さんがいた。
パッと見にはいつもどおりだけど、少し目が赤いのが見て取れた。
「おばさん。」
「あら、トラン君。…こんなに早く来てくれたのね。」
「はい。この度は…」
うまく言葉が出てこなかった。
だけどおばさんは、笑って俺の肩を抱いてくれた。
「ありがとう。」
おばさんの手が震えてるのが判る。今は余計な事は言わないでおこう。
「ネミルは。」
「やっぱり、ネミルのために急いで来てくれたの?」
「はい。」
「じゃあ、奥の部屋に行って。すぐ判ると思うから。」
「分かりました。失礼します。」
それ以上は何も言わず、俺はスッと家に足を踏み入れる。おばさんは、
次に来た弔問客の相手をするために向き直っていた。
家の中は、普段より少し暗かった。
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奥の部屋ってのは、すぐに判った。応接間として使われてる部屋だ。
前まで来たものの、今になって少し気後れしている自分に気付く。
勢いでここまで来たけど、果たして俺に励ましなんて出来るのか?と。
でも、ネミルはここにいる。
なら俺は、俺のやるべきと思う事をやるだけだ。結果がどうであれ。
気を入れろトラン。19歳になった自分を信じろ。
深呼吸した俺は、覚悟を決めて目の前のドアをゆっくり開けた。
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部屋の明りは全部消えていたけど、窓からの光が差し込んでいた。
無理やり壁際に並べられたソファのひとつに、ネミルが座っていた。
両膝を抱えて、入って来た俺の顔をじっと見ている。その小さな手に、
紺色のハンカチを握りしめていた。俺を見つめる目は、やっぱり赤い。
泣き腫らしたのはすぐ見て取れた。
「…ネミル……」
何か言わなきゃと思う俺の顔から、ネミルの視線がわずかに逸れた。
反射的にそれを追った俺の視線が、部屋の反対側の一番奥に向く。
そこにあったのは
真新しい、大きな棺だった。
「……………」
おい。
あの中に、ルトガー爺ちゃんが?
ピッタリ閉まってるぞ。
あれじゃ息ができないだろ。
息が
できない
だろ
息?
そうか
爺ちゃんは
もう
息を
してないのか
もう
二度と
起きて
こないのか
爺ちゃんは
あの
大きな
棺の
中に
爺ちゃんは
………
………………
「…ああ。」
かすれた声を漏らすと同時に、俺は膝から力が抜けるのを感じた。
両手を床についた途端、涙が溢れるのを抑え切れなくなっていた。
気の利いた言葉も何もかも、頭から消え去っていた。
ルトガー爺ちゃんが死んだ。
その事実が、俺の心を押し潰した。
今になって。
ようやく今になって。
「ああああああぁぁぁぁ!!!」
俺は、声を限りに泣いていた。
床に突っ伏して泣いていた。
何もできず、ただ泣いていた。
「ああああああぁぁぁぁ!!!」
「うわあぁぁぁぁぁぁん!!!」
気付けば、ネミルが俺の背中に手を回して同じように泣いていた。
何とか身を起こし、その小さな体を支える。俺もネミルも泣いていた。
何が力づけるだ。
何が励ますだ。
俺にできる事なんて、これだけだ。
ネミルと一緒に、爺ちゃんを思って泣く。
これしかできない。
それが俺だったんだ。
爺ちゃん。
ルトガー爺ちゃん。
ネミルは俺に任せてくれ。
泣き止んだら、俺は前を向く。
だから安心してくれな。
ありがとう。
さよなら、ルトガー爺ちゃん。