悩む時も前向きに
「そうですか。ここはオラクレールなんですね。」
それほど驚きはしなかった。
見えないけど、何となく覚えのある気配を感じていたから。
前に一度だけ行きたいと頼んだ時、モリエナさんが目を付けたらしい。
あたしと伯父さんの二人を、最後に避難させる場所として。
ついて来るなと言っておいたのに、あの後自分で足を運んでいたのか。
いくら何でも、この状態でいきなり連れ込むというのは非常識過ぎる。
あたしはそんな事…
なんて事、もう言うつもりはない。そこまで恩知らずになりたくない。
悩みに悩んだ末に、モリエナさんは命を賭してあたしたちをこの場所に
送ってくれたんだ。その事はもう、あたしなりに心に刻んでいる。
だとすれば。
もう、絶望なんか絶対にしない。
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「トランさん、ここにいらっしゃいますか?」
「ああ、いるよ。」
何だか、やけに懐かしい声だ。
思い返せば初めてこの店に来た時、あたしはこの人に散々罵られた。
伯母さんの天恵に支配されてる状態だったけど、よく憶えている。
あれから、色々あり過ぎたなあ。
そんな今だからこそ、あたしはこの人に謝らないといけない。
ポロポネスにて、不意打ちのような形で天恵を使った事を。
「すみません。」
「…………………………」
「あたしは以前、あなたに【洗脳】の天恵を使って…」
「その話は、今はいいよ。」
「え?」
その反応は予想しなかった。
明らかに、知っている風だった。
確かにあの時は記憶を消したのに、どうして知ってるんだろうか。
じゃあ、ウルスケスの事とかも…?
「気にはなってるけど、今の俺には別に不都合なんて生じてないから。
あらためてゆっくり聞く。だから、今は君の事を優先しよう。」
「…はい。」
頷いた途端、新たな涙が流れた。
あらためてゆっくり、か。
そのための機会をもらえるのなら、これ以上あれこれ言うのは失礼だ。
何より今のあたしは、ここの人たちに果てしなく迷惑をかけている。
言葉通りの意味で、今はあたしの事を何とかするのが最優先だろう。
あらためて、あたしは腹を括った。
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「で、とりあえずどうすんの?」
誰にともなくタカネがそう言った。
「ゲイズが死んでいる以上、すぐにこの店の状況が動くとは思わない。
でも、少なくとも三人のこれからの身の振り方に関しては、出来るだけ
早く決めた方がいいと思うよ。」
「そうね。」
「だろうな。」
ローナも俺も賛同を示す。確かに、目の前にいる三人の状況打開こそが
最優先事項だ。現実的問題として、俺たちの生活を戻すって意味でも。
とりあえず、ペイズドさんに意見を求める事にした。
「具合はいかがですか?」
「嘘のように楽になりましたよ。」
即答しつつ、ペイズドさんは自分の手首に目を向けた。
「ですが、体はこの有様です。」
俺の素人目にもやせ細っているのがひと目で判る。よっぽど長い間、
寝たきりの状態でいたんだろうな。多分、まともに歩く事さえ難しい。
「分かりました。」
ここはもう、腹を括るしかない。
下手にどこかの病院に預けた場合、またロナモロスの連中の手が伸びる
危険が伴う。なら選択はひとつだ。
「状況と体調がそれなりに落ち着くまで、ここに居てもらおう。」
「そうね。」
「ですね。」
ありがとよネミル、ポーニー。
そうやって即答してくれると、俺の決意もしっかり固まるってもんだ。
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「じゃ、お店のお手伝いします。」
そう言ったのはモリエナだった。
「経験はありませんけど、どうにか覚えてお運びとかを…」
「いやちょっと待ってくれ。」
勢いのあるその言葉をあえて遮る。
「気持ちは嬉しいけど、正直うちの店はそんなに人手が必要な規模じゃ
ないんだよ。ネミルとポーニーと、あと一人いるから今は十分だ。」
さすがにローナの名は伏せておく。既に知ってるモリエナは別として、
他の二人には言わない方がいい。
「…そうですか。」
モリエナは残念そうだけど、これは中途半端に譲歩する話じゃない。
店員が多過ぎる状況は店にとってもプラスにならないし、下手をすると
経営そのものにひずみが出てくる。いっそ何もせず居候してくれる方が
助かるとさえ思う。
それにだ。
「君もランドレさんも、そういう事をすぐできる状態じゃないだろ?」
「…………………………」
俺の言葉に、二人とも沈黙を返す。ネミルやローナたちも小さく頷いた。
そんなのは、ペイズドさんと同様に一目瞭然だ。もっとも元気に見える
モリエナも、片耳を失っている上にあちこち傷だらけである。もちろん
タカネが手当てをしているものの、正直人前に出られる状態ではない。
そして、ランドレさんは失明状態。ある意味、三人の中で一番つらい。
今、彼女に何かを求めるのは酷だ。
勢いに任せて腹を括ったけど。
考えれば考えるほど、厳しいなあ。
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「…なかなかに難しい状況ねえ。」
腕組みをしながらタカネが言った。
「まあ、あたしもゲイズを殺した。ここまで乗り掛かった舟なんだから
できる事はやるつもりだけどね。」
「助かる。」
思わず本音を漏らしてしまったが、そのくらいいいだろう。な?
俺だって途方に暮れてるんだから。
「だったらもう、きっちりと現状を踏まえて考えようか。」
「え?」
タカネのその言葉に、ネミルが怪訝そうな表情を浮かべた。
「つまり、どういう事ですか?」
「今のこの状況だけじゃなく、今後何をするかって事も踏まえるのよ。
つまり、あたしたちも含めてね。」
「…………………………?」
ネミルもポーニーも、タカネのその言葉に同じように首をかしげる。
それに対し、俺は彼女の言いたい事をそこそこ察した。
客観的に状況だけを見れば、三人の傷病者がいるって構図でしかない。
しかし、ランドレさんとモリエナはロナモロス教団のこれまでの活動に
かなり深く関わっている。
ここに留まるという道を選ぶなら、そのあたりも聞く必要がある。
タカネが言いたいのは多分、そんな事だろう。
ただし、おそらく聞けば俺たちにも後戻りという選択はなくなる。
国家単位でとんでもない事をする、狂信者たちの内情を知るんだから。
もう一回、腹を括るか。
あくまでも前向きにな。