懸念と安堵と今後と
『替わりましょうか?』
「ああ、はい。」
(息子からです。)
(あ、はぁーい!)
丸聞こえのやり取りの末、聞き覚えのある高い声が飛び出してきた。
『もひもーひ!!』
「ポロ…ポーニーさんですか?」
『はあーい!すみません、ご実家にお邪魔ひてまぁす!!』
「いえ…」
さすがのシュリオも、この状況ではまともに言葉が選べないらしい。
無理もないよね。ある意味、かなり不条理な羞恥との戦いだろうし。
それにしても、何だこのモゴモゴとした口調は。何か食べてるとか?
『お母さまの手作りのマフィンが、もう美味しくて。羨ましいです!』
「はぁ…」
やっぱりそうなのね。
もういいからシュリオ、とりあえず本題に入りなさいって。
「ところで、そこへは寄り道せずに辿り着かれましたか?」
『え?…あ、ハイ。せっかく紹介状までもらったんですから、とにかく
一度はご挨拶に伺うべきかなぁとか考えまして。…ご迷惑でした?』
「いえいえとんでもない。むしろ、我々としては僥倖ですから。」
『あんまり長居するのは、さすがにご迷惑かなとは思ってます。なので
あまりご心配なく。ええっと…』
「あ、ちょっと待って下さい。」
無言のジェスチャーに、シュリオが反応してそのまま受話器を手渡す。
『?…もしもし?』
「お電話替わりました。」
『えっ、あ、はい。…どなた?』
「マルニフィートです。先日は」
『ゲホッ!!!』
陛下が名乗ったその瞬間、受話器の向こうのあの子は盛大にむせた。
まだ口中に残っていたマフィンを、思い切りぶち撒けたであろう姿が
やたら鮮明に想像できてしまう。
何と言うか、ほんの少し安心した。
いきなりの女王陛下に動揺する程度には、あの子も普通の感覚ってのを
持ってたのねと。
どんな安心なんだか。
================================
『し、失礼致しましたっ!!』
「いえいえ、こちらこそ先日は…」
言葉を切った陛下の目が少し泳ぐ。うん、どう言えばいいか難しいね。
「…ご挨拶も出来ませんで。」
『いえっ、あの、あたしもいきなり押しかけてしまって失礼を…!』
「あなたが訪ねてくれたおかげで、当方は後れを取らずに済みました。
感謝しています。」
『…それはつまり、謁見が行われたという事ですか。』
「そうです。」
『…………………………』
やはり思うところがあるのだろう。あの子はしばし黙り込んだ。
やがて。
『それでその、どうなりました?』
「どう、とは?」
『こうしてお電話頂いたって事は、少なくとも聖都と同じような事には
ならなかったんだと信じます。ならその…あたしのニセモノは?』
「先手を取って捕らえました。」
『つ、捕まえたんですか?』
「ええ。事前に【変身】なる天恵を持っている事は調べがついていた。
なのでそれを逆手に取りました。」
『…このあたしが本物だと、信じて頂けてますか?』
「もちろん。」
『……』
再びの沈黙。でも今度のそれには、明らかに安堵の気配を感じた。
そりゃそうだろうね。
あたしやシュリオ、それにノダさんやポーニーは信じていたけれど。
それでも、懸念だらけでロンデルンを去ったという事に変わりはない。
かなり呑気な性分だけど、それでも己の今後に不安はあったのだろう。
すぐシュリオの実家に行ったのも、何かしら安心が欲しかったのだと
考える方が自然だ。何と言っても、同行者がアースロ君しかいないのは
あまりにも心許ないだろうから。
だとすれば今、他でもない陛下から信じてもらえるのは心強いはずだ。
謁見の危機を乗り越えた事も含め、紛れもない吉報だったのだろう。
何と言うか、あたしもホッとした。
そして。
口調をあらためたあの子は、陛下に問うた。
『マルニフィート陛下。』
「はい?」
『ニセモノは、どうなりました?』
「聞く覚悟はありますか?」
『はい。』
「拘留したその日の夜に、侵入した何者かの手にかかり殺されました。
自殺に偽装されてね。」
『…つまり、口封じですか。』
「そう考えるのが妥当でしょう。」
『分かりました。』
ちょっと意外だった。
そんなに早く殺されたという事実を聞けば、取り乱すかと思ったのに。
チラッと見れば、やはりシュリオも意外そうな表情を浮かべている。
『今ここで、あたしがあれやこれや詳しく訊くのはよくないんだろうと
思います。立場が立場ですので。』
「賢明ですね。」
『ではひとつだけ。』
「何でしょう。」
『あたしたちはこれから、どうするべきでしょうか?』
ひとつだけ、がそれか。
聖教の事や父親の事ではなくて。
…………………………
賢明だ。
あたしは、少なからずあの子の事を見直していた。
================================
訊きたい事なんて、本当なら山ほどあるに違いない。それが普通だ。
ちょっと普通じゃない所もあるとはいえ、あの子だってそれは同じだ。
実際に謁見が行われた事や、自分のニセモノが殺されてしまった事など
現実は限りなく重い。事に対処したのがあたしたちなのだから、やはり
詳しく訊きたいのだろうと思う。
だけど、今の彼女はあまりに無力な存在である。それは誰よりも本人が
強く実感しているだろう。それが、容易には覆しようのない現状だ。
今の時点で明言はしていないけど、「教皇女が殺された」という建前は
きっと彼女も察している。
その上での「たったひとつの問い」なのだとすれば。
いい加減な答えは、許されない。
================================
================================
「それでは。」
『どうもありがとうございます。』
電話を切った陛下は、ほんの少しの間黙っていた。
そして向き直り、あたしたちに対しゆっくりと告げる。
「シュリオ、リマス。」
「はい。」
「ご足労ですが明日、彼女の許へと出向いて下さい。」
「はい。」
「了解です。」
やっぱりそうだ。
確信に近い予感があった。
「とりあえずそこに留まっていて」と答えた以上、一刻も早くその先を
明示する必要があるからね。
「やはり、直接会って話をしているあなたたちの方がいいでしょう。」
「ですね。」
「だけど実際、どうしますか?」
あたしたちが会って、話をするのは別にいい。個人的にも賛成である。
しかし少なくとも、どうすべきかの大筋は決めておかないとマズい。
細かい部分はさておき、そこだけはこちらとの意思統一が必要だろう。
しかし、それに対する陛下の返答に迷いはなかった。
「シュリオ。」
「はい。」
「あなたのお母さまって、どういう方かしら?」
「どういう…と言われますと。」
「今のこの状況を客観的に見た時、何かしら頼めると思う?」
「はい。」
…こっちも即答するんだ。
「こう言っては何ですが、私の母はこういう時には機転が利きます。」
「任せてもいい、と。」
「下手に仰々しい対応をするより、開き直ってうちの食客として迎える
選択の方がいいかと考えます。」
「分かった、信じましょう!」
そこで陛下は、パンと手を叩いた。
何かを決めた時の定番だ。
「細かい事はここでは話しません。いや、むしろ今この場であれこれと
決めてしまうと、予測され易い結論になりかねない。それならいっそ、
あなたのお母さま…ええと…」
「セルバス・ガンナーです。」
「セルバスさまの采配にお任せする方がいいかも知れませんね。」
「ほおー…。」
さすがのゲルノヤ隊長も、いささか呆れ顔で笑う。他の面々も同じだ。
だけど、反対する人はいなかった。もちろん、あたしも含めて。
結局、今の教皇女ポロニヤが微妙な立ち位置のままなのは変わらない。
いくら死を認定したとはいっても、ロナモロス側も本気で信じていると
いう訳じゃないだろう。だとすればまだ決着には遠いかも知れない。
あの子を、そんなゴタゴタの渦中に再び引き入れるのは気が進まない。
多分それはシュリオも同じだろう。なら、こういうのも悪くない。
セルバスさんというのが話の通りの人物なら、ちょっと面白くもある。
電話を聞いた限りでは、案外二人と気が合うかも知れない感じだし。
何事も、いたずらに深刻な考え方をするのがいいとは限らないだろう。
ある程度人任せにするのも、意外といいのかも知れない。
よし、あたしも全面的に賛成。
「どうせなら楽しく」の精神だ。
シュリオの実家とやらを、じっくり見てやるとしようかな。