ミズレリ・テートの命
マルニフィート陛下は、慈悲深い。
母として女王として、常に人の心を慮る事の出来る人物だ。
そんな方だからこそ、あたしたちは命を懸けて騎士隊の任に挑む。
だけど。
そんなあたしたちだからこそ知る、陛下の一面もある。
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教皇女ポロニヤとの、欺瞞に満ちた謁見が終わったその翌日。
東の特別棟に隔離していた教皇女の体は、既に冷たくなっていた。
カーテンを首に巻き付けての縊死。誰が見ても明らかな自殺だった。
発見したのは、このあたしだ。
早朝に部屋に入った瞬間、その結末を淀んだ空気の中に確信した。
だから驚きはしなかった。だけど、平然と受け入れた訳でもなかった。
ある意味、貧乏くじだ。
女性だからという理由で、あたしが朝のお伺いに赴く事になった。
「よろしくお願いね。」
陛下の言葉はごく簡潔だったけど、他意を含んでいたのも明らかだ。
それが任務だから、恨み言を述べる気はない。覚悟だってあった。
思う事は、ただひとつだけだ。
国を護るって、大変だなあ。
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「分かりました。お疲れ様。」
報告を聞いた陛下の表情に、明確な変化はなかった。
あたしも他の面々も、あえて言葉を探そうとはしなかった。
今は何を言っても無意味だ。
昨日、ラースが「変身」した陛下と明るく言葉を交わしていたあの子が
物言わぬ骸となり果てた。現時点でハッキリしているのは、それだけ。
もちろん、悲しむべき事だ。だけど今は、マルコシム聖教がどんな事を
言ってくるかについて対処するのが最優先だ。ここで対応を誤ると、
世界中の信徒を敵に回す事になる。たぶんイグリセでも内乱が起こる。
「全員分かっていると思いますが、乗り越えるべきは今日一日です。」
向き直った陛下が告げる。その声に迷いや震えは一切なかった。
「ラース。」
「はい。」
「相手の出方によっては、もう一度お願いしますよ。」
「もちろんです。」
ラースも迷いのない言葉を返す。
そう。
昨日の彼女は、限りなく危ない橋を渡った。教皇女に化けるというのは
それだけリスクの高い行為だった。しかし、まだ話は終わっていない。
オレグスト・ヘイネマンたちが強硬な態度に出れば、再び彼女の天恵が
必要になってくるだろう。
もちろん、今この段階まで至ってもまだ、確証と呼べるものは乏しい。
いくら状況を積み重ねたとしても、確信を得るには至らないのである。
そしてそれは相手側も同じだろう。オレグストの天恵があったとしても
何もかも見極められはしない。
何となく、壁の時計に目を向ける。まだ何分も経ってないんだな。
さすがに、時間が経つのがいつより遅く感じられる。
平静を保て。
目の前の現実に。
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教皇女ポロニヤがニセモノだったというのは、ほぼ確定的である。
だからこそ陛下は、あれほど大胆な策に打って出たと言えるだろう。
オレグストの能力の裏をかく形で、あのニセモノを確保するに至った。
彼らは、こちらの行動をどんな風に捉えたのだろうか。
目の前で起こった事を、額面通りに解釈してくれたのだろうか。
そんな甘い想定は許されない。
相手の思考力を過小評価するのは、まさに愚の骨頂でしかない。
おそらくオレグストたちは、襲撃が自作自演である事に気付くだろう。
彼が【鑑定眼】の天恵を使っていたと仮定すれば、こちら側の思惑にも
ある程度まで気付いていたと思う。陛下がニセモノだと看破したのなら
さぞかしあの場が滑稽に思えていた事だろう。正直、それは同意する。
だとすれば、向こうは焦るはずだ。
決め打ちで拘束したなら、取り調べが苛烈になっても不思議ではない。
見た目完璧なニセモノがこちらでも用意できる以上、場を取り繕うのは
難しくもない。その間にニセモノが拷問死したとしても、どうにでも
ごまかせる事実に思い至るだろう。もちろん、その過程において情報が
漏れてしまうという可能性にも。
危険な状況は、お互いさまだ。
だからこそ陛下は、あえてひとつの策を講じた。
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申し訳ありません、ポロニヤ様。
我々の至らなさのため、このような事態を招いてしまいまして。
お詫びの言葉もありません。
ですが、ご安心ください。
賊の正体は早々に露見しましたし、ニセモノだという裏も取れました。
教皇女は、間違いなくあなたです。その点はご安心ください。
用心のため今日だけこちらにご逗留頂きます。何とぞご容赦ください。
明日の午後には、使者の方々と共にお帰り頂けます。ご心配なく。
今夜は、こちらの特別棟でゆっくりお休みください。後のお話は明日、
お迎えの皆さまが見える前にでも。
え?
もちろんです。
この状況であれこれ質問するなど、無礼の極みでしょう。
お疲れでしょうから、ゆっくり心を落ち着かせてお休みください。
重ねて申し上げますが、ご心配には及びません。賊はもう捕えました。
はい。
それでは、お休みなさい。
…………………………
自殺?
悪いけど、それは信じられない。
昨夜のあのやり取りの後で、彼女が死を選ぶとは絶対に考えられない。
理屈だけではなく、あのホッとした表情に少なくとも偽りはなかった。
まともな聴取さえしていないのに、そこまで追い込まれるはずがない。
あたしだって、鎧越しに謁見の様子をずっと見ていたんだ。
あの女性が、そんな簡単に己の命を捨てたりするもんか。
もうすぐだ。
本当の答えは、もうすぐ出る。
如何に言葉を並べようと、覆す事ができない本当の答えが。
あたしは、それを待っている。
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…………………………
そろそろ、日が傾いてきた。
オレグストたちから何か言ってくる気配は、とうとうなかった。
ある意味、それを待っていた。でも現実なんて、所詮はそんなものだ。
教皇女が拘束されたにも関わらず、何ひとつ問い合わせをしてこない。
やりようによっては、国際問題にもできそうな状況なのに。
どうしてそれをしないのか。
なぜ、沈黙を保っているのか。
可能性はいくつもある。
都合のいい解釈なんて、いくらでもできるだろう。
だけどもう、可能性だけであれこれ考えるのは飽きた。
そんなものより、あたしは騎士隊の仲間の天恵を信じて見極めたい。
この救いのない状況の、真実を。
「よろしくね、ナガト。」
「はい。」
教皇女が己の命を絶った、特別棟。
陛下が自ら足を運び、ナガト先輩に命じた。当の先輩はいつも通りだ。
気負う風もなく、粛々と命じられた任務に臨む。先輩にしか出来ない、
重要な任務に。
夕陽が差し込む室内で、かすかな音だけが響く。自殺の現場を、先輩が
天恵を用いて調べている音だ。
あたしたちは黙って待った。
陛下も、何も言わずに待った。
数分後。
「終わりました。」
「ご苦労さま。」
戻って来た先輩の表情は、やっぱりいつもとさほど変わらなかった。
あたしたちは、黙って待った。
「どうでした?」
「感知できました。【変身】以外の天恵の残滓を。」
「やっぱり。」
淡々と呟く陛下の手が固く握られたのを、あたしは横目で見ていた。
「どんな天恵でしたか?」
「【共転移】と【氷の爪】です。」
その声は、かすかに上ずっていた。
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やっぱりか。
氷の爪。
やっぱりお前が来たのか。
やっぱりお前が
ここに来て
彼女を
殺したのか。
三人の神託師と同じように。
いや。
痕跡を残さず、自殺に見せかけて。
全ては繋がった。
ロナモロス教の実体が見えた。
それが、彼女の命の対価だ。