俺のネミルに触るな
状況は、どこまでも悪かった。
こいつらは明らかに、俺とネミルに因縁をつける気で来ている。
対応を間違えれば、こちらが怪我を負う事態にさえなり得るだろう。
客観的に見ると、暴力で勝てそうな奴は一人しかいない。しかもそれは
ランボロスじゃない。取り巻きの中でも一番下っ端っぽい奴だ。
非常に情けないけど、それが現実。
俺の腕っぷしなんて、その程度だ。
どうにかして、被害を出さないよう立ち回って帰らせるしかない。
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「…ご注文は。」
「実に商売熱心だねえ。古い友達がわざわざ訪ねてきたってのによ。」
ガチャン!!
言い終わると同時に、テーブルの上の一輪挿しが床に落とされ砕けた。
それを目にしたネミルが、トレイを胸元で握り締めて唇を噛む。
テーブルに花を置きたいよね!
そう言って俺を誘い、わざわざ隣の街まで買いに行った一輪挿しだ。
何でこんな奴らに、何の理由もなく壊されなきゃいけないんだ。
「悪い悪い。まあ気にすんなよ。ワザとじゃねえから。な?」
はらわたが煮えくり返った。でも、ここで手を出すわけにはいかない。
ランボロスは都市総代の甥っ子だ。こいつの言った事は、まかり通る。
どちらに非があろうと、俺たちではその現実は絶対に覆せない。
何より、もしここでうかつに挑発に乗って乱闘なんか始めたら。
絶対にネミルが怪我をする。
ただひたすら、耐えるしかない。
奴らが、飽きて立ち去るまで。
どうしてこんな事になってるんだ。
そして、あいつらの影は何なんだ。ますます濃く、禍々しくなってる。
ひょっとすると、ネミルにも見えているんだろうか。
怯えの表情を浮かべている事までは判っても、それ以上は読めない。
無力な自分が情けなかった。
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「それでマグポットよぉ。」
「…何です。」
「お前、うまいことそいつを自分のモノにしたらしいじゃねえか。」
「………………」
吐き気がした。
やっぱりこいつらは、それを知った上でここに押しかけてきたのか。
「老いぼれの神託師に取り入って、まんまと女と家を手に入れたかよ。
やるねえ。俺も見習いたいぜ。なあみんな?」
「確かにうまい手だ。」
「俺ももう少し知恵が働いてたら、今頃ここが手に入ってたのにな。」
「うらやましい話だぜ本当に!」
「先輩って呼んでいいッスかね?」
下卑た笑いが重なる。
そろそろ、我慢の限界だった。
俺の事はまだいい。しかしネミルと爺ちゃんを侮辱するのは許せない。
それでも、手を出したら負けだ。
俺はネミルとこの店を、何が何でも守ると爺ちゃんに…
「それはそうとお前、もうそいつに種は仕込んだのか?」
「…何だと?」
「どうやら、まだらしいな。」
言いながら、ランボロスはニイッと笑って立ち上がった。
取り巻きたちも含めたその視線が、迷いなくネミルに向けられる。
「ま、お前みたいなガキじゃろくにリード出来ねえよなぁ。」
「何を言って…」
「だぁからよ、察しが悪いってんだマグポット!」
そう言い放ったランボロスの手が、ネミルの腕を無遠慮に掴んだ。
「ガキ同士じゃ埒が明かねえだろ?…だったら俺たちに任せろってよ。
こいつにしっかり仕込んで、お前をリードできる女に仕立ててやるよ。
悪い話じゃねえだろ?感謝しろよぉマグポット!」
「てめぇ!!」
限界だった。
こいつの闇は、底が見えない。
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ガシッ!!
駆け寄ろうとした俺は、カウンターを出た瞬間に羽交い絞めにされた。
どう考えても、ここで俺が激昂する事を想定していたとしか思えない。
待ち構えていた取り巻きの二人が、俺の腕を左右から押さえていた。
「おォいおい、何を怒ってんだよ?感謝するとこじゃねえのか?」
「ランボロス…お前……!!」
「誰を呼び捨てにしてんだお前?」
ドスッ!!
「ぐっ!!」
いきなり顔を歪ませたランボロスの拳が、俺の左脇腹に突き刺さった。
息が詰まり、視界がかすかに歪む。傷を残さないように体を殴るか…!
「トラン!!…痛ッ!!」
身をよじるネミルが、腕を捩られて悲鳴を上げる。
「安い女に何を猛り狂ってんだよ。ちょっと金出しゃあ、もっといい女
いくらでも抱けるんだぜ?もう少し大人になれやマグポット。」
ゆっくりと言いながら、ランボロスは空いた手で俺の髪の毛を掴んだ。
なおもまとう黒い影が、指を伝って俺の髪にじわじわと滲み込む。
「ってわけだ。黙って見てろ。」
俺の頭から手を離し、ランボロスがネミルの顎を掴んで上を向かせる。
ゆっくりと顔を寄せるその様を見た俺の中で、何かが切れた。
いや、違う。
俺の中に、一つの確信が生まれた。
頭から滲み込んできた、こいつらのまとう黒い影。
その正体が、理屈ではなく肌の感覚で理解できた。そして確信した。
顔を上げて、俺は叫んだ。
「動くんじゃねえ!!」
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ビシィッ!!
黒い影は、そのまま結晶と化した。
「…!?」
ランボロスもその取り巻きたちも、結晶に固められた状態で硬直した。
声を上げる事もなく、ただ目だけをぎょろぎょろと動かしている。
「な、何!?」
動かなくなったランボロスに右腕を掴まれたまま、ネミルが俺を見る。
「これ、どうしたの!?」
「ネミルを放せランボロス。」
「うぁっと!」
いきなり腕が自由になり、ネミルがたたらを踏む。はずみで反対側に
立っていた男にぶつかるも、その男も微動だにしなかった。
「お前らも放せ。」
言うと同時に、俺の腕を掴んでいた二人もパッと手を離した。
「………………!!?」
「こっち来い、ネミル。」
手招きする間もなく、ネミルが俺の傍らに駆け寄って袖を掴んだ。
「大丈夫だったか?」
「う、うん。…だけどこれって…」
「分からないか?」
「え?」
俺の顔を見上げたネミルが、ハッと何かを察する。
おそらく、俺のこの目に「何か」を見たんだろう。
…何色に光ってるんだろうな。
ああ、やっと理解した。
あの禍々しい黒い影は、ランボロスたちが自分で放ってたんじゃない。
「俺だけが見ていた」んだ。
触れた事で確信が生まれた。
これは俺の天恵。
「魔王」の力の発現なんだと。