タイムパラドックスの壁
色んな事を経験してきた俺たち三人だけど、さすがに最近の出来事には
いささかついて行けてない。でも、それなりに理解だけはしつつある。
トモキが事故死したという事実は、この上ないほど説得力のある映像で
確信が持てた。事故の結果として、トモキはフレドに転生した。
ここまではもう、トモキ本人も含めしっかりと認識を共有した。
ここからは、本当に俺たち次第だ。
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「もう言うまでもないと思うけど、異なる世界への干渉には少なからず
リスクがある。そもそも、干渉する事自体が非常に難しいのよ。」
「難しくても、方法はあるという事だよな?」
「まあ、そういう事ね。」
苦笑と共にローナが頷いた。俺も、かなり意地の悪い訊き方をしている
自覚はある。だけどこういう時は、遠慮しても無駄が増えるだけだ。
だったら、出来る事と出来ない事をしっかり明確化しよう。
「ちょっと思ったんですけど。」
そう言ったのは、意外にもポーニーだった。何を思いついた?
「あの交通事故の瞬間は、何度でも見直して確認できるんですよね?」
「ええ。それは大丈夫。」
「事故の前なら、いくらでも遡って確認できる。そうでしたよね?」
「事故の前ならね。」
『それが何なんですか?』
少し不安げな声でトモキが言った。無理もない。遡って見るってのは、
彼のプライバシーを丸裸にするのと同じ行為だからな。でももちろん、
ポーニーが言いたいのはそういった下世話な話じゃないだろう。
「方法はまだ知りませんけど、もし向こうの世界に干渉できるなら…」
「出来るなら?」
「あの事故自体を未然に防ぐという選択は、考えられないんですか?」
ああ、やっぱりそういう話か。
正直、俺もちょっと頭をよぎった。それは認める。
だけど多分、無理だろうな。
そんな形で異世界の過去の出来事に干渉するなんてのは…
「まあ、出来なくはないと思う。」
「え!?」
思わず頓狂な声を上げてしまった。
いや、出来るのかよ。
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「難しくはある。けど、こうやって映像で捉える事が出来る時点なら、
干渉するのは不可能じゃない。」
「それじゃあ…!」
「ただし、多分無駄になるわね。」
「えっ、無駄?」
予想外の言葉だったんだろう。返す言葉はかなり怪訝そうだった。
なおもポーニーは食い下がる。
「無駄って何ですか。そんな事…」
「物事の流れっていうのは、かなり強い力を持ってるの。」
ポーニーだけにではなく、ローナは俺たち全員に語りかけた。
「あの事故から先が見れないのは、起きる事がほぼ未定の状態だから。
逆に言えば、見られる時間に起きた事象は確定してるって事なのよ。」
「確定?」
『ああそうか、そういう事ね。』
なお納得できなさそうなポーニーに対し、タカネの声には納得の響きが
込められていた。
『あたしたちは、友樹がこの世界に転生したって事実を目にしている。
そして事故死の瞬間を映像で見て、はっきり認識している。つまり…』
「つまり何ですか。」
『仮にどうにかして事故を防いだとしても、友樹が転生するって事実は
もう変わらない。でないと、ここでやってる事に矛盾が生じるから。』
「そういう事よ。」
我が意を得たりといった口調でそう言い放ち、ローナがポーニーの顔を
じっと見つめて答えた。
「ここにトモキがいる以上、事故を防いでも彼はいつか同じような目に
遭って死ぬ事になる。この世界で、ディナの子として転生するために。
世界っていうのは、そういう修正力を持って時を刻んでいるのよ。」
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「…………………………」
さすがに理解したのだろう。
もうそれ以上、ポーニーはしつこく食い下がろうとはしなかった。
タカネほどではないけど、俺も理屈はそこそこ分かった。
いわゆるタイムパラドックスだ。
あの【死に戻り】と関わった時も、パラドックスの危険は考えていた。
ネミルが天恵の宣告を行う事実を、消してはいけないという懸念だ。
規模も内容も違うけど、今の状況はあの時の危うさに少し似ている。
トモキがここにいる以上、その死は確定している。それだけを聞けば、
何とも言えない悲劇と思える。が、もういちいち嘆くのは飽きた。
そういう修正力が働くというなら、そっち方面の解決は潔く諦めよう。
むしろ今重視すべきは「見えない」未来の方だ。
やたら深刻に捉えていたが、見方を変えればあれは安全装置のような
ものだったのではないか、と思う。つまり、俺たちが何かを知る事で、
未来を確定してしまわないための。
例えば、もし俺たちがトモキの死体検案書を見たりすれば、その死因を
知る事が出来る。しかしその一方、そこから解決策を見つけたりすれば
致命的矛盾が生じてしまう。事故で死亡した事実が揺らいでしまえば、
間違いなくパラドックスが生じる。
俺たちが見たのは、事故の瞬間だ。強引だけど「死」の瞬間じゃない。
そこにはまだ、トモキ自身の生死ははっきりと映されてはいなかった。
活路を見出すとすれば、あの瞬間。干渉できるのは多分あそこだけだ。
少なくとも、俺はそう思う。
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「鋭いねえ、さすがはトラン。」
どうにか私見を説明し終えた俺に、ローナは嬉しそうな笑みを向けた。
「あたしたちが諦めていない事が、未来を映さない原因なのは確実よ。
なら、見える範囲の過去から打開策を考えるしかないって事。」
『なぁるほどね、納得。』
いかにも納得したという高い声で、タカネもそう言い放つ。
『そう言えば環の時も、病死の後の顛末なんて何ひとつ知らなかった。
知らなかったからこそパラドックスを生まずに済んでたという事ね。』
「危ない橋を渡ってるわねえ。」
呆れ顔でローナが言う。いや本当、タカネも大概に怖いもの知らずだ。
とは言え、そういう体験談が非常に心強いのもまた事実。
理解を超える話ばかりが続くけど、それでもどうにか道が見えてきた。
ここまで来れば、手探りでも進んで行くしかないって事だ。
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「ちょっと疑問なんですけど。」
話が一段落しかけたところで、そう言葉を挟んだのはネミルだった。
「事故を防いでもトモキはどこかで死んで転生する。それが世界の持つ
修正力だ…って事ですよね?」
「え?ええ、そうだけど。」
「人ひとりの生死なら、そんな風に世界そのものが歪みを修正できる。
じゃ、もっと大きな歪みが意図的に加えられたら、どうなるんです?」
「つまり、抑え込めないほど大きなタイムパラドックスって事?」
「そうです。」
「…………………………」
しばしローナは答えなかった。
ネミルも俺たちも、黙ってその答えを待った。
そして。
「その時は、関わった全ての世界が連鎖的に崩壊していく。もちろん、
この世界もね。もしそうなったら、あたしじゃ崩壊は止められない。」
「…分かりました。」
容赦ない答えだな。
だけど、きっとそれは嘘じゃない。
二つの世界にパラドックスが生じた時、全ては崩れていくって事か。
簡単じゃねえなあ、本当に。
気を引き締めてかからないと。