友樹の運命の瞬間
フィルゼィオット・ネース心筋弁膜萎縮症候群。
荒野友樹の伯母に当たる蒼炎魔法の使い手、二階堂 環の死因となった
心臓疾患である。21世紀末の地球においては不治の難病だったけど、
このあたしにとっては「最初から」ごく普通に根治可能な病気だった。
死を待つだけだった環を救うため、あたしと拓美とミロスは異世界へと
転移した。そして、環の肉体を治し魂を元に戻して見事に救った。
あれ以来、あたしたち三人はずっと環の生きるハングトン時空にいた。
事故で向こうの世界に飛ばされた、糸崎蓮と奈美川千恵。この二人も、
どうにか保護した。蓮はリューノという少女と一緒に、転生という形で
ハングトン時空へ帰還を果たした。
その3年後、拓美とあたしは宇宙への新たな旅に出発した。その際に、
リータ・ドルニエスの姿を模倣して現出したのが「この」あたしだ。
正確に言うとあたしのオリジナル。プログラムとして友樹の記憶の中に
仕込まれたあたしは、このタカネを完全コピーしたバージョンである。
だからこそ、友樹という人間が誰であるかについて正確に知っている。
ただし、それは生後1ヶ月までだ。
どんな人生を経て異世界転生したのかは、全く知らなかった。
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今の友樹には、自分が死んだ瞬間の記憶が無いらしい。
単に思い出せないのか、死んだ時の記憶そのものが存在しないのか。
いずれにせよ、環の時とはいろんな意味でかなり事情が違っている。
「突然過ぎて憶えてないってのが、いちばん有力かなあ。」
ローナは友樹の現状を、そんな風に見立てた。あたしとしても賛成だ。
環は病魔に蝕まれ、闘病生活の中でゆっくりと生きる事をあきらめた。
そして愛する家族に看取られつつ、病室のベッドの上で息絶えた。
その魂はミロスの召喚魔法により、異世界で暮らしていた貴族の娘、
オルラ・ベステュラに転生した。
それから、凄まじいスッタモンダを経て、彼女は自分の体に戻った。
臨終の瞬間にあたしたちが無遠慮に殴り込み、彼女を救ったのである。
環は、その時に起こった事を鮮明に憶えていた。あたしたちが来た事、
そしてその直前、自分が病死したという事もきっちり憶えていたのだ。
病気に苦しんだからこそ、彼女には死の記憶が鮮明に残っていた。
その事を踏まえて考えれば、友樹が臨終の瞬間を思い出せない理由は
そこそこ推測できる。転移や転生を何度もこの目で見てきたあたしだ。
その程度、いくらでも考えられる。
おそらく友樹は、かなり唐突な絶命をしたのだろう。
思い出せないというより、記憶する間もなく死んでしまったって事だ。
もちろん無意識に忘れているという可能性もあるけど、とりあえず今は
こっちの推測を重視してみる。
病死ではない。おそらく誰かの手で殺害されたのでもない。それなら、
記憶する猶予くらいあるはずだ。
とすれば、可能性はひとつ。
交通事故死だろう。
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もちろん、本人にそんな残酷な事は言えない。
と言うか、確証もないのに現時点でわざわざ言う事でもないだろう。
可能性が高いってだけの話だ。
とは言え、雰囲気から察するにもうローナはその辺は察してるはずだ。
いや、おそらく友樹自身もそっちの可能性には思い至っているだろう。
むしろ、トランたち三人の方がその発想に至っていない感じだ。まあ、
この世界のこの時代じゃ、自動車はまだまだ普及し切ってないからね。
「異界の知」とやらで、一気に状況が変わる事も考えられるけど。
まあ、今はそんな事はいい。
荒野友樹が生まれたのは、あの世界における2024年の9月6日。
従姉妹にあたる拓美よりも、ひとつ年下だ。拓美は弟ができたみたいに
喜んでいたっけ。ま、あたし自身が見たわけじゃない、遠い記憶だ。
少なくともそこから15年に渡り、友樹はあの世界で生きていた。
16年目の2040年からの映像が見られないって事は、15歳時点で
死んで転生したって事になる。もうローナも開き直って「その瞬間」を
確実にあぶり出すつもりだ。あたしもトランたちもほぼ蚊帳の外状態で
見守るだけ。
ただひたすら、友樹の生前の記憶を辿り絞り込む。映す時間の切替えは
割と手間だけど、もう今となっては些細な事だ。15歳の当時、つまり
友樹的には「ついこの間」の記憶を細かく聞き出して、具体的に行動が
分かるのならその場所・その瞬間にあらためて映像を切替える。
手間ではあるものの、もう具体的なタイミングはかなり絞られている。
こんな時は、どんな気持ちで結果を待てばいいのだろうか。さすがに、
こういう経験は記憶にない。大抵、ヤキモキするのは拓美だったし。
確か環の時は…
「あった。」
ローナのひと言は、唐突だった。
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我知らず詰め寄ったのは、あたしもトランたちも同じだった。とは言え
あたしは物理的に詰め寄ったという訳じゃないけど。…体がないし。
さすがに、いきなり友樹に見せるというのは危険過ぎる。…それでも、
いずれ見せる事になるだろうけど。
ともあれ確認だ。
『いつ?』
『2039年9月18日の夕暮れ。ここが確認できる最後の時点よ。』
『9月18日…』
画面が見えない状態で、友樹本人が何かを思い出したらしく呟く。
『…部活帰りだ。遅くなったから、自転車に乗って急いでいて…』
そう言うと同時に、画面に言葉通りの映像が映し出された。何となく、
監視カメラを思わせるアングルだ。通りの向こうから走ってくるのは、
何度か映像で見た15歳の友樹で…
……………………
…………………………
ガシャアァァァァン!!
一瞬だった。
五差路の斜め後方から、信号無視で突っ込んで来た大型の乗用車。
それが自転車に激突して、そのまま友樹を撥ねた。その身体は反対側の
ブロック塀に頭から激突。乗用車はそのまま逃げるように走り去った。
ブロック塀に微かに血が飛び散り、友樹はずるずると崩れ落ちて…
プツン。
まるでテレビを消したかのように、そこで映像は真っ黒になった。
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「…………………………」
しばし、誰も何も言えなかった。
トランたち三人はもちろんとして、あたしもローナも言葉が無かった。
音でおよそ察したであろう友樹も、何も言わなかった。
予想通り…という表現はこの場合、限りなく不謹慎なのかも知れない。
まさにこの瞬間を探していた事実を思えば、ある意味で達成でもある。
目的に向けて、大きな進展を成したのも事実だ。
それでも、映し出された「事実」は限りなく重かった。
そして。
「決まりね。」
何かを吹っ切ったかのような口調で言ったローナが、あたしたち全員の
顔を見回して続ける。
「この日の交通事故で、荒野友樹は死亡。そしてディナの天恵によって
この世界のフレド・カーラルの体に転生した。」
「もし姉貴がネミルから天恵宣告を受けてなかったとしたら、やっぱり
結果は変わってたのか。」
そう質問したのはトランだった。
「【偉大なるゆりかご】ってものが無かったなら、転生せずにそのまま
本当に死んでいたと…」
「いや、多分そうはならなかったと思うよ。」
予想に反し、ローナは即答でトランの説を強く否定した。
どういう意味?
「じゃあ、どうなるんだよ。」
「ディナが覚醒していなかったら、次の世代のゆりかごで転生したか。
あるいはもっともっと先、何百年も未来のゆりかごで転生していたか。
でなきゃ、こことは違う世界の誰かに転生していたか。いずれにせよ、
トモキは異世界転生するって運命を辿っていたはずよ。」
「…………………………」
『そうなんだ。』
あたしは、ローナの語るその仮定をあっさりと受け入れた。何となく、
納得できる推論だと思えたからだ。
友樹本人がどうであれ、彼の周りの環境は確かに普通じゃなかった。
二階堂環、ミロス・ソートン、拓美とこのあたし。さらには糸崎蓮と、
未来人のリューノ。何より、その前に行われた大規模な異世界転移。
異世界の人間や生物が、群れ成してあの世界に押しかけていたのだ。
数年かけてその異常事態そのものは収束した。とは言え、あんな事が
起こった世界が普通なわけがない。
特異点近くにいた友樹がこんな事になったのは、必然だったのだろう。
ミロスがこの事態を15年近く前に予知できたのも、納得できる話だ。
どう足掻いても、友樹はこうなる事が運命だったと言うしかない。
『…参ったな…』
ポツリと呟く友樹の声は、限りなく重い響きだった。
何も知らない15歳の少年が背負うには、あまりにも重い宿命だ。
だけどね。
『んじゃ、先を考えようか。』
あたしの言葉に、トランたち三人もハッと顔を上げる。まるでたった今
目を覚ましたかのように。
そうそう、シャキッとしてよね。
確かに、重い現実は目の前にある。だけど、それで委縮してどうする。
まだまだ取っ掛かりを掴んだばかりの段階だ。結末は限りなく遠い。
友樹が異世界転生するのが、絶対に避けられない運命だったのならば。
転生したこの世界がアタリだったかハズレだったかは、この場に集った
あたしたち次第だろう。それはそれこれはこれで、まずは受け入れる。
受け入れた上で、ここから先は皆で知恵を出し合って決めればいい。
拓美なら、きっとそうするから。
「そうだよな、確かに。」
苦笑したトランが、そんなひと言を口にした。
「ここから先の映像が真っ黒なら、まだまだ可能性はあるって事だろ。
引き受けた以上、俺たちももう一度腹を括ろうぜ。」
「そうね。」
「ですよね。」
「そうね。ね?トモキ。」
『…はい!』
『よおし、いい返事だ。』
さすがは荒野の血を引く男子だよ。
さあて。
待ってなよ、拓美。
この子は、何としてもそっちの世界に送り返してやるからね。