早送り不可
「おはようございまーす!」
「え?」
ネミルの挨拶に、家を出ようとしていたディナはキョトンとした。
俺とネミルが家まで来るとは、まあさすがに思わなかったんだろう。
フレドを抱いた半端な姿勢のまま、固まってしまっていた。
「よう姉貴。おはよう。」
「お…おはよう。」
俺たちの顔を見比べつつ、ディナは怪訝そうに言った。
「何?もしかして、この子を迎えに来てくれたとか?」
「もちろんそうです。」
「ええー…」
何とも言い難いといった態だった。無理もないだろうなぁ、うん。
意外と…と言ったら怒られるけど、ディナは人に対し気を遣う性分だ。
いくら相手が俺たちとは言え、己の幼い子供を頻繁に預ける事に対して
けっこう負い目を感じている。俺もそんなにいい顔はしなかったから、
尚更だ。いつ断られるだろうかと、ずっと思っているのは間違いない。
そんな俺たちがわざわざ朝に迎えに来る…なんてシチュエーションは、
はっきり言って信じ難いんだろう。困惑は手に取るように解る。
「じゃあ…お願いします…」
「承知しました!」
いそいそとフレドを受け取るネミルに、怪訝そうな目を向けるディナ。
うん、さすがに怪しまれてるなあ。
「気にすんなよ。俺たちとしても、この子の世話は思っていた以上に
楽しいからさ。」
「本当に?」
「ああ。」
「…念のために聞くけど。変な事を仕込んでないでしょうね?」
「何で俺たちがそんな事するんだ。意味がねえだろ。」
「うーん…なんか最近この子、泣く機会がすっごい減ってるし…」
釈然としないディナに、俺はニッと笑って言った。
「いい事じゃねえか。」
「まあ…そうなんだけどね。」
それ以上考えても答えは出ないと、自分なりに結論付けたのだろう。
苦笑を浮かべたディナが、俺たちに手を合わせた。
「んじゃ、今日もお願いします。」
「分かった。」
「お任せ下さい!」
出勤していく背を見送り、俺たちは同時に頷き合った。
さあて。
もうローナもタカネも来ている。
重要な一日の始まりだ。
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『…お、おはようございます。』
ディナだけでなく、フレドもかなりお迎えには困惑していたらしい。
ちょっと悪い事したかな…と反省。まあ、意気込みの証と思ってくれ。
既にヘッドホンが着けられており、タカネの声は別の機器から聞こえる
同時会話仕様になっている。つまり準備万端って事だ。もちろん営業は
しているけど、今日は朝から検証をする。多少の不自由は承知の上だ。
そのため、今日は店のテーブルではなくバックヤードで作業を進める。
もし怪しまれた時は、不本意だけど俺の「魔王」で適当にもみ消す。
今日は、ディナが迎えに来るまでにある程度話を詰めてしまいたい。
そのためには、検証開始は早い方がいい。
それは、俺たち五人の総意だった。
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「早速だけどね。」
キーボードを操作しつつ、ローナがフレドに告げた。
「昨日、あなたが転生前にいた世界を特定できた。」
『え、ホントですか!?』
「タカネの存在を辿ってね。」
『ええー!ありがとうございます!こんなに早く…!』
さすがに嬉しそうだなフレド。
ちょっと大人びた一面があるけど、こういう反応は歳相応って感じだ。
…いや、見た目の歳とは全く合ってないんだけど。まあそれはいいや。
『それで、僕がどうなったかは…』
「それは分からない。」
『え?』
『具体的にいつ何があったのかは、現時点では探れてないって事よ。』
ノートパソコンの脇に置かれた機器から、タカネがそう答えた。
『それは、あなたが思い出さないといけないの。』
『…僕がですか?』
「そう、あなたが。」
ローナの声に実感がこもる。
昨日あれから色々と検証した結果、そういう結論に達していた。
ここからは、フレド頼みだと。
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タカネいわく「ハングトン時空」。フレドが、いやトモキがいた世界は
ここで間違いないらしい。もはや、そこを疑っても意味がないだろう。
何と言うか、タカネがそう言うなら間違いないと感覚で確信できる。
しかし、タカネとローナだけで検索できるのはここまでが限度だった。
「15年はさすがに長いわ。」
何千年も在り続ける恵神の言葉とは思えないけど、それが現実らしい。
さすがのローナでも、そんなに長い時間を調べるのは厳しいと。
『荒野友樹の誕生日は分かってる。2024年9月6日よ。』
これは、タカネの情報だ。向こうの世界では「西暦」という暦があり、
トモキはその日に生まれたとの事。で、プログラムとしてのタカネを
記憶させられたのがその一ヶ月後。タカネの記憶はそこまでらしい。
『ガウバーたちや環の時と違って、プログラムとしての「あたし」は
いわゆる休眠状態だったからね。』
「つまり、フレドの成長に関しては何にも知らない…って事なのか。」
『残念ながら、その通り。』
俺の問いに答えるタカネの声には、本当に残念そうな響きがあった。
とりあえず、2024年10月まで向こうの世界の暦を進めた。で、
トモキとその家族が住んでいた家に行ってみた。もちろんそこには、
幸せそうな家族の姿があった。
しかし、2年後に時間を進めて再び見てみると、引っ越した後だった。
ここで足取りは途絶えた。トモキとその家族がどこに住んでいるか、
今の時点ではさっぱり分からない。さすがのタカネも見当がつかない。
たった2年でこれだ。
天恵宣告を受けられたという事は、少なくともフレドは本人の記憶通り
15歳にはなっていたはずである。その15年の間、どこでどんな風に
生きていたのかが皆目分からない。
もちろん、2024年10月の時点からずっと追う…という手はある。
ローナはかなり過去でも未来でも、異世界ならほぼ制限なしで覗ける。
この一家がどこに引っ越したのか、ずっと見ていれば判明するだろう。
しかし…
「あたしの力じゃあ、ビデオ映像の早送りみたいな処理は出来ないの。
ずっと等速で確かめるしかない。」
『ああ、そりゃ無理ね。』
「ビデオ映像の早送り」が何かは、俺たちはサッパリだ。と言っても、
どういう処理の事かは想像できる。タカネは最初から知ってるらしい。
つまり引っ越し先がどこか知ろうと思ったら、引っ越し当日までずっと
この一家を見続けないといけない…という事だ。正直、気が遠くなる。
飛ばし飛ばしで絞るという手もあるけど、問題は引っ越し先を特定する
だけでは終わらない。その後、最低でも15年分は同じ事を繰り返して
トモキの足跡をたどる必要がある。
うん、そりゃたとえ恵神ローナでも投げ出したくなる作業だろうな。
日時を切り替えるだけでもけっこう手間なのに、それを何回繰り返せば
目指す瞬間に辿り着けるのか。もう見当もつかない苦行だ。
何より、フレドのプライバシーってものが完全に崩壊してしまう。
結論。
本人から聞こう。
そうしよう。
というわけで、俺とネミルが朝から迎えに行ったのである。
何と言われようと、ここはフレド…もといトモキの頑張りどころだ。