ディナの頼みごと
チリリン。
「よ、こんにちは!」
「いらっしゃいませ。」
「どうぞー。」
翌日の夕方。
きっかり4時に来店したディナを、ネミルとポーニーが笑顔で迎える。
今日だけは、ローナには席を外してもらった。何となく、そうした方が
ディナが遠慮なく話せるかと思ったからだ。
それともうひとつ。
かつてディナは、エゼル・プルデスの手で夫と共に殺された事がある。
あの時は、ネミルが【死に戻り】の天恵を使い「無かった事」にした。
無我夢中だったけど、あの時俺たちは神の領域に足を突っ込んでいた。
結果的にディナは助かった。けど、それを恵神がどう見るかというのは
正直、今でも不安が残っている。
要するに、あまりディナをローナと会わせたくないって事である。
…性格の嚙み合わせも含めて。
「まあいいよ別に。どっかブラブラして来るから。」
気を悪くする気配もなく、ローナはあっさり承諾してくれた。さすが、
神は度量が大きい。それでこそ…
「その代わり、2~3日はタダ飯にしてよ。別にいいでしょ?」
「いいよ別に。」
神もそんなに度量は大きくない。
まあ、勉強になったとしておこう。
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「ゴメンねいきなり。」
「別にいいよ。」
カウンター席に座ったディナに水を出し、俺は挨拶代わりに訊いた。
「で、フレドは元気にしてるか?」
「もちろん。おかげさまでずいぶん大きくなってきたよ。」
「そうか…」
だったら何で連れて来ないんだよ…という言葉を、あえて呑み込んだ。
そんな文句を口にすれば、必ず売り言葉に買い言葉で言い返してくる。
もし口喧嘩になれば、気まずくなるのは火を見るよりも明らかだろう。
俺だって別に、実の姉の頼みごとを軽んじる気はない。出来る事ならば
協力したいと思っている。だったらディナの性分は尊重しないと。
まあ、へそを曲げないようそこそこ気をつけて言葉を選ぼう。
「今日はドッチェさんが見てるって事なのか。」
「そう。まあ、ちょっと頼みごとに関わってるんだけどね、そこも。」
「へえー…」
何だ、どういう話なんだ。
もしかして夫婦喧嘩でもしたのか?
じゃあ聞こう、頼みごととやらを。
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「職場復帰?」
思いのほか真面目な話が出てきた。
正直、そんな事だとは俺もネミルもまったく思っていなかった。
と言うか…
「いくら何でも早過ぎるだろ。」
「そうですよ。」
俺に続いて、ネミルもそう言った。
「ゆっくり育児に専念するっていう話じゃなかったんですか?」
「ええ、まあそうなんだけどね。」
珍しく、ディナは言い淀んだ。
「色々と事情があってさ。」
「何だよ事情って。」
「言わなきゃダメ?」
「やましい事じゃないなら、俺たちに言うくらいいいだろ。」
「うーん…まあそうよね。」
ここまでの話の流れで、頼みごとの内容はおおよそ予想ができた。
無理難題でもないだろうし、俺たちとしても協力は惜しまない。けど、
最低限の説明はしてもらいたい。
「分かった。じゃあ説明する。」
腹を括ったらしく、ディナはそこでスッと居住まいを正した。
うん。
似合わないが、そう来なくちゃな。
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「知っての通り、今はあれやこれやキナ臭い世界情勢なのよね。」
「ああ、そうらしいな。」
ロナモロス教とかマルコシム聖教の話なら、いくらでも噂に聞く。
特にタリーニの情勢は、色んな意味で予断を許さないらしい。
ローナもそのあたりが気になるとか言って、あちこちに出掛けてたな。
「それがどうしたんだよ。」
「あたしの勤める出版社で扱ってる雑誌でも、やっぱりそういうネタは
数多く載せる事になる。だから…」
「早めに復帰してくれって話か?」
「そう。」
「ずいぶん人使いが荒いなオイ。」
「そうですよ。」
「さすがに横暴なんじゃ?」
ネミルだけでなく、ポーニーも少し語調を厳しくする。そんな俺たちに
ディナはちょっと苦笑を返した。
「いやあ、別にあたし自身に取材に行けとか、そんな話じゃないよ。」
「だったら何なんだよ。」
「記事の推敲をして欲しいってさ。つまり、他の連中が描いた記事の
チェックをしてくれって話。」
言いながら、ディナは紅茶をひと口啜る。
「こういう問題って、特に他の国が絡むととにかくデリケートなのよ。
言い回しをミスれば国際問題に発展しちゃう事もあるし、出版社自体が
訴えられる事もある。そんなリスクを事前に回避するために、編集長が
泣きついてきたの。」
「…そういうのを回避できる推敲を、姉ちゃんが出来るのか?」
「出来るから頼まれてるのよ。」
「何か全然ピンと来ませんね。」
「そうですね。イメージ違う…」
「ちょっとッ!!」
遠慮のない私見を口にするネミルとポーニーに、ディナが声を荒げた。
「あたしのイメージって、いったいどうなってんの!?」
「え?…いやあの…すみません。」
「言い過ぎました。」
「言い過ぎって何よぅ!!」
思わず吹き出してしまった。
俺もネミル達に大いに同感だけど、多分言ったら収拾がつかなくなる。
俺の姉貴って、けっこうインテリな一面も持ってたんだな。
意外だ。本当に意外だ。
でもまあ、そこそこ話は分かった。
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「…と言うわけで。」
ようやく落ち着いたディナが、俺を見ながら告げる。
「さすがに連れてはいけないから、出社する日だけフレドを預かって。
朝ここに連れてきて、閉店後に迎えに来るようにするから。」
「ちなみに、週何日だ?」
「出来れば1日おきで。」
「…………………………」
思ったより多いな。
預かる事自体は別に構わないけど、0歳児がそんな境遇でいいのか。
「で、大体いつまでだよ。」
「それはちょっと分からない。」
そう言いながら、ディナは少し表情を険しくした。
「世の中がこんな感じである以上、メディアの責任は大きくなるのよ。
だとするなら、あたしも中途半端に投げ出すわけには行かないって事。
そこは分かって欲しい。」
「…なるほど、な。」
どうやら、俺たちが思っているよりディナは真剣らしい。このご時世に
自分のやるべき事を見据えている。少なくとも、俺たちより現実的に。
ならばやっぱり、協力すべきだな。
チラと目を向けると、ネミルも俺を見返して頷いていた。
よし、じゃあ決まりだ。
「分かった、引き受けよう。」
「ありがとッ!」
そこでディナは嬉しそうに笑った。そんな笑顔に、新たな確信を得る。
ああ、使命感以上に「やりたい」と思ってたんだなと。
親としての賛否はあるだろう。でも実際、投げ出すとは言ってない。
迷った末の、俺たちを信頼してこその頼みごとなんだと信じたい。
それにまあ、俺たちにとっては初の甥っ子だ。
こんな形で思い出を作るのも、案外悪くないのかも知れない。
と言うわけで、話はまとまった。
赤ん坊の世話に関する専門書とか、ちょっと買ってこないとな。
ああ。
ちょっとだけ楽しみになってきた。
面白いもんだな、人間って。
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後日、俺はつくづく実感した。
ディナの頼みごとを引き受けた事。
ローナ不在で話を聞いた事。
その選択こそが、俺たち自身の運命を大きく変えたんだと。




