新たなるいのち
何というか、無駄に緊張している。そんな自分がちょっと面白い。
事あるごとに俺とネミルをライバル視していた姉貴が、もう出産とは。
明日にはあのディナが母親になっているという事実が、今の俺にとって
まるで実感のない絵空事に思える。しかしその一方で、どうなる事かと
ハラハラしているのもまた事実だ。
ってか、俺が「おじさん」?
で、ネミルが「おばさん」?
ダメだ。
どこまでも実感が湧かない。本人はどう思ってるのかも知りたいけど、
多分それどころじゃないだろうな。ドッチェさんは付き添ってるのか。
父親になるってのがどんな感じか、むしろそっちに訊いてみたい。
…いや、やっぱり後にしてくれよと怒られるだけだな。
「どうするの?」
「どうしようか…」
電話で聞いた限りでは、出産自体はそんなに時間がかからないらしい。
だとすると、早じまいしてさっさと病院に行った方がいいのだろうか。
その瞬間に立ち会わなかった…とか後で色々言われる可能性もある。
今日までいろんな事を経験してきた割に、こういうのは実に迷うなあ。
「あんまり早く行っても、する事が何にもありませんよ。」
そう言ったのはポーニーだった。
「もしもお産が長引いたりしたら、帰る機会も食事の機会も逸します。
連絡を待つ方がいいのでは?」
「うーん…まあそうだな。」
「だよね。」
確かにポーニーの言う通りだろう。俺たちが病院でウロウロしてても、
いろんな意味で邪魔になるだけだ。それならいっそ、一段落してから
ゆっくりお祝いに向かう方がいいのかも知れない。
「よし、じゃあ母さんにそう言ってまた連絡をもらおう。」
「うん。」
「それがいいと思います。」
決まれば意外と気持ちも落ち着く。何事もそんなもんだ。とりあえず、
今日は定時までちゃんと店を開けておこう。俺たちには俺たちの生活が
きちんとあるのだから。
「誕生か。何だか実感湧くねえ。」
どこか嬉しそうな口調でそう呟き、ローナがニッと笑って腕をまくる。
「よおし。んじゃ、あたしも今日の分の手伝いをするか。」
「よろしく。」
こんないつも通りの日々に、新しい存在が加わるのか。やっぱりまだ、
実感らしい実感がやって来ない。
俺もまだまだ子供なんだろうな。
================================
すでに、日はとっぷりと暮れた。
いや、もうすぐ日付が変わる。
「遅いな…」
「遅いね…」
「遅いですね…」
とっくに夕食も済ませている。後は病院に向かうだけだというのに、
いつまで待っても電話が鳴らない。ここで待っていると言った以上は、
うかつに出かける事さえ出来ない。ちなみにもうローナは帰っている。
俺もネミルもポーニーも、苛立ちを隠せないままじりじりしていた。
やはり不安なのか、ネミルは指輪をはめたり外したりしている。
「トランさん。」
「うん?」
「もう、先に病院に行かれては?」
「…いや、連絡してくれって言った以上はここにいないと。」
「電話はあたしが受けます。」
そう答えたポーニーは、いつも通り文庫本を手に取って続ける。
「もし途中で連絡が来たら、これでお知らせしますから。」
「それはその…頼めるか?」
「もちろんです。留守番くらい何度もやってますからね。」
確かにそうだった。いつの間にやらポーニーは、俺とネミルにとっては
これ以上ないくらい頼もしい存在になっていたんだった。
だったらもう、甘えるか。
「よし。じゃあ頼む。」
俺がそう言うのを、待っていたかのようにネミルがパッと立ち上がる。
「俺たちは病院に行くから、電話」
ジリリリリン!!
電話―!!
いやこのタイミングで鳴るのかよ。
三人とも、跳び上がってしまった。
================================
てなわけで、ご対面だ。
どうやら俺たちが最後らしい。ま、それはこの際もうどうでもいい。
「遅いよー、二人とも。」
さすがに少しやつれているものの、ベッドのディナはドヤ顔だった。
そのすぐ隣に小さなカゴが置かれ、中に赤ん坊が眠っている。
「お疲れ。」
「おめでとうございます!」
「ふふん、ありがと。」
何とも言い難い表情を浮かべて笑う姉貴が、不覚にも可愛かった。
見回せば、付き添いが誰もいない。
「母さんとかドッチェさんとかは、どこ行ったんだ?」
「食事だって。」
「ああ、なるほどそうか。」
結局、付き添ってた面々は食事する機会を逸してたって事ね。何だか、
俺たちだけ楽をしたみたいだな。
「で?…どっちだった?」
「男の子よ。」
「そうか。」
何故か心の中でガッツポーズ。
「名前は決まったんですか?」
「最初から決めてたよ。」
「何て?」
「フレド。」
誇らしげに、ディナは告げた。
「フレド・カーラルよ。」
「いいね。」
「素敵ですね。」
素直にそう思えた。
俺たちの甥っ子、名前はフレドか。うん、悪くないんじゃないか?
「よろしくな、フレド。」
そう言って覗き込んだ顔は、確かに姉貴に似ているような気がする。
もう、とうに日付が変わっていた。
================================
================================
…………………………
…………………………
あれ?
慌てていたから、指輪を着けたまま来ちゃったんだけど。
何の他意も無かったんだけど。
あれ?
…ほんの一瞬だけ、光が見えた。
フレド君の体に、白い光が。
見覚えがある。
何度も見た事がある。
赤じゃなくて、白いこの光を。
ほんの一瞬ではあったけど。
だけど、そんなはずはない。
見えるわけがない。
だってこの子は誕生したばかりだ。
天恵なんて、持ってるわけがない。
きっと、何かの見間違いだ。
うん。