人の求める神の在り方
人の世は、いつも安寧を求める。
浅ましい争いが絶えない時代でも、心の拠り所をいつも求めている。
そんな人々の切なる願いは、やがて神という概念として結実していく。
しかし、人はそんな神にすら自分の理想を押し付けがちである。
かくあるべしという真の神の姿は、いつの時代でも漠然としている。
望まれる数だけ、神は形を持つのだと言えるかも知れない。
本来、宗教が求める神とはそういう概念に留めるべきかも知れない。
そういう意味で言うならば
ローナは根本的な部分で人間との、そして宗教との相性がかなり悪い。
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恵神ローナは、15歳になった人間全てに「天恵」を授ける存在だ。
性別も貴賤も人種も何も関係なく、その年齢に達すれば例外なく天恵が
もたらされる。試練など何もない。それは神からの恵みというよりは、
むしろ性徴のようなものである。
そして天恵の内容は、個人の資質と無関係である場合が非常に多い。
ごく稀に、幼少期から天恵の片鱗と呼べそうな技能を見せる者もいる。
しかしそれらは大抵、単なる本人の素質に過ぎない。あくまでも天恵は
プラスアルファの力であり、それをどう活用するのかは15歳になった
本人次第である。
天恵は、様々な意味で容赦がない。
いかに善行を積もうといかに悪行を重ねようと、授かる内容に何ひとつ
影響を与えない。言い換えるなら、そこに因果応報という概念はない。
天恵は、残酷なまでに平等である。
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かつて、恵神ローナを崇める宗教として、ロナモロス教はこの世界を
席巻した。人知を超えた力を天恵として授かるという現象は、人々に
畏怖の念を深く深く刻みつけた。
しかし時代と共に、ロナモロス教は腐敗の一途を辿っていった。
どこまでも平等にもたらされる天恵を認めない者たちは、天恵の宣告を
自分たちの都合のいいように歪め、そして私物化していった。
神託師という聖職は形骸化が進み、ロナモロス教の傀儡となり果てた。
もはや本当の天恵を知る方法など、誰も知り得ないという有様だった。
そんな腐った時代の果てに。
全ての人が、恵神ローナの声をその耳ではっきりと聞いた。
その心で、恵神ローナの抱く怒りをはっきりと感じ取った。
いかにして天恵宣告が成されるか。その手順を、胎児ですら理解した。
もはや神託師たちのでたらめなど、誰に対しても意味を成さなかった。
世の全ての者はここに至り、恵神の実在を否応なくはっきり確信した。
天恵とは恵神が授けるもの。当然の事実を、はっきりと再認識した。
「デイ・オブ・ローナ」と呼ばれるその出来事は、恵神ローナに対する
世界の認識を変えてしまった。人はローナの存在を感じ、そして彼女の
怒りに何よりも慄いた。
純粋性を取り戻した天恵宣告は
それ以降、急速に廃れていった。
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神は、どこまでも曖昧であるべき。
定義が明確でないからこそ、世界は神を拠り所にする事が出来る。
ある意味、都合のいい解釈を与えて利用する事さえ出来るのだろう。
そういう意味で言うなら、ローナは自ら神である事を否定している。
己の役割をこれ以上ないほど明確に示した事により、自分が「単なる」
高次存在に過ぎないという事実を、容赦なくさらけ出したのである。
これほどまでに定義が明確になってしまえば、人はローナという存在に
救いを求めなくなる。拠り所として見る事もなくなる。それに伴って、
自分が授かるはずの天恵に対しても耳目を塞いでしまう。
どこの世界においても、人の求める神様には曖昧さが必要なのである。
かくして、ローナは救世の存在ではなくなった。彼女の授ける天恵は、
本当にごく一部の者が求めるだけの代物になり果てた。国によっては、
天恵を悪魔の贈り物と呼び忌避する習慣すら根付いている。
人から遠い存在になったローナは、もはや何の言葉も発しなかった。
世の殆どの人間が知ろうともしない天恵を、ただ授けるだけの存在。
実在を知ったからこそ、人は彼女を神とは見なさなくなっていった。
そして現代。
「神」としてのローナを忘れた世界には、新たな宗教が存在している。
その名はマルコシム聖教。
タリーニの聖都グレニカンを総本山とする、世界第一の宗教である。
ローナという存在を否定しないその教義は、人に安寧をもたらした。
恵神も天恵も受け入れた上で救いをもたらす。人々の拠り所として、
これ以上のものはないとも言えた。
「デイ・オブ・ローナ」から数えて200年。
既にマルコシム聖教の信徒は、遍く全ての国に広がっていた。
そして。
「ええ、それは大したものですね。認めざるを得ませんよ。」
聖都グレニカンの片隅で、人知れずそんな事を呟く女性がいた。
「だからこそ、待った甲斐があるというものです。」
彼女の名はネイル・コールデン。
今は廃れたロナモロス教の、副教主を務める女性だった。