一人じゃない夜
「ああもう、暗くなっちまう。」
水平線に太陽が沈み、夕闇が迫る。とにかく鞄を開けて中身を探る。
シルエットになりつつある、傍らのローナが面白そうに見ている。
「おっと…」
真っ先に指先が探り当てたものに、俺は思わず苦笑した。これかよ…
そっと取り出したのは、キャンプで使う細長いランプだ。布にくるまれ
一番上に入っていた。
「よく割れなかったな。」
「あって正解でしょ?」
「まあ…そりゃあな。」
そう言いながらランプを点灯する。ぼんやりした灯りと、耳をすませば
遠くに波の音。…俺はいったい何をやってるんだと、笑いたくなった。
なるほど、何よりまず必要なものはこれだと、理解はしてたって事か。
ランプの灯りが訴えかけてくる。
とりあえず、今日は野宿確定だと。
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次に取り出したのは水筒。中身は…湯冷ましだな。まあこれは助かる。
しかし、がぶ飲みするのはまずい。先の事を考え、控えめに喉を潤す。
ともあれ、ひと息ついた。
「…ふぅ。」
「大丈夫?」
「ああ。何とか落ち着いた。」
灯りに浮かぶローナにそう答えて、俺は大きなパンの包みをほどいた。
カロリーの塊みたいな奴だ。今日はとにかくこれでしのげって事だな。
不思議なもので、手元に食べ物さえあれば空腹が気にならなくなる。
と言うか、今これを食ったら確実に睡魔に襲われる。もうちょっとだけ
現状の確認をしてから食べよう。
「あ。」
「どしたの?」
「…多分、俺は今日この近くで野宿する事になるんだけど。」
「でしょうね。それが?」
「ちょっと治安的に不安だし、もし大丈夫なら寝ずの番を…」
「ああいいよ。もともとそのつもりだったし。」
「申し訳ない。」
神に頼む事なのかと思うが、どうせ夜はヒマだろうし別にいいだろう。
我ながら図太くなったもんだな。
「帰ったらちゃんと埋め合わせを」
「そのかわり、寝込みを襲っちゃうからね?」
「…やっぱりいいです。」
「冗談だってのに。」
シャレにならん冗談はやめてくれ。
恵神ローナとの姦通なんて、考える限りもっともヤバい大罪だろうよ。
いつからこうなった、俺の人生。
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次に、薄っぺらい寝袋が出てきた。ちょっと前に勢いで買ったやつだ。
いかにも安物って感じだけど、まあ寒い季節じゃないからこれでいい。
むしろ本格的なのだと、かさばって逆に不便になるだろう。
どっちみち、こんなキャンプじみた事を何日もやるのはごめんだ。
どうにかしてネミルと合流すれば、新婚旅行にシフトチェンジできる。
何をするのも明日だ。幸いここにはローナがいる。まどろっこしいが、
一瞬で店に戻れる彼女さえいれば、どうにか連絡を取り合う事が…
「ん?」
丸めた寝袋の中に、何か四角いものが入っているのを見つけた。何だ?
苦労して取り出したそれは、文庫本らしかった。
「ええと、これは…」
「無線機よ。」
「は?」
よく分からない単語を口にしつつ、ローナは意味ありげに笑った。
「さすがに、あんまり何度も何度も往復するのは面倒臭いからね。」
「…ああなるほど、そういう事か。確かに。」
表紙を灯りにかざして確認し、俺も思わず苦笑を浮かべてしまった。
「三つ編みのホージー・ポーニー」の3巻だ。帯がついたままって事は
慌てて買ってきたんだろうな。
最初の挿絵ページを開き、俺は口を寄せて呼びかけてみた。
「おーい、聞こえるか?」
…………
数秒の沈黙ののち。
『ごめーん!!』
思いのほかクリアなネミルの声が、ページの中央から飛び出してきた。
やれやれ。
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ネミルは平謝りだった。おそらく、本の向こうでも頭下げてるだろう。
大変な目に遭ったのは事実だけど、別にもう怒る気にもならなかった。
「大丈夫だから気にするな。むしろ貴重な経験だったぜ。」
『ちゃんと埋め合わせするから!』
「分かった分かった。それで?」
とにかく、今は現状の確認だ。
かなり進展したと思いたい。
声が聴けると、本当にホッとする。
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どうやら、ネミルは客から得た天恵【転送】はまだ持っているらしい。
分かっていた事だが、ネミル本人がここに天恵の力で来るのは無理だ。
本人以外の何かしら、こっちに送る事しかできない。まあ仕方ない。
常識的な移動手段を使い、ここまで来る。いたって当然の話だ。
ちなみに、今日はどうしてもこっちの通貨が用意できなかったらしい。
そりゃそうだ。もう夕方だったし、銀行が閉まってるのは当たり前だ。
明日の朝イチで両替をしに行って、ある程度の額をこっちに送るとか。
…いきなり虚空から金が出るのか。不条理ここに極まれりって感じだ。
ちゃんと間違いなく回収しないと。
パスポートは鞄の一番底にあった。入国の証印が押されていないけど、
それは何とかごまかそう。こういう時こそ役立つのが俺の【魔王】だ。
…言ってて悲しくなるほど、せこい使い方ではあるけど。
とりあえず、状況はそこそこ改善を成した。
考えなしバックパッカー程度には、体裁を整えられたんじゃないか。
そんなワイルドな趣味はないけど、これはこれでけっこう楽しいかも。
『今日だけ何とか我慢してね!』
「ああ。まあ何とかするよ。」
言いながら、俺はふと気づいた。
「ってか、この本があればポーニーはこっちに来られるよな?なら…」
『ダメ。』
「ダメなのか。」
『うん。』
「まあいいけど。んじゃあ、今日のところはこれで。」
『うん。くれぐれも気を付けてね。また明日。』
「ああ。」
そう言いかわし、俺は本を閉じた。
…誰もいないけど、もし誰かが俺を見てたらさぞ変に思っただろう。
文庫本開いてボソボソと喋っている野宿者。変を通り越して不審者だ。
「ま、今日はこれで寝よう。」
「それでいいんじゃない?」
「……しかし、どうしてポーニーを送るのは食い気味に断ったんだ?」
「分かんないの?」
何気ない疑問に、ローナがいささか呆れ気味の口調で答えた。
「え?…何だよ。」
「こんな遠い場所で、あんたが自分以外の女の子と夜を過ごすなんて、
ネミルにとっては心配以外の何でもないでしょ。それだけの話よ。」
「あー…そうか。」
納得した。
すごい納得した。
新婚気分が足りないのは俺の方か。
ちょっと反省…
いやいや違う。そうじゃない。
こんな不条理な状況で、何を一般論語ってんだって話だろうが。
いろいろ麻痺してるぞ俺。
まあいいや。
疲れた。
とりあえず、パン食って寝よう。