久し振りの依頼
「では、返却は希望しないって事でいいんですね?」
「はい。」
イザ警部に即答するレンネの声に、迷いの響きは一切なかった。いや、
むしろ少し怒ってさえいた。
「持ってたって、何もいい事なんかありませんから。」
「分かりました。」
ここまでの事情を聴くうち、色々と察するところもあったのだろう。
苦笑した警部は、それ以上あれこれ訊かずに魔核を袋に収めた。
「では、これは捜査の参考物としてこちらで保管しますので。」
「よろしくお願いします。」
終わってみれば、完全な厄介払いとなった。レンネも未練は見せない。
それは当然だろう。いかに仲の良いルームメイトだったとは言っても、
こんな有害なものを説明も無いまま渡された気持ちはよく分かる。
とっとと手放したいと考えるのは、薄情でも何でもないだろう。
「くれぐれも取扱いには気をつけて下さいよ。」
「ああ、徹底するよ。」
ネミルからの忠告に、警部は真剣な口調で答える。
レンネが、身をもって検証したとも言える魔核の特性だ。俺が言うより
ネミルが言った方が、説得力が少しだけ増す。「神託師」って肩書きの
成せるわざだろう。いつの時代も、やはり聖職って事実は変わらない。
その肩書きを最大限の言い訳として活用し、イザ警部には可能な限りの
情報を渡した。魔核生成なる天恵がどういうものなのか、それを使えば
どういう事ができるのか。もちろんジューザーの街で暴れ回ったのが、
魔核によって生み出された魔獣だという証拠は何もない。とは言っても
これを持っていた少女の家族だけが殺された、というのもまた事実だ。
ローナだから分かる事は多い。
その一方で、ローナや俺たちだから分からない事だってあるはずだ。
天恵だ恵神だという前に、きちんと警察に託すのも大切な選択だろう。
少なくとも、これに限っては最善の選択だったと信じたい。
「頼みましたよ、警部。」
店を辞して去っていく彼の背中に、俺はそんな言葉を投げる。
よく晴れた夕方の出来事だった。
================================
過ぎた事は、あまり振り返らない。
少なくとも、無駄に思い出して暗くなるようなループは願い下げだ。
もちろん、事あるごとに思い出す。
もしあのまま魔核を俺たちで追っていれば、どうなったのだろうかと。
だけど結局、堂々巡りするだけだ。もしもを重ねても何も得られない。
大した事ができない俺たちに、あの魔核はあまりにも重い代物だった。
そして、何か捜査に進展があれば、イザ警部も少しは教えてくれる。
その約束だけは交わしている。
なら俺たちは、気持ちを切り替えて仕事をするだけ。
悩んだりするだけ損だ。少なくとも俺たちは、その程度の存在だろう。
そうして、3日が過ぎた。
================================
チリリン。
「いらっしゃいませ。」
夕方の来客には、何となく身構える習慣がついてしまった。特に最近、
そういう時間帯に特殊なお客さんが来る機会が多かったからだ。
しかし、今日の来店者は初めて来た若い女性だった。話した事もなく、
何だったらこれまで見た事もない。ひとり旅か、それとも観光客か。
いや、それにしてはかなり軽装だ。ほとんど手ぶらと言ってもいい。
どういう…
「こちらへどうぞー。」
案内するネミルの声に、俺は詮索の妄想を中断させた。どうにも最近、
こんな風に客の素性をあれやこれや推測する癖がついてきている。
いかんいかん、自制しないと。
「そうですよー。お仕事に集中。」
「分かってるよ!」
何もかも見透かしたようなポーニーのひと言に、思わずムキになった。
いかんいかん、本当に。
================================
待ち合わせなどではなく、正真正銘ふらりと入ってきただけらしい。
その女性は独り静かに、窓際の席でゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
いつもの通り、奥の席ではローナがノートパソコンを弄っている。
その様子は、彼女の素性を知らない人間にはほぼ認識されないらしい。
よほど怪しい相手とかでない限り、ローナはやって来た客を興味本位で
観察したりしない。そこはきちんと線引きしている。
まあ、今日もそれなりに平和な一日が終わろうとして…
「あのう。」
コーヒーを飲み終えたその女性が、遠慮がちに俺に声をかけてきた。
「はい?何でしょう。」
「このお店って、天恵を見てもらう事ができるんでしたよね。」
「…ええ、そうです。」
何と言うか、意外な話を振られた。正直な話、彼女がそこに触れるとは
まったく思ってもみなかった。
「じゃあ、お願いします。」
「承知しました。」
手を拭いたネミルが、指輪をはめて答える。
何だかちょっと久し振りだった。
================================
「じゃあ、失礼します。」
手早くテーブルを片付け、ネミルが彼女の前に座る。本当に久々だな。
原点を思い出す感じと言うか…
と、その刹那。
いつもならここで相手の名前を訊くネミルが、怪訝そうな顔をした。
何だ、どうした?
「…あのう。」
「はい?」
「あなた、以前にもう天恵の宣告を受けてらっしゃいますよね?」
「……………………」
何だと?…ああ、そういう事か。
そりゃ訝しむよな。割安とは言え、きちんと料金を請求するんだから。
「分かってました」と言って支払いを渋られるとかだとちょっと困る。
こっちも仕事でやってるんだから。
しばしの沈黙ののち。
「やっぱりお判りになるんですね。どうも失礼致しました。」
女性は丁寧に詫びた上で、ネミルに視線を向けて続ける。
「試すような真似してすみません。でも、このまま見て下さい。」
「お代は頂きますよ?」
「もちろん承知しています。」
「じゃあ…」
本人がそこまで承知であれば、別に宣告くらいかまわないだろう。
ネミルがチラッと俺に視線を向けてきたので、黙って小さく頷き返す。
「分かりました。」
そう言ったネミルの目が、一瞬だけ赤い光を帯びる。
トーリヌスさんの時と同じだな…と、そんな事を考えた刹那。
「ええっと、お名前は?」
「モリエナ・パルミーゼです。」
「承知しました。」
そんなやり取りが交わされた。
ああ、形から入るのは大切だよな。そこはネミルのこだわりか。
「モリエナ・パルミーゼさん。」
「はい。」
「あなたの天恵は【共転移】です。間違いありませんね?」
「ええ、もちろん。」
宣告を受けて、モリエナというその女性は控えめに笑った。
誰にともなく。