誰かのためになら
時々、いやしょっちゅう思う。
天恵の名前って、どうしてこんなにクセが強いのだろうかと。
俺の「魔王」なんか、その最たる例じゃないか。
実に大仰な名前の割に、できる事と言えば悪意のある人間を操るだけ。
これだったら、バスロの女性たちの「洗脳」の方が汎用性が高い。
誰が名付けたのかと言いたくなる。少なくともローナではないらしい。
世界の成り立ちは、恵神と知り合いになった後でもよく分からない。
だけど、やっぱり確かな事がある。
どんな天恵を得ようと、人間一人にできる事なんてたかが知れてる。
魔王だろうが何だろうが、その点は誰でも変わらない。無理をすれば、
自分の人生を失うような結果にさえなり得る。
悔しいけれど、それが現実だ。
俺たちは、自分の幸せまで投げ出す覚悟は持てない。
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沈黙は、それまで以上に長かった。
そして、耐えがたいほど重かった。
諦めたとは思いたくない。
ローナの言葉を聞いて、自分たちの頭でそれなりに考えた結果だ。
考えれば考えるほど、確かにこの話は俺たちなんかの手には負えない。
後先考えずに深入りすれば、きっと今の生活は壊れてしまうだろう。
今までにも、何度となく天恵絡みの問題と向き合って解決してきた。
トーリヌスさんを救えたのも、まだ記憶に新しい。
だけど、今度ばかりはローナの言う通りだと思わざるを得なかった。
だからって悔しくないわけがない。ネミルやポーニーの顔を見れば、
その思いが同じなのはすぐ分かる。現実ってのは、いつも意地悪だ。
俺たちは…
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「勘違いしないでよ?」
そう言ったのは、ローナだった。
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「…何をだよ。」
「あたしは別に、何が何でも自分の暮らしだけにしがみついて生きろと
言ってるわけじゃないからね。」
「「え?」」
意外そうなネミルとポーニーの声がハモる。俺もハモりたかった。
今さら何が言いたいんだ、恵神?
「どういう意味だよ。」
「名ばかりの神託師が多い時代に、あなたたちはルトガーさんの遺志を
誠実に受け継いで守ろうとしてる。それだけじゃない。自分たち以外の
誰かのために、自分たちの持つ力を最大限に活かして結果を求めてる。
正直言って、あたしはそういうとこ尊敬してるんだよ。」
「…………………………」
過去最大級に、リアクションに困る言葉だった。三人とも目が泳いだ。
仮にも神である存在に「尊敬」とか言われたら、どう返せばいいんだ。
しかしローナは、俺たちの困惑など意にも介さずに続ける。
「世界じゃなくて人を見ろ。あたしが言いたいのはそういう事よ。」
「世界じゃなくて…人?」
「そう。」
「それって、どういう…」
「あ、お代わりもらえる?」
「あっ、ハイただいま!」
間を抜くそのひと言に、ポーニーが呪縛から解かれたように反応する。
何と言うか、澱んでいた空気が少し動いたような気がしていた。
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「もう何度目か分からないけれど、あたしはこの姿でないと人間個人を
認識できない。つまり、この姿なら人間としての感覚を持てるのよ。」
「ああ、何度も聞いたよ。」
「実際にやってみると、人の視野は実に狭い。元のあたしからすれば、
信じ難いほど個々の世界は小さい。だけどその小ささこそが、人間を
人間たらしめていると思うのよ。」
「…それが?」
「あなたたちには、そういう人間としての視野を忘れて欲しくないの。
目に見るもの。耳で聞くもの。その大きさを忘れないでいてくれれば、
きっと間違わないだろうって話。」
言いながら、ローナはフッと優しい笑みを浮かべた。
「顔も知らない不特定多数とかじゃなく、特定の「誰か」のために何か
する気なら、あたしは決して止めはしない。たとえどんな難しくても、
何をもって達成なのかがはっきりと見えてるなら、反対なんかしない。
いや、むしろ喜んで手伝うよ。」
「…本気で言ってるのか?」
「ええ。だって面白そうだもん。」
あっけらかんと言い放つローナに、俺たちは何となく顔を見合わせた。
何だか、さっきまでと話が違うぞ?と言うかそもそも…
「恵神ともあろう存在が、そこまで露骨な肩入れをしていいのかよ。」
「今さらそれ言う?」
美味そうにコーヒーを味わいつつ、ローナは事もなげに切り返す。
「悪いけど、あたしには人に対する禁忌だの規則だのは存在してない。
もちろん天恵を与える際は、完全な平等をきちんと心掛けてるけどね。
気に入った人間に肩入れしようが、それで世界が崩れるわけじゃない。
あたしはあなたたちが好きだから、ギリギリまでお手伝いはするよ。」
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何度目かの沈黙だった。
しかしもう、そこに気まずさなどは特になかった。
ようやくローナの言いたかった事が理解できた。
そしてそれは、あらためて考えれば当たり前の事だったのである。
今までの俺たちだってそうだった。実例などいくらでも思い出せる。
王立図書館の奪還作戦に参加した時も。
「死に戻り」を食い止めた時も。
救いたかったのは、世界じゃない。
恩人のトーリヌスさんであり、また姉のディナだったんだ。
大切な人を助けたいと思ったから、あそこまで体を張ったんだった。
「…そうだったな、確かに。」
「そうだね。」
「ですね。」
己の身の丈は簡単に変えられない。限界があるのも事実だ。
だけど俺たちは、そんな中で何度も人を救ってきたはずだ。
話す間に、確信めいた予感が心の中に芽生えるのを感じていた。
そうだ。
きっとそういう機会は、これからもやって来るに違いない。
その時は大いにローナも巻き込み、俺たちなりの力を尽くせばいい。
雲の隙間から、今になって日差しが差し込んで来る。
窓の外の空が、ほんの少し明るさを増したように感じる。
そんな、忘れ得ぬ日だった。