神を目指しちゃいけないよ
「何度も言ってる事だけどさ。」
俺の目を見据えつつ、ローナがそう言った。
「元の状態に戻ると、あたしは個としての人間を認識できなくなる。
もちろん、特定の人に特定の天恵を授けるなんて事も無理。誰がどんな
天恵を得るかは完全にランダム。」
「…ああ、それは前に聞いた。」
この俺が「魔王」の天恵を得たのも完全な偶然だ。そこに意図はない。
俺だけでなく、全ての人間の天恵は無作為に決まる。さらに言うなら、
ローナ自身も今の姿で見ない限り、誰が何の天恵を得たのか判らない。
見方によっては、この上なく公平に天恵は授けられているって事だ。
「それが何なんだよ。」
「分かんない?」
そう言って肩をすくめたローナは、俺たち三人の顔を見回して続ける。
「今のあんたたちの感覚は、それと似たようなもんなのよ。」
「え?それってどういう…」
「どこの誰とも分からない「世界の人たち」のために動こうとしてる。
志は立派だと思うけど、そんなのは本来人間が持つべき視点じゃない。
個を認識できないあたしと同じよ。そんなのは絶対、手に余る。」
「だから黙ってろってのか!?」
「そうだよ。」
「…………………………!!」
ますます納得がいかない。
やっぱりこいつは、俺たちと全てが違う神だからなのか。
どこまでも相容れないのか。
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しばしの、重い沈黙ののち。
「人間の姿を得たからこそ、分かるようになった事もあるのよ。」
いくぶん口調をやわらげたローナの言葉は、明らかに俺に向いていた。
「一人でできる事には限界がある。それが人間ってものよ。どれほどの
天恵を得ても、それは変わらない。そして一人の人間にとって、世界は
あまりにも広くて大きい。」
「…それが何なんだよ。」
「大勢の人のために動こうとする、その気持ちは立派なものだと思う。
だけど結局、あんたたちに出来る事なんてたかが知れてる。だったら、
終わりの見えない善意はいつかその心を削り落としてしまうよ。」
「…終わりがないのかよ。」
「ウルスケスを探し出したら、次はきっともっと難しい問題が生じる。
それを何とかこなしたら、また次。そうして辿る間に見えてくるのは、
救えなかった人の姿。たとえそれが自分たちのせいじゃないとしても、
零れ落ちたものばかり見えてくる。あたしはそんなの見たくない。」
「…………………………」
返す言葉に窮した。
冷酷とばかり思っていたローナは、俺たちの心配をしてくれていた。
でも、だからと言って納得するにはまだ足りない。理屈ではなく心で、
俺はまだ折れたくなかった。
「…けど、いつか誰かがやらないといけない事じゃないのか…?」
「もちろんそうだと思うよ。」
絞り出すような俺の言葉に、ローナは呆気なく即答を返した。
「だけどそれは、少なくともここにいるあんたたちじゃない。」
そう言いながら、ローナが店の中をゆっくりと見回す。
「あんたたちのなすべきお仕事は、この喫茶店を経営する事でしょ?」
「…………それは…………」
「あれこれと理屈を並べてるけど、あたしの本音はもっと単純なのよ。
あたしは、このお店が好きだから。大き過ぎる目標のためにこのお店が
なくなってしまうのは我慢できないから。だから止めてるのよ。」
ふと傍らを見れば、ネミルが黙ってぽろぽろと涙を零していた。
「会った事はないけど、ルトガー・ステイニーさんはお孫さん思いの
いい神託師だったんでしょ?なら、志を継ぐ形を忘れちゃいけないよ。
まず、あなたたちが幸せである事。それが優先すべき大前提でしょ?」
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言い返せなかった。
納得するとかしないとかではなく、返す言葉が思い浮かばなかった。
本音そのものは、いたって勝手だ。
心地の良い居場所としてのこの店を失いたくない。実に手前勝手だ。
間違っても神ではなく、人間として聞くべき浅いワガママだ。
そう。目の前の姿の恵神ローナは、まぎれもなく一人の人間だった。
ひいきもすれば身勝手も口にする。この上もなく人間だ。恐らくそれは
この世界に降り立ったからだろう。人間の姿になっている故に、彼女は
どこまでも人間らしく振舞う。
そう。
今の俺たちよりも。
正しい意見かどうかはわからない。
いや、そもそも絶対的に「正しい」意見なんてものはないんだろう。
さっきの天恵の例えだってそうだ。
人を殺す天恵は、もし戦時下ならば普通に役に立つ代物だっただろう。
理不尽な大国の侵略から自分の国を守り通せば、英雄にだってなれる。
ローナが許せないのは、虚偽の天恵宣告だけだ。
宣告で得た天恵をどう使おうとも、そこにとやかく言う気はない。
授ける者だからこそ、その線引きはどこまでも純粋なんだろう。
かくいう俺も、「魔王」って天恵を割といろんな局面で使っている。
あれだって、見方を変えれば悪用と言われても仕方ないはずだ。
神の目で世界を見てはいけない。
俺たちに、ローナは論破できない。
それが現実だった。