置き土産の功罪
俺たちの住む世界は、かつて魔物と呼ばれる存在が支配していた。
と言ってもそれは有史以前の話だ。色々その痕跡は遺っているものの、
現代でも実存しているかについてはかなり怪しい。個人的に言うなら、
ちょっと見てみたい気もするけど。
前にローナに言われた事がある。
「ま、2000年くらい前だったら「魔王」の天恵は世界を支配できる
絶対の力だったろうけどね。今じゃ魔に属する存在がほとんどいない。
完全な時代遅れよ。」
哀れむような口調ではなかったし、俺自身も全然残念じゃなかった。
そういうもんなのか…という感覚で聞き流し、翌日には忘れていた。
俺の職業は喫茶店店主だ。この世界を支配したいなんて考えていない。
魔王って天恵が時代遅れなら、まあそれでいいだろうと思っている。
俺は魔力なんて使えないし、本当に魔王になりたいとも思っていない。
世界のどこかに、魔力を身に宿した何かが今でも生存していても。
ハッキリ言って、俺たちにとってははるか昔の伝説でしかなかった。
ついさっきまでは。
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「やっぱり白だよ。間違いない。」
「そうか。」
今なお意識を失っているレンネを、あらためてネミルが確認する。
予想通り、彼女がまとっていたあの魔力は、本人の力ではないらしい。
ずっと「魔王」で確認しているが、さらに湧き上がる気配などもない。
これは、俺たちを狙った罠の類ではない。罠にしては間抜け過ぎるし、
どう考えても目的が見えない。だとすれば、レンネが豹変した原因は
探りようがなかった。
しばしの沈黙ののち。
「…ん?」
脈などを見ておこうかと歩み寄った俺は、妙な気配をレンネに感じた。
いや、正確に言うと彼女にではなく彼女の持ち物に、だ。
椅子の上に置かれているカバンの、肩紐の付け根辺りに何かがある。
近付いてよく見れば、それは小さな革製のホルダーだった。迷わず掴み
鞄からむしり取る。手にした事で、確信めいたものが生まれた。
「ちょっ、何してるの?」
「勝手に取るのは…」
慌てるネミルとドルナさんには特に答えず、隣のテーブルで開けた袋を
逆さにする。コンという音と共に、赤黒い小さな結晶が転がり出た。
熱を持っているわけでも、禍々しい瘴気を発散しているわけでもない。
しかし、ただの石でないという事は判った。少なくとも、俺には。
「…何これ?」
「分からん。」
しげしげと覗き込むネミルの問いに対し、そう答えるしかなかった。
実際これが何なのか、俺には見当もつかない。そこにあるという事実を
感覚で捉えただけだ。更に言えば、来店直後はまったく気付かなった。
一体どういう…
「珍しい。これは「魔核」だね。」
確信めいた口調でそう言ったのは、やっぱりローナだった。
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「魔核?」
「何ですかそれ?」
「魔力の塊よ。」
俺とネミルの問いに対し、ローナは事もなげに答えた。
「魔力の塊って…」
さらっととんでもない事言うよな。正直、ついて行くのが大変だ。
「つまり、魔物が落としたのを彼女が拾った…とかですか?」
「いいえ。」
ドルナさんの問いに首を横に振り、ローナがその結晶を手に取った。
「人間がその生命力を形にできないのと同じで、魔物も自分の魔力を
こんな風に取り出す事はできない。多分、これは人間が作ったものよ。
そういう天恵を使ってね。」
「え?」
「人間が作ったって、まさか…」
レンネが作ったのかという仮定は、口に出す前に心の中で打ち消した。
二度も確認したネミルが、はっきり「白」であると断言してるんだ。
レンネが天恵に覚醒しているという仮定は成り立たないだろう。なら、
誰かからもらったと考えるべきだ。
いや、それより何より。
今はもっと早急に確認すべき事が、目の前にある。
「なあローナ。」
「うん?」
「さっきのレンネの発作は、それが原因なのか?」
「まず間違いないだろうね。」
ローナの答えは、呆気なかった。
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ほどなく、レンネは目を覚ました。
憑き物が落ちたかのようなその顔を見て、俺たちは安堵した。
落ち着いたのを確かめてから、あの魔核を誰から受け取ったか訊いた。
予想はしていたけど、それを彼女に渡したのは元ルームメイトだった。
名前はウルスケス・ヘイリー。
聞くところによると、学費の滞納で放校処分になったらしい。
状況が状況だけに、警察にもかなり彼女の事をしつこく訊かれたとか。
どうして魔核を渡さなかったのかについては、あえて訊かなかった。
俺たちなんかに納得できる説明を、今の彼女に求めるのは酷だからだ。
彼女がウルスケスの友だちだったとすれば、察しろという話である。
「…何となく楽になりました。」
そう言うレンネは、発作についてはほとんど憶えていなかった。
疲れがたまっていたんだよ、というドルナさんの言葉に、本人も割と
あっさり納得の意を示していた。
俺たちも、あえて詳しい経緯などを彼女に話すのは控える事にした。
ただし、魔核は没収した。
永く携行していると有害と説明し、こちらで預かる事にした。
嘘ではないし、もし有害でなくとも彼女が持っているのは危険だろう。
ネミルが神託師であるという事実も踏まえて、レンネは俺たちに魔核を
託す事に承諾してくれた。
「どういう物かハッキリするなら、その方がいいと思います。」
何か、危険な予感などを感じていたのかも知れない。
魔核を手放したレンネは、何となくホッとしたような顔をしていた。
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「それじゃあ、また。」
チリリン。
挨拶の言葉を残し、ドルナさんたち二人は帰っていった。
その背を見送り、俺とネミルはほぼ同時にため息をつく。
「何か厄介な事になってるわね。」
相変わらず平常通りの口調で呟く、ローナの言葉がいつもより重い。
さて、どうするべきだろうか。
考えるのが、少し怖かった。