平穏を破る騎士
店を開いて、一か月半が経過した。
開店ご祝儀で目の回るほどの忙しさだった、最初の十日間。さすがに、
ネミルもテンパっていた。そこそこ失敗もした。もちろん俺も同じだ。
だけど、要所要所で家族がフォローをしてくれたおかげで乗り切った。
開店当初は実家のレストランと同じ仕入先に頼ってたけど、あれこれと
相談を重ね、より喫茶店向けの業者も紹介してもらえた。このあたりは
実家で修業をしていた経験がかなり活きた。昔から顔馴染みだったし、
明らかな競合店にならなかったのも幸いしたんだろう。手探りながら、
そこそこ自分でこなしていける自信がついてきた。
日が経つにつれ開店特需は落ち着きを見せ、あるべき形に落ち着いた。
でも幸いなことに、店から見て西の高台には有名な古城が存在する。
ここは以前から観光地になっているため、時期を問わず観光客の需要が
存在するのである。トーリヌスさんが設えてくれた、開閉式の屋根付き
オープンカフェ。ここからなら城がよく見える。このロケーションは、
特に観光客への売りになった。
何だかんだ言って、自分たちなりのペースというものが掴めてきた。
新しいメニューを考えてみようか…などという余裕も生まれてきた。
率直に言って、悪くない感じだ。
なあ、ルトガー爺ちゃん。
見てくれてるか?
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とりあえず、店の屋号に「神託」の文字は入れた。申し訳程度に。
店内のプレートにも「神託師在住。天恵を見ます」という一文がある。
ただし、こっちも申し訳程度だ。
相談して決めはしたものの、これをネミルがどう思っているかは正直、
よく分からない。不本意と思っても仕方ない地味さなのは、確かだ。
だけど正直、こればっかりは正解がない。現代に生きる神託師が副業を
持つのは珍しくない話だし、先代の爺ちゃんも色々仕事をやっていた。
トーリヌスさんの話を聞いた限り、ちゃんと神託師の実績も持ってる。
とは言え、ネミルの指輪は特例だ。こんなアイテムを持った神託師が、
どんな生き方をすべきかなんて誰も知らないだろう。まさに手探りだ。
なら、あんまり前面に押し出すのは得策と言えない気がする。
極論、このまま神託師の仕事が一生来なかったとしてもいいって話だ。
ネミルはともかく、俺はそれでいいと本気で思っている。と言っても、
別にやめて欲しいとも考えてない。人生は平穏が一番!ってだけ。
まあ、結果として。
今日に至るまで、ネミルは神託師のシの字もない日々を過ごしている。
時おり指輪を見てる事もあるけど、別に不満げな顔はしてないと思う。
俺もあえてそこは触れなかった。
俺だって、「魔王」なんていう己の天恵とわざわざ向き合うのは嫌だ。
さいわいこれといった兆候なんかも感じないし、忘れている時も多い。
ただの看板倒れだったと言うなら、それはそれで大歓迎だ。
店の経営が落ち着いて来たと共に、俺たち自身も落ち着いて来た。
いい事だ。
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ちなみに。
一緒に暮らし始めたけど、いわゆる「一線を越える」には至ってない。
意気地なしとか言われそうだけど、何と言うか「それでいい」といった
空気が、ごく自然に出来上がった。家が広いのもその一因なんだろう。
そんなだと、盛り上がりのないまま倦怠期になるかも知れない…という
懸念は、正直あんまりない。許嫁という肩書きは、不思議なほど安心を
与えてくれるらしい。そんな状態で同棲って何だと言われそうだけど、
俺たちだって別にダラダラとこんな状態を続ける気はない。
一緒に暮らし始める前に二人で相談し、決めた事がひとつある。
とにかく、まずはネミルが19歳になるのを待とうと。
その日をひとつの境にしよう、と。
そんなに先の話じゃない。
この暮らしを積み重ねていきつつ、その日を待つってのは悪くない。
こうして俺たちは、俺たちならではの日々を築き上げている。
そんな折。
前触れなく、彼らはやって来た。
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よく晴れた日の午後だった。
午前から昼過ぎにかけて忙しかったけど、お客は一段落したらしい。
誰もいない中で、のんびりと新しいメニューの事などを相談していた。
と、その刹那。
チリリン。
玄関のベルを鳴らして、一人の客が店に入って来た。
「いらっしゃ……」
「い?」
そちらに顔を向けた俺たち二人は、中途半端に言葉を途切れさせた。
ありきたりな挨拶が、頭から丸ごとすっぽ抜けてしまっていた。
「失礼する。」
凛と張りのある声でそう言い放った客の青年は、重厚な足音を立てつつ
こちらに近づいてくる。なかなかの美形で、挙措も上品な感じだった。
おかしな様子は何もない。
ただひとつ、決定的な違和感をその全身にまとっている以外は。
彼は、どう考えても時代錯誤な鎧を着込んでいた。芝居の衣装なのかと
一瞬思ったけど、質感がどう見ても本物だ。滅茶苦茶重そうに見える。
苦もなく歩いているけど、おそらくネミルが着たら、一歩も動けない。
まるで図鑑から出てきたかのような「騎士」だった。
…て言うか、その腰に提げてる剣はもしかして本物か?
「あ、あの…」
「お初にお目にかかる。」
口ごもる俺たちの前まで歩み寄ったその青年騎士は、前時代的な口調で
自己紹介を始めた。
「我が名はシュリオ・ガンナー。」
「はぁ。」
「えと、あたしはネミ…」
「危難からこのイグリセ王国を護る使命を得た、天恵の騎士である!」
「え?」
「天恵の騎士?」
何じゃそれ?
つまり「騎士」って天恵を持ってるという事だろうか?
だからって何でそんな格好を…
「ええと…いらっしゃいませ。」
「うむ。」
何とか会話はできそうだ。
とりあえず、ここは無難に行こう。
「それで、当地へはどのようなご用でお越しですか?」
「観光なら、いい所を紹介…」
「我の目的はただひとつ!」
話聞く気はないのかよ。
何だよ目的って。
「かの地に降臨した、悪しき魔王を討ち果たす事である!!」
…は?
まさかそれって
俺の事か?
何なんだよ、この男は。
俺とネミルは、ただ顔を見合わせる事しかできなかった。