ランドレの真意は
「ご馳走さまでした。」
そう言ってランドレは立ち上がり、俺とネミルに深々と頭を下げた。
「それと、本当にごめんなさい。」
「え?」
あまりにも唐突な謝罪に、ネミルが戸惑いの声を上げる。もちろん俺も
驚いたものの、さすがに彼女の謝罪にはそれなりの心当たりがあった。
それが彼女の口から、という点には納得できないけれど。
「ご迷惑をおかけした事、今日まで何もお詫びできてなかったから。」
「そんな…いいですよもう!だってあなたはあの叔母さんに」
「もう気にしてませんから、どうぞ顔を上げて下さい。」
ネミルの言葉を遮り、俺ははっきり彼女にそう告げた。
「お気持ちは受け取りました。」
「…ありがとうございます。」
顔を上げたランドレは、いっぱいの涙を両目に湛えていた。
俺もネミルも、そしてポーニーも。
何も言わず、彼女を見守る。
彼女が、俺たちに謝りたかった事。それは今さら言うまでもない。
爆弾を持ってこの店に立てこもり、大惨事を起こしそうになった件だ。
その件しかないと言うより、この店と彼女の因縁自体がそれしかない。
ずいぶん前の話だし、そもそもあの事件の黒幕は彼女の伯母だった。
どちらかと言えば、彼女も伯父さんも被害者側の立場だったのである。
だけど、俺は彼女の謝罪を受けた。
何となく、そうすべきではないかという思いを彼女から感じたからだ。
もちろん、あらゆる意味で遅過ぎる謝罪なのは間違いない。とうの昔に
事件は終わっており、イザ警部から聞いたところでは伯母の実刑判決も
出ているらしい。洗脳で大変だった彼女がここに来ないのは当然だと、
俺たち自身もそこそこ納得した上で事件を過去のものとしていた。
どこから見ても、あの事件はもはや過ぎ去った出来事でしかない。
どうして今になって、当事者であるランドレが訪ねてきたのだろうか。
さすがに恨みとか復讐とか、そんな感情からの行動ではないだろう。
思い返せばあの時は、逆上を狙ってかなり彼女にきつい事を言った。
「魔王」の術中に墜とそうと思い、何度も何度も怒鳴りつけたっけな。
だけど、それは本意からじゃない。彼女自身もそれは充分知っている。
事実、今の彼女に悪意の影など全く見えない。言動に嘘の気配はない。
間違いなく彼女はお客としてこの店に来て、本心から謝罪していた。
だったら、今さら何だとか言うのは野暮ってもんだろう。
こっちも当事者なんだから、謝罪は真っ向から受け入れればいい。
お互い、それが正しい態度だ。
その思いに迷いはなかった。
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チリリン。
結果的に、彼女が今日の最後の客となった。
と言うより、彼女が見えなくなったのを見届けて店を閉めた。
それほど長居だったわけじゃない。けど、何か気になったのも事実だ。
「何をしに来られたんでしょうね、あの人。」
ポーニーの疑問は、捉え方次第ではかなり失礼なものだろう。しかし、
その思いは俺の中にもある。多分、ネミルの中にも。
さすがにぎょっとしたけど、彼女の再来が嬉しくないわけじゃない。
大変な目に遭ったのは知ってるし、あの時の事がその後の彼女の人生に
影を落としても仕方がない。だから今日の彼女の姿は嬉しかった。
少し前にネミルが病院で伯父さんの方に遭遇してるから、今日の来店も
それほど唐突というわけでもない。これを機に…といった感じだろう。
「だけど、それだけなのかなあ。」
「むしろそうであって欲しい。」
ネミルの言葉に対し、俺は自分でも驚くほど即答を返していた。
ただ単に、機会ができたから来た。そんな軽い来店であって欲しいと。
裏を返せば、そうじゃないと思えるだけの「何か」を感じ取ったんだ。
俺もネミルもポーニーも。
「…やり残してた事をやりに来た、とかなのかな。」
「…………………………」
ポツリと呟いたネミルに、俺は何も言葉を返せなかった。いや、むしろ
否定も肯定も口にしたくなかった。
自分の中に留まっていた違和感が、その言葉で納得できてしまった。
ランドレは、過去を清算するためにここに来たのではないのかと。
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「ずいぶんと深刻ね。」
唐突な言葉に、あやうく拭いていたカップを落としそうになった。
気配がなかったからすっかり存在を忘れてたけど、奥の席にはローナが
ずっと居座っていたんだった。
「さっき来てた子が、そんなに気になるの?」
「ああ…まあ…」
「ちょっと縁がありまして。」
「なかなかにヤバい天恵持ちだよ、あの子。」
「は?」
俺とネミルの声が、久々にハモる。
え、彼女が天恵持ち?
確かに15歳になるかならないか、際どいタイミングだったけど…
「何なんですか、その天恵って。」
食って掛かるようにネミルが問う。
今回は普通に接客しただけなので、指輪を着けもしていなかった。
それ以前に、天恵がどうのといった発想すらなかった。俺もネミルも。
そうだ。ヤバい天恵ってのは一体…
「【洗脳】よ。」
「は?」
「えっ?」
何だと?
「あの子の天恵が…叔母と同じ?」
「ああ、同じ天恵を持ってる血縁がいるんだ。なるほどね。」
至って軽い口調でローナが言った。
「珍しいけど、そういう事例は別に不思議じゃないよ。特にこういう、
精神に干渉する系統の天恵ならね。あと、女性同士でも起こり得る。」
「そうなんですか。」
興味深げにポーニーが呟く。しかし俺たちはそれどころじゃなかった。
…あのランドレ・バスロの天恵が、よりによって伯母と同じ「洗脳」。
しかもローナの口調から察するに、既に宣告を受けているらしい。
その前提を踏まえて、今回の来店の意味を考えれば…
「何だ、何をする気なんだ彼女。」
俺の声は、少しかすれてしまった。
内なる不安を示すかのように。
どうか、思い過ごしであるように。
何事もなくまた店に来てくれれば、それに越した事はない。できれば、
あの伯父さんも一緒に。
漠然と願う事しかできない自分が、どこまでももどかしかった。
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「来るなって言ったでしょ。」
「だから外でお待ちしてたんです。…どうぞ、ご理解下さい。」
尖った言葉を投げつけられるのは、もはや覚悟の上だ。
嫌われているのを認めた上で、彼女に変な間違いをして欲しくない。
実に勝手な言い草だけど、本音だ。それで嫌われても別にかまわない。
「では、お送りします。」
「一人で帰る。」
「分かりました。お気をつけて。」
食い下がらなかった。少し意外だという顔をされたけど、別にいい。
望んでここに来たかったのならば、その記憶を覗き見るのは無粋だ。
いくら何でも、そこまで踏み込んだ事はしたくなかった。
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「明後日にお迎えに上がります。」
「ご勝手に。」
駅で別れるまで、彼女はずっと私を見ようとしなかった。だけどもう、
そんなのは慣れっこだ。この私に、現状を嘆く資格なんてない。
駅を出た私は、彼女と歩いて来た道の向こうをしばし見つめていた。
遠目ではあるけど、お店を少しだけ覗き見ていた。むろん他意はない。
ちゃんと来店したかどうか、それを確認したかっただけだ。
だけど、見えてしまった。
店長らしき男性と、料理を運ぶ女性の姿が。
間違いなく、見覚えがあった。
会った事はないけど、知っている。
オレグスト・ヘイネマン氏の記憶の中にいた「魔王」と「神託師」だ。
どうしてこんな所に…?