ささやかな願い
「…ロナモロスへの信仰?」
「そうです。」
翌日。
私は、再びランドレ・バスロの許を訪ねていた。さすがに毎日病院まで
押しかけるのは彼女に対する心象が悪すぎると思うので、自宅に赴く。
「自宅」と言っても、最初に訪ねたあの屋敷ではない。病院にほど近い
小さな一軒家だ。病院に通うため、彼女はこの家を今だけ借りている。
もちろん家賃はこちらが負担する。この点はネイル・コールデンに、
直接掛け合って認めさせた。正直、これに関して異論は許さなかった。
恩を売るとか何とか以前に、せめてそのくらいケチるなと釘を刺した。
もはや悪辣なのは認める。しかし、みすぼらしいのは我慢できない。
というわけで、ランドレの仮住まいを単身訪ねた。相変わらず憎しみに
満ちた目で睨まれたけど、こちらも開き直るしかない。正直に言えば、
下手な事をしてペイズド氏の寿命を縮めるのは本意ではない。その点は
ランドレだって同じはずだ。
少なくとも、共有できる思いだけはそれなりに存在する。
私たちの関係は、どこまでも奇妙で殺伐としていた。
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持ち込んだ案件は、至って単純だ。
オレグスト氏が「鑑定眼」を使って知った天恵を、偽の神託師の芝居で
「覚醒しない」と偽られた人たち。背信者という肩書きを背負わされた
予備人員である。彼らは一度家へと帰して、その後の選択を一任した。
去るなら去ればいいし、戻って来るならあらためて神託を施す。ただし
その時には私の母が本当の天恵宣告をするため、力を得る事になる。
一度突き放して戻って来た相手だ。それなりに強い信心を持つだろう。
しかし天恵を得る以上、もう一押しの忠誠心が欲しい。
そこで必要になったのが、「洗脳」の天恵。これにより彼らの忠誠を、
揺るぎないものにする二段構えだ。もともと信心の厚い人たちである。
それほど強力な洗脳を施さずとも、わずかに誘導するだけで事足りる。
人というものは、拠り所さえあれば割と簡単に他人とでも同調できる。
その感覚を突き詰めたのが宗教だ。その心理にもう少し手を加えれば、
強固な連携と絶対の忠心を築く事も不可能ではない。
もちろん、時間をかけさえすれば、そういった育成は誰にでもできる。
しかしネイルが目指すのは、もっと迅速で合理的な人員の増強である。
それを成すためには、やはり洗脳の天恵は絶対に必要な要素らしい。
最初はシャドルチェ・ロク・バスロに目をつけていたが、彼女は現在、
特殊な独房に収監中。合法的に外に出す事はできなくはないものの、
そうした場合は彼女の天恵は力技で潰される。それでは意味がない。
だからこそ、同じ天恵を得た実の姪ランドレの存在が必要だったのだ。
彼女なら、たやすく接触ができる。もちろん危険な相手ではあるものの
そこはやり方次第だった。
かくして、今に至る。
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「…つまり、信者となる人たちの心を忠誠に向けろって事ですか。」
「簡単に言えば、そうです。」
お茶も出ない。いや、当たり前だ。
椅子にすら座らず、私はランドレに当座の目的を話す。
「聞くところによると、洗脳の天恵は大勢に対しては通用しない。」
「…………………………」
「だから、全ての対象を意のままに操ってくれ…などとは言いません。
あくまでも思考と心理の方向だけを調整して頂ければいいって話です。
とりあえずそれをご協力頂ければ、あとはこちらで教育します。」
「教育…ね。」
見下すような語調が、さすがに心に刺さった。
私がやるわけじゃないという言い訳は、どうにか呑み込んだ。
背信者を狂信者に変える。
いかにも、カルト集団のやる事だ。これで実在が知られているローナを
崇めているというのだから、始末に負えない。ネイル・コールデンが
怖れているのはローナの怒りだけ。かつての「デイ・オブ・ローナ」の
伝承を研究し尽くしている彼女は、ローナの怒りを買わない抜け道を
どうにか見出した。その時から現在に至るまで、ロナモロス教はずっと
際どいところを歩いている。
果たして本当に、こんな事をしても大丈夫なのだろうか。
恵神ローナは、今のこの状況をどう見ているのだろうか。
私たちはもしかして、もう…
「分かりました。」
堂々巡りの考えは、ランドレのそのひと言で中断された。
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「…分かった、とは?」
割れながらマヌケな返しだ。けど、問わずにはいられなかった。
どんな意味で分かったのだろうか。それによって重みが変わってくる。
「もともと、あたしや伯母の天恵は誰かを不幸にするためのものです。
ならいっそ、他人に言われてそれを成す方が気が楽だって事ですよ。」
「………」
言葉に詰まった。
あまりにもむき出しなその返答が、私の心を思いがけず深く抉った。
確かにその通りだ。それを理解した上で、協力するという事なのか。
「これも報いなんでしょうね。」
「…そんな事、言わないでよ…」
バシッ!!
思わず漏らしたその言葉を受けて、ランドレはあたしの頬を殴った。
それまでのいつよりも強く。口の中が切れ、鉄臭い味が満ちた。
「どの口が言うんですか。」
「すみません。」
怒りなど沸くはずもない。
あまりにも身勝手な私は、謝るしかなかった。
私は、彼女の何なのだろうか。
憎まれるだけの影か何かなのか。
分からないし、分かりたくもない。
ただ、救いがなかった。
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「では明日、迎えに上がります。」
「ワガママ言ってすみませんね。」
「いえ、別にかまいません。」
もう、声を荒げる事はなかった。
奇妙なあきらめの感情を共有して、私たちは平坦な会話を取り戻す。
彼女は、協力を約束した。
その代わり、ひとつだけワガママを聞いて欲しいと言ってきた。
内容次第だったけど、特に問題などなかった。問題がないのであれば、
できるかぎり協力したかった。
彼女を連れていくように命令されたのは3日後だ。それまでは準備用の
猶予となっている。もちろん、妙な事をさせるなよと言われてはいる。
だけどこのくらいはいいだろう。
それがランドレの、ごく普通の人としての最後の願いなら。
喫茶「オラクレール」か。
どんなお店なんだろう。