それは彼女も同じ
殴られるの、何度目だろうか。
予見できるようになってきた気さえする。我ながら歪んでいると思う。
私は、ランドレ・バスロに徹底的に嫌われている。
当たり前だし、そうであるべきだ。むしろ、そうでないと心が折れる。
何故かなんて、考えるまでもない。
それはこの私に向けられる、唯一のまともな感情だからだ。
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あの日、エフトポ氏の天恵は彼女の伯父、ペイズド氏に移された。
もちろん、媒体に使われたゴラモロはそのまま息絶えた。その事実には
誰一人として関心を向けなかった。もちろん、この私も。
あんな奴死んでもいいなどという、手前勝手な感情は湧かなかった。
やっている事の悪辣さで言うなら、誰にもゴラモロを罵る資格はない。
私たちは全員、卑劣極まる存在だ。
そうしてランドレ・バスロは、最も大切な人の命を教団に掌握された。
オレグスト氏が天恵を看破していたからこそ、先手が打てたのだろう。
どこまでも周到かつ、卑劣だった。
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「あなたに任せるわね。」
ネイル・コールデンからの命令は、いつだって容赦がない。もう今さら
驚きはしないものの、さすがに少し無茶が過ぎるのではと思った。
私なんかに、「洗脳」の天恵を持つランドレを制御できるのかと。
だけどネイルもエフトポも、そんな私の懸念など意にも介さなかった。
さすがに見捨てられたかという思いが頭をよぎったけど、違っていた。
私が行くのは、最適解だったのだ。
確かに、洗脳の天恵は強力だ。でも実際の能力としては、特定の相手を
凝視する必要がある。大多数相手に同時に術をかけるのも無理らしい。
つまり、電話などを使って遠距離の相手を術にかける事も不可能だ。
そこまで判明しているなら、対策はおのずと見えてくる。
まず大前提として、彼女の前に姿を現す相手を本当に最低限に絞る。
直接会う機会を減らしておければ、それだけ洗脳のリスクは低くなる。
実際、面が割れているのは現時点で3人だけだろう。実に合理的だ。
そして当然の如く、この私が彼女とコンタクトを取る役に抜擢された。
理由は、ごく単純かつ明快である。と言うか、私以外に適任がいない。
まずはやはり共転移。この能力ならどこでも一瞬で行けるから、彼女に
こちらの居場所を知られずに済む。彼女が知っているのはエフトポ氏と
オレグスト氏、そしてこの私だけ。探したくても探せないだろうし、
仮に私を洗脳で支配したとしても、速攻でバレてしまう。洗脳を受けた
人間を見破る方法は既に確立されているからだ。
余計な手間も費用もかけず、希少な天恵の持ち主の意思を掌握する。
ネイル・コールデンの手法は、実に合理的で効果的だと思う。
私という人間を、とことんまで軽視しているという点を除けば。
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ランドレから恨まれてる事くらい、考えなくても分かる。と言うか、
会うたび憎しみをぶつけられるのは私自身だ。否応なく実感している。
当たり前だろう。
彼女が切望していたのは、伯父とのささやかで平穏な暮らしだけだ。
つらい目に遭ってきた彼女の願いとしては、過分でも何でもない。
それを姑息な手で壊した者たちが、なお協力を強要しているのである。
怒らない方がどうかしている。
だけど彼女は私に対して、殴る以外の事をしない。
どれほど憎もうとも、一線を超える事だけは絶対にしてこない。
もちろん、私に対する遠慮や気遣いなどではない。そんなものはない。
ただひたすら、伯父のペイズド氏を思ってこその我慢なのだろう。
「それがいいんじゃない。」
ネイルのそのひと言に、私は小さな殺意のようなものを覚えていた。
もしエフトポ氏が代わりに行けば、ランドレは怒りのままに彼を天恵で
惨殺したかも知れない。その結果が破滅だとしても、それはそれだ。
誰も何も得ない。でも少なくとも、彼女の復讐は完遂されるだろう。
私がランドレの窓口を命じられた、もうひとつの理由が多分これだ。
私が相手なら、堪えるだろうと。
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ネイルは、軽んじながらも私という人間を理解している。
私がランドレをどう思っているかを含めた上で、窓口にしている。
いちばん憎しみをぶつけにくい相手として、私は利用されている。
他の何より、私はネイルのこの策が許せなかった。吐き気さえ催した。
人の心を何だと思ってるんだ。
踏みにじられたランドレに人らしい情けを強いるなど、悪魔の思考だ。
だけど私は、何もしない。ただ単に言われた事をこなすだけ。
そんな私に、ネイル・コールデンを糾弾する資格などあるはずもない。
彼女を怖れているから?
ロナモロス教の全てを敵に回すのが怖いから?
もちろんそれもある。
だけど、違う。
私は望んでランドレに会いに行く。
何故かって?
彼女が唯一、私が向き合える普通の人間だからだ。
彼女だけが、人間らしいまっすぐな怒りと憎しみをぶつけてくれる。
私の目の前に、まだまともな人間がいるという事実を見せてくれる。
私の周りにいるのは、人の形をした化け物ばかりだ。
恵神ローナへの崇拝という建前だけ声高に掲げ、その裏では世界を蝕む
醜悪な軍団を作っている化け物。
母もその一人だ。
いや。
私も、既にその一人になっている。
だからこそ、私は彼女と向き合う。
彼女に殴られるたびに、肉親を思う感情が本物だと感じる事ができる。
身勝手だ。
誰よりも私は身勝手だ。
ネイル・コールデンの行為を毛嫌いしつつ、その策に甘えている。
自分は決して悪くないんだという、醜い言い訳を繰り返している。
被害者ヅラというのは、私のような卑怯者のためにある言葉だろう。
苦しんでいる彼女に、自分を罰する役割を押し付けている。
私こそ、真に人の形をした化け物と呼ぶべきかも知れない。
大ッ嫌いだ、この女。