大嫌いな女
ふと、唐突に外に気配を感じた。
唐突だった。
唐突であったが故に、それが誰かはすぐに判った。
足音ひとつも立てず、この場所まで一瞬で至る事が可能な存在。
あの女だ。
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「ちょっと詰所に行ってきます。」
「うん。気をつけてな。」
伯父の言葉に、他意はないだろう。だけど最後の「気をつけてな」には
含みのようなものを感じてしまう。それはあたしが、心に後ろめたさを
宿しているからに他ならない。
何としても隠さなければいけない、忌まわしい現実への後ろめたさを。
病室の外にいたのは、予想した通りの相手だった。
「あなたですか、モリエナさん。」
「ええ。」
あの日もいた女だ。
名前はモリエナ・パルミーゼ。偽名ではなさそうだった。
「共転移」という天恵の持ち主で、どこにでも一瞬で現れる。ただし、
知らない場所には行けないらしい。それも本当かどうか、定かでない。
あたしは、この女が嫌いだ。
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あの日。
何の前触れもなく襲ってきた男を、「洗脳」の天恵で無力化した。
伯母の関係者かもと思ったけれど、実際はそんな単純じゃなかった。
その男の存在自体が罠だったのだ。
触れた伯父さんは、病に倒れた。
すぐ後に現れた男が、それは自分の天恵の作用だと言い放った。
「おっと、私に洗脳の天恵を使えば伯父さんは助かりませんよ。」
怒りに燃えるあたしの心に、氷水をぶっかけるようなひと言だった。
その男の天恵は「病呪」。
特定の人間に対し、心臓の病を発症させる事ができる能力らしい。
虚実を交えているのだろう。男は、どこか嬉しそうにその説明をした。
対象は常に一人だけ。相手が死ねばリセットされるが、そうでない場合
直接的な接触で「移す」事が可能。今回がまさにそうだったらしい。
その名の通り「病の呪い」であり、一度かけられると解呪の術はない。
術者が死ねば呪いの対象者も死に、生きたままの状態で他人に移す事は
できない。移した時点でその人物はやっぱり死ぬ。病気の進行具合は、
術者の意思によってある程度まではコントロールできるらしい。
「私が健勝である限り、伯父さんの命は保証します。もちろんあなたが
我々に協力してくれればですが。」
「……!!」
「それとさっきも言及しましたが、私に対し洗脳の天恵を使った場合、
病呪の制御が崩れる危険性がある。その点はきっちりご留意ください。
悲劇を生まないためにね。」
制御を失う事による悲劇。つまり、伯父さんが死んでしまうって事か。
この男は、自分自身を天恵によって「盾」にしている。
嘘であろうと本当であろうと、手を出せない状況は同じだった。
入院した伯父さんは、やはり心臓の病を患っていた。言われた通りだ。
そんな前兆がなかったのは、あたし自身が一番分かっている。
あの男の言葉が本当なら。
伯父さんはもう、これ以上回復する見込みはない。ずっとベッドの上。
本人はそれほど嘆いていないけど、内心はもう計り知れない。
あとどのくらい生きられるのかは、本当にあの男の胸三寸。
共に生きる未来は、閉ざされた。
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「近日中に一度、ご足労を頂く事になります。どうぞよろしく。」
「どこへ?」
「それは言えませんし、言う必要もありません。直接お連れします。」
「ああ、そう。」
パァァン!!
あたしはモリエナの頬を力いっぱい引っぱたいた。甲高い音が響き、
廊下の向こうにいた男性がぎょっとした視線を向ける。しかし、本人に
動じる様子は見えなかった。
もう、慣れてしまったのだろうか。
それとも、もともとそういう嗜好の持ち主なのだろうか。
何度引っぱたいても、この女は怒りの片鱗さえも見せなかった。
そんなところも、大嫌いだ。
何もかも分かってると言いたげな、胸糞悪いその無表情が。
こいつもまた、あたしたちの未来を閉ざした一人なのは間違いない。
洗脳の力で操り、線路に飛び込ませたい…と思ったのは一度じゃない。
あたしは術者の男とこの女を、心の中で何百回となく惨殺している。
そうでもしないと、精神を保てないところまで来ていた。
だけどあたしは、この女に対してはどこまでも無力だ。
洗脳するのはたやすい。今この瞬間に心を支配するのも簡単な児戯だ。
だけどもしそれをすれば、この女は自分の天恵を使えなくなるだろう。
そうなれば、仲間のいる場所に戻る事ができない。戻らないとなれば、
当然あたしが何かしたと思われる。思われた時点で伯父さんは終わり。
あたしの天恵がどれだけ危険なのか把握しているからこそ、その判断に
容赦はないだろう。そしてこの女が戻らないとなれば、相手の居場所は
永遠に分からなくなる。
もはや、従う以外の選択肢がない。
「洗脳」という天恵の弱点を隅から隅まで把握されている。
どうしようもなかった。
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「気が済みましたか?」
「……」
殴られた頬を真っ赤にしながらも、モリエナは冷徹な態度を崩さない。
あたしを真っ向から見据えるその目が、何よりも大嫌いだった。
何なのよ、あなたは。
どうしてそんな顔をするのよ。
言いたい事があるなら言ってよ。
何度も殴ってるんだから、たまには殴り返してきなさいよ。
あたしは、この女が大嫌いだ。
伯父さんを陥れた一人だから、って理由だけじゃない。
むしろ、それ以上に嫌な点がある。
本心が分からないんだ。
冷徹で事務的な態度を貫く一方で、あたしを見下すような事をしない。
決して伯父さんに会わない一方で、常に伯父さんの容態を気にする。
利用価値云々ではなく、一人の人間として心配しているのが分かる。
何なのよ、この女は。
どこまで癇に障る事をするのよ。
私欲のために利用すると言うなら、もっと悪人らしくしろと言いたい。
分からないと、絶望もできない。
こんなのは嫌だ。
大ッ嫌いだ、この女。