病棟の再会
「あー緊張した…」
「だけど、初めてにしてはなかなかでしたよ。」
「そりゃどうも。」
「初めてにしては」って言い方に、そこはかとない先輩風を感じる。
まあ先輩なのは事実だし、やっぱり経験が違うなと思ったのは確かだ。
多少のドヤ顔は軽く流そう、うん。
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今日は、小児病棟ボランティアの日だった。ポーニーはそれっぽい事を
何度かしてるらしいけど、あたしは正真正銘、今日が初めての経験だ。
客商売を初めてそれなりに経ってはいるものの、やっぱりかなり勝手が
違った。どの子も喜んでくれていたのは確かだけど、あれこれ改善点が
あったのもまた事実だ。そのへんは大いに次回に活かそう。
「ありますよね、次回。」
「何で?」
「いやもう、当たり前のようにその話をされてますから…」
「いいでしょ別に。」
「もちろんです。」
意味ありげに笑うポーニー。彼女の言いたい事はハッキリと分かる。
一度やったら、クセになるでしょ?
来るまでに言われてたけど、確かにクセになるなあ。
ちょっと悔しいけど、認めよう。
この世の中には、知らない事なんていくらでもあるんだよね。
知ったつもりでいるのは、はっきり言って損だ。
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「さて、じゃあ帰ってトランさんにお土産話ですよね。」
「そうね。」
何やかんやでけっこう楽しかった。快く送り出してくれたトランには、
大いに感謝している。早く帰って、休んだ分を埋め合わせつつ話そう。
ひょっとしたら、トランも次からは興味を持ってくれるかも…
あれ?
「どうしました?」
立ち止まったあたしに、ポーニーが怪訝そうに向き直って質問する。
気付かず何歩か歩いていたせいで、ちょっと間抜けな感じだった。
一方のあたしは、病室の入口の脇に掛けられた名札を目にしていた。
この人、知ってる。
「ポーニー。」
「はい?」
「悪いけど、先に帰ってて。」
「え、急にどうしたんですか?」
「ちょっとお見舞いするから。」
そう言いつつ、あたしは名札を指で示した。
「ずっと前に来たお客さんなのよ。ま、そんなに長居しないからさ。」
「分かりました。そっちの荷物も、まとめて持って帰りましょうか?」
「いいよいいよ、こっちはあたしが持って帰るから。」
「それじゃあ、お先に。」
「気をつけてね。」
あれこれと詮索せずに、ポーニーはさっさと入口へ向かっていった。
こんな風に尊重してくれるあたり、本当にありがたい。
「さてと。」
廊下の突き当りを曲がる彼女の背を見送り、あたしは小さく息をつく。
向き直った病室の名札には、確かに知っている名前が書かれていた。
お客さんだったというのは本当だ。それも、かなり忘れがたい相手。
知らんぷりは、さすがにできない。
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「失礼します…」
入口は開いていたものの、その奥にカーテンがあった。大きさからして
個室なのは間違いない。開いているという事は、入ってもいいはずだ。
足音を忍ばせ、あたしはカーテンの端をそっとめくって覗き込んだ。
「あのう…」
「はい?」
遠慮がちの呼びかけに、聞き覚えのある声が返ってきた。やっぱりだ。
だけど、記憶の中の声よりちょっと掠れているように思えた。
「こんにちは。」
「…おや、あなたは確か…」
思ったより病室は明るかった。壁の大きな窓からは、日差しが注ぐ。
真白いベッドの上に、見覚えのある男性が白い服を着て座っていた。
やっぱりだ。
「お久し振りですペイズドさん。」
「これはこれは、ようこそ。」
ペイズド・ブル・バスロさん。
かつてうちの店に来て、爆弾騒ぎを引き起こした二人の内の一人だ。
まさかこんな場所で会うなんてね。
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「今日は、どうされました?」
「小児病棟のボランティアです。」
「へええ、お店の出張ですか。」
「まだ一回目ですけど、とりあえずやってみようという事になって…」
「素敵ですね。」
「いえいえ、まだ手探りです。」
ペイズドさんは、親しげにあたしと話してくれる。正直、ホッとした。
知り合った経緯が経緯だけに、変な感情を持たれる事もあり得るから。
だけどあの事件は、この人もあたしたちもある意味被害者だったのだ。
…言っちゃ何だけど、諸悪の根源はこの人の元奥さんである。だから、
今さら気まずくはなりたくない。
そういう意味でも、こうして普通に話せる今は本当にホッとする。
……………………………
いやいやちょっと待てあたし。
何しに来たかを見失うんじゃない。社会人だろうが。
「あのう、ペイズドさん。」
「はい?」
「…どうされたんですか?」
「正直、よく分からないんですよ。お恥ずかしながらね。」
「分からないって…」
個室で入院している以上、そこそこ大ごとになっているはずだろう。
何があったというのだろうか。
「心臓の病気らしいんですが、特に兆候があったわけでもないんです。
本当に突然の事でして。」
「心臓、ですか。」
それでそんなに顔色が白いのか。
「もうすぐ50です。まあつまり、もう若くないって事ですかね。」
「あんまり老け込まないで下さい。まだまだですよ?」
「そう言って頂けるとありがたい。ただ…」
そこで言葉を切り、ペイズドさんはフッと寂しそうに笑った。
「ランドレにすっかり心配をかけてしまって。不甲斐ない限りです。」
「…………………………」
やっぱり心配してるんだなあの子。
あんな事があったとは言え、いや、あんな事があったからこそかな。
信じられる家族の存在は、ランドレちゃんにとっても大切なはずだ。
それが突然心臓病なんて、あまりに重い現実だろう。
「ランドレちゃんは?」
「荷物を取りに帰っています。もう間もなく戻ってくるはずですが。」
「そうですか…」
それ以上、彼女に関して言える事がない。ここに本人がいないのなら、
なおさら無責任な事を言うべきではないだろう。
この人たちがこんな事になっているとは、まったく知らなかった。
だけど。
あたしは、本当に知らなかった。
ランドレちゃんが、あたしが考える以上に深刻な状況にあるって事を。
そこから抜け出せなくなっているという事を。
悪意が、二人を蝕んでいた。