シャドルチェの言葉
頑丈な格子扉を三連続で潜った先。
そこに、特別房の面会室がある。
「今さらあの女を訪ねてくるとは、物好きもいたもんですね。」
「ええ。自分でもそう思います。」
案内した看守の無礼な言葉に対し、面会者は特に腹を立てる気配もなく
苦笑いで応じた。
「まあ時事ネタというより、教義の参考にするためですからね。」
「なるほど。ロナモロス教は今でも健在という事ですか。」
「そうありたいですね。」
やはり皮肉を込める看守に、相手はあくまでにこやかに答える。
「では。」
「何かあったら、机の上のボタンを押して下さい。」
「ありがとう。」
ガシャン!
ひときわ頑丈な格子扉が閉じられ、面会者は手前の椅子に腰を下ろす。
すぐ目の前に簡素な机が据えられ、さらにその向こうは独房である。
格子窓からかすかな日が差し込む、その小さな薄暗い部屋の真ん中に。
同じような椅子に腰を下ろす、女の姿があった。
何か被っているのか、顔はほとんど見えない。だが息遣いは聞こえる。
しばしの沈黙ののち。
「どうも初めまして。」
椅子に深く腰掛けたまま、面会者はごくごく気さくな口調で言った。
「ロナモロス教の広報を担当する、エフトポ・マイヤールと申します。
以後、お見知り置きください。」
『ロナモロスの広報?』
明らかに何かを被っているらしい、くぐもった声が返ってきた。
『…それはそれは。わざわざこんな鬱陶しい場所にようこそ。』
「よろしく。シャドルチェ・ロク・バスロさん。」
『シャドルチェでいいですよ。』
答えた相手が少し体の角度を変え、頭が陽光に照らし出された。
面会者―エフトポは、気後れする事なく相手のその顔をまっすぐ見る。
顔ではない。
のぞき穴すら存在しない、鋼鉄製の仮面だ。のっぺりとした表面には、
口元だけ開けられるであろう構造がうかがえる。おそらく、被る本人の
視界はほとんど確保されていないのだろう。かなり残酷な構造だ。
しかしその残酷な被り物は、彼女の危険な天恵を封じるものである。
天恵の名は【洗脳】。
かつてシャドルチェ・ロク・バスロは、それを使って殺人を企てた。
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『ええっと…何だっけ』
「エフトポです。」
『失礼。それでエフトポさん。』
「はい。」
『今さら忘れられた犯罪者に、何のご用かしら?』
「現在の心境などを、お聞かせ頂きたいと思いまして。」
『心境?…今の?』
そこでシャドルチェは、ほんの少し語調を変えた。
『珍しい質問ね。』
「でしょうね。私が知りたいのは、あなたの求める未来です。」
『ハハッ、未来!』
くぐもった笑い声が響く。
『そんなもの、あたしにあるとでも思ってるの?』
「未来は自ら手繰り寄せるものではありませんか。」
『ご立派。さすがは宗教関係者。』
パチパチと手を叩いたシャドルチェは、そこで自嘲するように告げる。
『ここから出ない限り、あたしには未来なんか拓けない。』
「便宜は図りますが。」
『そんなこと言っていいの?』
「脱獄の算段を立てているわけではありませんから、大丈夫ですよ。」
『あっそう。』
明らかに気のない言葉を返しつつ、シャドルチェは被せられている面の
側頭部をコンコンと指で叩いた。
『出るとか出ない以前に、この仮面を外さない限りあたしは無力よ。』
「どうすれば外せますか?」
『やっぱりか。』
「は?」
『あんたが欲しいのは、このあたしの天恵だけなんでしょ?』
「…………………………」
しばしエフトポは押し黙る。対するシャドルチェもまた、しばし黙る。
沈黙は無言の肯定。
お互い、それを理解した上だった。
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『合法的にあたしを出すってのは、まあ不可能じゃないだろうけど。』
足を組んで座り直したシャドルチェが、そう言って肩をすくめる。
『その場合、多分あたしはこの目を潰されるでしょうね。』
「天恵封じですか?」
『そう。失明すればあたしの天恵は二度と使えなくなるからね。』
他人事めいた口調で、シャドルチェは己の実情をさらりと語った。
『ここに収監されている限り、この仮面を着けるってだけで済んでる。
でも野に放つなら完全に目を潰す。別に明言されたわけじゃないけど、
そのくらいの事はされるでしょ。』
「確信がおありなんですね。」
『反省も更生もしてないってのは、誰よりもあたしが知ってるもん。』
そう言って、シャドルチェは甲高い声で愉快そうに笑う。
そこに座っているのは、紛れもなく純粋な悪意の化身だった。
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『正直言って、あたしはどっちでもいい。別に強がりじゃなくてね。』
ひとしきり笑った後、シャドルチェはごくごく平坦な口調で述べた。
『こうしているのも失明するのも、大して変わりないんだし。』
「失礼ながら、そのようですね。」
『まあ外に出られるっていうなら、天恵を失う事になっても構わない。
どうせ前科者のレッテルを貼られる以上、何も出来ないだろうからね。
だけど…』
見えないはずの視線が、正面に座るエフトポを捉えた。
『そんな状態になったあたしには、利用価値なんてないでしょ?』
「回答は控えさせて頂きます。」
『ハハッ、まあそうよね。』
それもまた、ひとつの肯定の形だ。
エフトポからのそんな反応に対し、シャドルチェはむしろ大いに笑う。
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「そろそろ時間ですね。」
『楽しかったわよ、久々にね。』
面会時間は残り僅か。長居すると、その後の詮議が無駄に厳しくなる。
その事を理解しているエフトポは、迷わず椅子から腰を上げた。
「正直、残念でした。強引な方法でなければ…と思ったのですが。」
『それだけあたしは扱いが危険って事よ。ま、ゴメンって言っとく。』
「いえいえ、こちらこそ。」
交わす言葉に、他意などなかった。腹の探り合いなども特になかった。
同じ諦めを共有する同士、想定以上に打ち解けていたのかも知れない。
「それでは、ご自愛ください。」
『あ、最後に一つだけ。』
「何でしょうか?」
『もしもまだ諦め切れないのなら、あたしの姪を訪ねてみたらいい。』
「姪…?」
さすがのエフトポも、言葉の意味が一瞬わからなかった。
『洗脳を施した時、感覚で察した。もしかしたらこの子も…ってね。』
「それは」
『じゃあね、エフトポ・マイヤールさん!気が向いたら差し入れして。
待ってるからね。』
言い放ったシャドルチェが椅子から立ち上がり、独房の影に消える。
それ以上の会話は、もうなかった。
かすかな笑みを浮かべ、エフトポもまた踵を返して扉へと向かう。
薄暗い独房の面会は、そんな結末を迎えていた。