ウルスケスの怒り
「どうしたの、ウルスケス?」
何の混じり気もないその驚きの言葉が、あたしの心に波を立てた。
そうよね。あたしが何をやってるかなんて、理解できないよね。
何もかもが当たり前なあなたには。
だけどあたしは、この子を嫌いだと思った事は一度もない。
金持ちだけどそれを鼻にかける事は一度もなかったし、ルームメイトの
あたしにもいつも優しかった。その事実を投げ出すような真似だけは、
あたしの矜持が許さなかった。
「学校をやめるから、荷作りよ。」
「えっ!?」
驚きの声が裏返る。あたしはあえて視線は向けなかった。ただ黙々と、
私物をバッグに詰めていく。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!何でいきなりそんな事…!!」
「学費が払えないから退学処分よ。だから退寮するってだけの話。」
「な、何で…!?」
言いながら袖を掴んだ彼女の手を、力いっぱい振り払った。そんな事を
したくなかったのに、あたしの心は自分で思う以上に限界だった。
「ウルスケス…」
「頼むからほっといてよレンネ。」
ようやくそれだけ答えたあたしは、レンネに背を向けて部屋を出た。
何か言おうとしていたレンネに目を向けたりは、もうしなかった。
もう一度目を合わせれば、あたしは泣くか八つ当たりするかだろう。
どっちも嫌だったから、この部屋を出るという逃げを選んだ。
ただ、違う場所に行きたかった。
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あたしはウルスケス・ヘイリー。
ピアズリム学園の中等部に属する、ごく普通の奨学生だった。もちろん
成績を維持しないと奨学金対象から外されるから、勉強に励んでいた。
自分で言うのも何だけど、けっこう上位に食い込んでいたと思う。
家はそれほど遠くなかったけれど、通いは無理があるから寮に入った。
だけど寮に入った理由は、それだけではなかった。
とにかくあたしは、両親から徹底的に疎まれる存在だった。紛れもなく
実の両親なんだけど、信じられなくなるほど家に居場所がなかった。
どうしてそんなあたしを嫌うのか。悲しいけど訊かなくても分かった。
両親は、やっと簡単な字が読めるという程度の教育しか受けていない。
それでも労働者階級としては決して底辺じゃないし、貧しくもない。
自分の家を持てる程度には裕福で、あたしや兄を抱えて生活が困窮する
事もなかった。あたしも両親の事を惨めだなどとは、思った事もない。
だけど両親の中には、誰も知らないコンプレックスが存在していた。
ちゃんとした教育を受けていないという事実への、決して消えぬ思い。
だけどそれは悪じゃない。人間なら誰でも持ちうる感情なのは分かる。
誰もがそんな思いとの折り合いを、それぞれの形でつけて生きていく。
そんなものだろう。
だけどあたしは、両親や兄と比べて圧倒的に潜在的な学力が高かった。
初等学校の授業なんて物足りない。あっという間に卒業資格を得たし、
もっともっと高等な教育を受けたいとひたすら渇望していた。そして、
いずれは何かの研究職に就きたいと本気で考えていた。
あたしという人間は、そういう風に生まれついていた。理由など何にも
分からない。子供の頃からだから、天恵も全く関係なかったのだろう。
両親は、あたしが勉強する姿に何を思っていたのだろうか。
ピアズリム学園に通わせて欲しいと頼んだ時の顔は、歪んでいた。
学費を出してもらえないというのは実感していたから、奨学生の資格を
必死で勉強して取った。これなら、少なくとも両親が進学を反対する
理由は無くなるはずだったから。
そうしてあたしはピアズリム学園に入学を果たし、家も出て行った。
別に家出じゃないけど、少なくとも一緒に住まない方がいいというのは
誰の目にも明らかだった。あたしはここで、退路を断って勉強した。
立派な職に就いて、二度と両親には文句を言わせないつもりだった。
だけど、やっぱりあたしの目標など無意味だった。
両親と兄はあたしの奨学金を丸ごと着服し、何かに使ってしまった。
滞納の警告が来た時には、手遅れになっていた。
信じたあたしがバカだったんだ。
両親がどれだけあたしという存在を拒絶していたかを、今日に至るまで
本当に理解できていなかった。その結果がコレだ。
レンネに罪はない。
あたしが怒りを覚えている相手は、断じてあの子じゃない。
酷い言葉を吐きたくなかったから、咄嗟に部屋を後にした。あの子は、
何が何だか分からないだろう。
あたしが憎んでいるのは両親だ。
それだけは、間違いたくなかった。
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見慣れたはずのキャンパスが、全く知らない場所のように思えていた。
未来はどうなるか分からない。でも少なくとも、あたしが目指していた
ひとつの道は閉ざされたんだ。今は他の道なんて、全く見通せない。
…あたしの今日までって、いったい何だったんだ。
裏切られるために生きてきたのだとすれば、笑い話にもならない。
あんな両親を信じた自分自身にも、ほとほと愛想が尽きた。
違う自分になりたい。
今よりはマシな生き方を選べる身になって、今までの自分の歴史を…
どうしたいんだろうか?
あたしは…
「ウルスケス・ヘイリー君。」
呼びかけにハッと振り返った。
そこに立っていたのは…
「…こんにちはマッケナー先生。」
「やあ。どうした、顔色悪いぞ?」
「嫌な事があっただけです。途方もなく嫌な事が。」
あまりこの先生とは親しくない。
だけど今、話を聞いてくれるのなら誰でも良かった。
それが親しくない先生でも。
彼の後ろに控えている、名も知らぬ男女でも。
こんなあたしに、何か用ですか?