知る者知らぬ者
「ご存じの通り、ロナモロス衰退の理由は200年前の天啓です。」
「恵神ローナが本当に存在している事が明らかになり、当時の人たちが
彼女を怖れたんですよね。」
「そう。当時を知る者は、とにかく恐ろしかったと言っていました。」
「…そうですか。」
知る者って誰なんだという疑問は、あえて口には出さなかった。
語るネイル・コールデンは、普通に考えて三十代前半というところだ。
どう考えても200年前に起こった「デイ・オブ・ローナ」を本人が
体験しているはずがない。親の世代と考えても、まだ届かないだろう。
だが、今そこにツッコんでもあまり意味がない。
「恵神ローナの怒りは、嘘の天恵が横行している事に向けられていた。
誰しもがその事を悟ったそうです。今でも虚偽の天恵宣告は、神託師に
とって絶対の禁忌なのですよ。」
「そうそう。私もそれだけは怖くて手を出せなかったねえ。」
「…………………………」
しゃあしゃあと言い放つグリンツに対し、形容し難い苛立ちが起こる。
理由は判り切っている。他でもない俺の婆ちゃんが、その虚偽の宣告を
強制され人生を壊されたんだ。今になって蒸し返され、不快にならない
わけがないだろう。
「失礼とは思いますが。」
黙り込んだ俺を見透かしたように、ネイルが言った。
「あなたのお婆さんも神託師を生業とされ、嘘を強要されたとか。」
「ええ。まさに今、思い出していたところですよ。思い出したくもない
嫌な過去をね。」
「それは申し訳なかった。」
俺に頭を下げるグリンツの態度は、少なくとも冗談半分ではなかった。
今さら何だという思いもあり、俺はぐっと苛立ちを抑える。
「…まあ、別にいいですけど。」
「申し訳ないの重ね掛けになるが、お婆さんの事でひとつだけ質問に
答えてはもらえんか?」
「……?」
この上に何を訊くって言うんだ?
まあいい。何であれ、婆ちゃんの事など本当に色褪せた過去だから。
「ええ。何でしょうか?」
「その偽りの天恵宣告に対し、何か恵神ローナから警告のようなものは
もたらされたのか?」
「別に。婆ちゃんを迫害したのは、あくまでも人間たちでしたから。」
「それは僥倖。」
「は?」
僥倖って何だよ。
あらためて怒りが湧いた。
「てめえ、俺を怒らせたいのか?」
「過去に囚われるな。」
さっきとは明確に違う強い口調で、グリンツは俺に言い返してきた。
「君の祖母は既に亡くなっている。そして他の有象無象が何と思おうと
孫である君がちゃんと認めている。ならいちいち怒る必要などない。」
「………………………………」
「我らとて、君の祖母を貶める気はない。ただ、貴重な話を聞けるのは
事実なのよ。過去ではなく、今後の方針を立てる意味でもな。」
「今後の方針?」
「ええ、そうです。」
答えたのはネイルだった。
「200年の歳月を経て、ローナの怒りも遠ざかった…と思われます。
ならばこの年を契機に、天恵宣告の定義を少しばかり変えようとね。」
「何だと?」
怒りが一瞬で霧散し、代わりに背に冷や汗が流れるのを感じた。
「…本気で言ってんのかそれ?」
「ええ。」
悪びれる様子もないネイルの声に、見た目とは異なる狂気が混じる。
「天恵がこれほど衰退した時代に、ローナも嘆いている事でしょう。
ならば虚偽宣告を禁忌としたまま、現代風のアレンジを加えてもいいと
考えているのです。そしてそれにはオレグストさん、あなたの協力が
絶対に必要なのですよ。」
「…………………マジかよ。」
寒気が収まると同時に、形容し難い衝動のようなものが湧き上がる。
やっぱりこいつらイカれてる。俺が想像した以上にぶっ飛んでいる。
その一方で、恵神ローナをきちんと怖れてもいるって事か。
何と言うか、好奇心が刺激される。どこまで許されるのかが気になる。
婆ちゃんの無念も含めて、行き着くところまで行ってみたいと思える。
「面白いな。」
ポツリと呟いたその言葉は、間違いなく俺の本音だった。
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「では、今日のところはこれで。」
そう言ったネイルが手を叩くと同時に、奥にある扉がスッと開かれる。
そこから入って来たのは、明らかに俺より年下の女性だった。
「…彼女は?」
「私の長女です。…ご挨拶を。」
グリンツの言葉に頷いたその子は、俺に向き直って深々と頭を下げる。
「モリエナ・パルミーゼです。以後よろしくお見知り置きを。」
「…どうも。オレグストです。」
どんな立ち位置なんだ、この子は。どういう接し方をすればいいんだ?
「あなたには、この街に家を用意しております。そこに送らせます。」
「え、その…モリエナさんが?」
「ええ。」
「それ、どういう意味です?」
「すぐ判りますよ。じゃあ頼む。」
「はい。」
短く答えたモリエナは、黙って俺に向き合うと両手をそっと掴んだ。
「何を…」
シュン!!
その瞬間。
俺は、知らない家の中にいた。
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「…え?」
何が起こったんだ?
「あちらをご覧ください。」
いつの間にか俺の両手を離していたモリエナが、窓の外を指差した。
慌てて歩み寄って見てみると、高台にさっきまでいた廃教会が見える。
つまり、あそこから一瞬でここまで「転移」で移動したって事なのか。
「私の天恵「共転移」です。」
「共転移…?」
確かに鑑定眼を発動させると、その天恵がはっきり見えた。…しかし、
聞いた事のない代物だ。
「通常の転移と異なり、自分以外の誰か一人と共に移動ができます。」
「な、なるほど…」
それで「共転移」なのか。なかなか驚かされたが、便利な能力だな。
秘密裏に移動するには、この上なく重宝されるだろう。
「今日はこのままお休み下さい。」
「ああ、分かった。」
「明日、あらためて詳しい相談などする予定…との事ですので。」
「了解した。色々とありがとう。」
「では、私はこれにて。」
もう一度頭を深々と下げるモリエナの表情は、どこか虚ろだった。
いつからこの役割を与えられているのか、訊いてみたい気もした。が、
さすがにそれは失礼が過ぎる。まだ知り合って数分だというのに。
「ああ。…まあ、気をつけてな。」
「はい。」
そのまま転移で消えるかと思われた彼女は、しばし黙って立っていた。
俺を見る顔に、ほんの少しだけ感情の色が宿ったように思えた。
数秒ののち。
「…まだ何か?」
「オレグストさん。」
「はい?」
「あなた確か、オトノの街の祭りでエフトポさんに会われましたね?」
「ああ。店じまいしているところに訪ねて来たんだが…それが何か。」
「その日の午後、他にどういう人がお客として訪れましたか?」
「どういう人って…色々だけど。」
「若い男女は?」
「ううん…いなかったと思うが。」
何を訊きたいんだ、この子は。
「…って言うか、何でそんな事を?その若い男女って、何です?」
「【魔王】と神託師です。」
「は?」
「心当たり、ありませんか。」
「あれば憶えてますよそんなの。」
「ですよね。」
そこまで語ったモリエナの表情が、もとの虚ろなものに戻った。
「すみません、変な事を訊いて。」
「いや別にいいけど。」
「では失礼します。」
シュン!
前触れも何もなく、モリエナの姿は一瞬で掻き消えた。
静寂の中、俺はため息をつく。
何だったんだ、最後の問答は。
意味が分からん。
まあいいか。
大きなベッドに身を投げ出し、俺は今日の事をあれこれと思い返す。
背筋の凍る話もあったが、なかなか面白い展開になってきたな。
とりあえず、明日からだ。