慈愛の教主ミクエ
「こちらでお待ちください。」
そう言って通されたのは、ごくごく普通の応接室だった。
調度はそれなりに古式ゆかしいが、これといった文化的な主張もない。
何だか、ちょっと本格的な公共施設みたいな雰囲気だった。
正直、もっとアングラな建物とかを想像していた。最低でも地下とか。
犯罪めいた事を口にしていた以上、そのくらいは当然だろうなと。
拍子抜けとまでは行かないものの、色んな意味で肩の力が少し抜けた。
まあここまで来ている以上、今さら細かい事を気に病むのは愚の骨頂。
乗りかかった船なんだから、むしろ違和感も含めて愉しむべきだろう。
少なくとも、よほどの事がない限り「今」殺される心配などない。
図太くなったもんだな、俺も。
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さほど待ち時間は長くなかった。
「お待たせしました。」
その声は、俺をここまで連れて来たエフトポのものではなかった。
落ち着いた女だ。もちろんそれは、エフトポの娘の声とも違っていた。
いや、あいつはあからさまにヤバい雰囲気に満ち満ちていたが。
そんな事を考えている間に、奥側の大きな扉が開かれた。
「教主ミクエ・コールデン様です。…あ、どうぞそのままで。」
「教主」という言葉にあわてて立ち上がろうとした俺を、さっきの声の
主である女が止めた。口調そのものは柔らかいが、抗しがたい威圧感が
込められている。恐らく「動くな」という意味もあるんだろうな。
下手な事はしないに限る。
俺は言われた通り、目だけそちらに向けて相手の姿を確認した。
部屋に入って来たのは、二人の女と俺を案内してきたマイヤール親子。
もっと仰々しくゾロゾロ来るのかと思ったが、たったの四人だった。
…こんなもんなのか。
俺はむしろ、ほんの少し失望した。期待外れとか言うほど、期待しては
いなかったけれど。
俺の表情から何か察したのか、先頭に立っていた少女が小さく笑った。
「がっかりされましたか?」
「いえ…」
やっぱり読まれていたか。我ながらちょっと露骨過ぎたかも知れない。
「規模の大きさを誇るような身ではありません。どうぞご容赦を。」
「とんでもない。失礼しました。」
「教主のミクエ・コールデンです。以後、お見知り置きを。」
正面に歩み寄った少女―ミクエは、そう言って俺にお辞儀をした。
さすがに立ち上がった俺も、彼女に深々と頭を下げる。
「オレグスト・ヘイネマンです。」
「お話は聞いております。ようこそロナモロス教団へ。」
顔を上げた瞬間、目が合った。
予想していたのとはまったく違う、まだあどけなさの残る顔立ちだ。
彼女が、今のロナモロスの頂点か。
色んな意味で、信じがたい話だな。
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オトノの街の祭りに参加したのは、単に初めての場所だったからだ。
さすがに、あちこちの街でもう顔を憶えられてきている。法に抵触する
事はしていないが、やはり神託師を騙るという行為に拒否感を示す奴は
どこにでもいる。後ろ指を指されて嫌な思いをするのは、もう定番だ。
すっかり天恵も廃れたこの時代に、何でそこだけ道理を振りかざす?
俺はただ、自分の天恵を知りたいという奴らに教えてやってるだけだ。
嘘も言ってない。法外な金額を請求した事もない。何をそんな責める。
俺を犯罪者だとか背教者だとか形容するなら、そういった言葉が丸ごと
恵神ローナに向く事を忘れるなよ。正論ぶってるつもりなんだろうが、
俺のこの能力は間違いなく天恵だ。つまりローナからの授かりものだ。
それを利用して金儲けする行為は、誰に否定されるいわれもない。
錆びついた教義を振りかざす奴は、いつだって空っぽだ。もうとっくに
時代遅れになっているって事実を、意地でも認めない老いぼれども。
やさぐれた心持ちでいると、やはり客足も遠のく。まあ仕方ないわな。
大した稼ぎもないまま祭りは終わりを迎え、撤収の準備をしていた時。
奴らはやって来た。
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ロナモロス教だと?
それも、新生だと?
今さら何ふざけてんだよと思った。このご時世にその名を名乗るとは、
物好きか頭がおかしいかだろう。
だが、奴ら親子の放つ空気は確かにどこか突き抜けていた。ただ単に、
カビの生えた宗教にしがみ付く人間ではない、それだけは確かだった。
と言うかこいつら、明らかに今日に至るまでに後ろ暗い事をしている。
娘の方は、誰かを殺した事を明らかに仄めかしている。嘘じゃないのは
見て判る。ヤバい天恵を持っている事からも、もはや疑いようがない。
何と言うか、愉快な気分になった。
こんな壊れた奴らが来たって事に、久し振りに胸が躍る感覚だった。
そうだよな。
天恵なんてとっくに廃れた腐りかけの時代に、こんな奴がいてもいい。
見方を変えれば俺だって似たようなもんだ。後ろ指を指されるのなら、
いっそそういう生き方を選んだっていいだろう。それこそ俺の勝手だ。
誘われるまま、俺はここに来た。
そしてロナモロスの現教主の前に、こうして座っている。
…何だろうなあ。
どこまでチグハグなんだこの集団。
ヤバいのかと思ったら、頂点に君臨してるのはこんな若い少女なのか。
後ろに控えるマイヤール親子との、ギャップがえらい事になっている。
しかも何だ。
【治癒】だと?
これまた見た目通りの天恵だな。
どこをどう切り取っても、不自然としか言いようのない存在だ。
この少女、いったい何なんだ?
ああ。
面白いじゃないか、本当に。