抜き打ちの来訪者
その日は、厚い雲が出ていた。
「今日はもう、客足が伸びる気配はないな。」
「そうね。」
ネミルとそんな言葉を交わす。なおポーニーは、またどこか地方都市に
見聞を広めに行っている。書籍さえあればどこにでも行けるってのは、
本当に便利だ。正直うらやましい。
さっき二人連れの客が帰ったので、残ってるのは例の日雇い少女のみ。
相も変わらず、ぼんやりと窓越しの曇天に目を向けている。
「もう閉めても…」
などという言葉は途中で呑み込む。いくらもうすぐ閉店時間とは言え、
曲がりなりにもまだ客がいるのだ。客と呼んでいいか分からないけど。
とにかく、もうちょっと気持ちを…
チリリン。
おっと、客だ。
「いらっしゃ…」
「あっ。」
愛想よく向き直った俺とネミルは、ほぼ同時に絶句して固まった。
入ってきたお客は、そんな俺たちに軽く会釈をする。
「こんにちは。お久し振りです。」
「えと…はい。」
「お、お久し振りです。」
声がうわずるのを自覚した。しかし正直、あまりにも不意打ち過ぎる。
まさかこの人が俺の店に来るとは…
「ええと…カチモさんでしたね。」
「ええ。カチモ・シルツです。」
そう言いつつ、お客―カチモさんはにっこりと笑った。
「お元気そうで何よりです。」
「はい…」
思い過ごしかも知れないけど。
やっぱり、笑顔が怖かった。
カチモ・シルツさん。
ネミルの神託師登録の際、手続きをお願いした特殊登録課の人物だ。
何しに来たんだろうか、一体?
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彼女は別に、怖い人とかではない。むしろ親切にあれこれ教えてくれた
恩人と言ってもいい人物だ。しかしその分、俺たちは彼女に少しばかり
後ろめたさを感じている。…いや、少しではないくらい感じている。
と言うのも登録の際、俺たちは結局指輪の力について説明しなかった。
機会がなかったのも事実だけれど、「まあいいか」と軽く流したのだ。
もしも天恵を見る事が出来るようになったら、また来てください…とも
言われていた。もちろんそれは義務ではなく、ちゃんと申請をすれば
年金がもらえるよというアドバイスだったのである。
しかし結果的に、俺たちはこの人のアドバイスをまるっと黙殺した。
あの時点でネミルはもう天恵を見る力を得ていたし、説明が面倒だし、
年金欲しいとも思わなかったから。こっちはこっちで勝手に神託師を
やっていけばいい。そんな風に軽く考え、今日に至ったのである。
なので、まずい。
公務で来たのかプライベートで来たのかは分からないけど、どっちでも
ここの内情を知られるのは限りなくマズい気がする。何とかごまかし…
「…あら、天恵を見ますって看板をちゃんと掲げてるんですね。」
「うっ」
即行で決定的なものを見られた。
すっかり忘れてたけど、きっちりと店内に看板を設置してたんだった…
「見れるようになってたんですか、ネミルさん。」
「うえッ…は、はい。」
「いつから?」
「えと…その…」
「言えないんですか?」
「すみません。登録前からです。」
「あらま、そうだったの。」
「…………………………」
目をまん丸に開いたカチモさんは、しかし怒る素振りは見せなかった。
「だけど、そのあたりの説明だけは聞かせてもらえるかしら。」
「あっ、はい。」
「それとトランさん。」
「は、何でしょう。」
「コーヒーとサンドイッチと、あと食後に甘いものを。」
「え?」
「お昼を食べ損ねまして。」
そう言って、カチモさんは大げさに肩をすくめて笑った。
「何しろ遠いんですもの、ここ。」
「かしこまりました。」
「あ、どうぞお好きな席に!」
あたふたとネミルが案内する。
よかった。
怒ってないみたいで。
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「なるほどね、その指輪が…」
少し多めのサンドイッチをぺろりと平らげたカチモさんは、俺たちの
説明を聞いてうんうんと頷いた。
「ネラン石の純粋結晶というのは、前に噂だけ聞いた事がありますね。
まさか本物が存在していて、しかも実際に活用している神託師がいて…
それがネミルさんだったとは。」
「黙っていてすみません。何しろ、あの頃は何もかも手探りでして…」
「別にいいですよ。気持ちは分かりますし、そこまで厳密に神託師の
状況を把握しろ…という決まり事もありませんからね。」
「そう言って頂けると助かります。」
ようやく俺もホッとした。
カチモさんの表情と口調を見るに、まあ安心していいのだろう。
そもそもぼったくりとかインチキといった事には手を染めていない。
俺たちは「俺たちなりの」方法で、天恵と向き合っているんだから。
と言うわけで、あらためて…
「…今日はまた、どうしてわざわざこんな田舎街に?」
「まあ、ちょっとした用事があって来たけど…半分は済みました。」
「え?」
つまり、ここに来た事で目的の半分を達成したって事なのか。
「あなたたちの無事を確認できた。それで半分って事です。」
「無事…?」
ネミルが眉をひそめる。
「どういう意味ですか?」
「後の半分について、今からお話しします。…その前にお手洗いに。」
「あっ、はい。こちらです。」
何だ。
ホッとしたと思ったら、それ以上に気になるワードが飛び出してきた。
無事っていったい、何なんだ?
ますます雲は厚くなってきていた。