拓かれる未来それぞれ
「それは…」
何をどう言えばいいか分からない。
やっぱり、俺たちは本質的な意味で想像が足りていなかったんだろう。
少し考えれば思い当たったであろう想定が、見事にすっぽ抜けていた。
ルトガー爺ちゃんが、かつて神託師として天恵を授けた人物。
正直、思いもよらなかった。
「試すような事をして申し訳ない。謝罪します。」
「い、いえ。」
「それは別に…」
俺もネミルもしどろもどろだった。何と言うか、頭の中が渋滞してる。
今のやり取りの中に、大事な要素があまりにも多過ぎたからだ。
爺ちゃんは生前、名前だけではなく実際に神託師の仕事をしていた。
目の前にいる人は、その爺ちゃんが天恵を宣告した人だった。
そしてやはり、指輪は「他人の天恵を見る」事が出来る代物だった。
ここに至り、トーリヌスさんがその答え合わせをしてくれた。つまり、
俺の「魔王」も本物って事になる。
あらためて思う。
何てこった。
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「今さらですが、私は建築の会社を経営しています。」
何とか俺たち二人が落ち着いたのを確かめ、トーリヌスさんが語る。
「自分で言うのも何ですが、かなり先進的だと思っています。おそらく
天恵を得た事で、異界の知に至ったのでしょう。これもルトガーさんの
おかげなんですよ。」
「へえー…それは…」
何と言えばいいか分からなかった。ってか、俺たちの見識を超えてる。
今までピンと来ていなかったけど、やっぱり天恵は人生を変えるのか。
ネミルも複雑そうな表情を浮かべていた。まあ、そりゃそうだろうな。
己の今後に直結する話なんだから。
「お代わり頂けますか?」
「あっ、はいただいま!」
カップを手にしたトーリヌスさんの言葉に、俺はあわてて立ち上がる。
隣テーブルのノダさんとまとめて、手早く紅茶のお代わりを淹れた。
おいおい、ボーッとし過ぎだぞ俺。
「ところでトラン君。」
「はい?」
「お話によると、この家を喫茶店に改装するつもりなんですよね?」
「ええ、まあ少しずつになるだろうと思ってますけど。」
「よければ、私の会社でお手伝いをさせてもらえませんか?」
…は?
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「ど、どどういう意味ですか?」
どもりながら質問したのは、俺ではなくネミルだった。
「大恩あるルトガーさんに対して、私はほとんど恩返しできなかった。
しかし今、その遺志を継ぐ方の前にいるのはひとつの縁だと思います。
なので、今の私にできる事をさせてもらいたい…と考えた次第です。」
「それって、つまり…」
「改築やリフォームなどを、当方で請け負うという話ですよ。」
「ええっ!?」
声が裏返っていた。
「で、でもあたしたち、今はお金が全然なくて…!」
「ルトガーさんへの恩返しも兼ねての申し出です。もちろん費用は、
この私が持ちます。具体的なご要望さえ伺えば、後はお任せ頂いて…」
「ちょっと待って下さい。」
そこで初めて、俺は口を挟んだ。
「そこまでしてもらう理由はない。結構です。」
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短いけど、沈黙は鋭かった。
ノダさんは、姿勢を正したまま目をこちらに向けていた。
俺は、トーリヌスさんの顔をじっと見据えて続ける。
「あなたと爺ちゃんの関係は確かに分かります。恩があるというのも。
…もしかしたら、あなたからすればわずかな出費なのかも知れません。
でも、俺たちにとってはこれからを決める大きな決断でもあるんです。
なおさら、恵んでもらうような事はできません。足りていないとしても
自分で作り上げたいんですよ。」
「………………」
ネミルは、口を挟まなかった。その思いが嬉しかった。
俺が目指すものを、こいつも確かに目指してくれている。そんな確信が
俺の言葉に力を与えていた。
そして。
「…トラン君。」
「何でしょうか。」
「なかなか気骨のある人間ですね。ルトガーさんが見込んだだけある。
いや、失礼しました。」
「…………………」
怒っている口調ではない。むしろ、その顔はそれまでより嬉しそうだ。
俺には、己の言った事に対する悔いなどは一切なかった。
「ですが、「恵む」という表現には少々物申したいですね。」
「…違うんですか?」
「ええ、まったく違いますよ。」
諭すような口調ながら、トーリヌスさんの声は力強かった。
「確かに恩返しという思いはある。それは否定しません。だけどね。」
「………」
「私とて実業家です。提供するだけというのがいかに愚かしい行為か、
そのくらいは理解しています。何も生み出さない人たちの虚しさも。」
「じゃあ、どうして俺たちに?」
「それはもう、今さら言うまでもないでしょう!」
そこでトーリヌスさんは、手を広げ大きな笑みを浮かべた。
「ネミルさんは名前だけではなく、きちんと神託師の力を持っている。
そしてトラン君、君の淹れてくれた紅茶は掛け値なしに美味しかった。
ルトガー・ステイニーさんの遺志を継ぐ方々が、未来を見たいと思うに
十分なものを既に持ってるんです。なら私は、かつてステイニーさんが
くれた可能性を活かして支えたい。これは間違いなく私の望みです。」
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俺は、しばらく考えていた。
トーリヌスさんの言葉の意味を。
自分がどうすべきかを。
決めるのは俺だ。ネミルじゃない。いや、ネミルは俺に託すだろう。
俺を見つめる顔がそう言っている。
だけど、それほど迷いはなかった。
都合が良過ぎる話だ、とも言える。それでいいのかという思いも残る。
でも、無駄な意地は張るだけ損だ。それより俺は前に進みたい。
自分を支えてくれる人への、最大の恩返し。それは立派になる事だ。
俺たちを信じる人の、期待を超えて何かを成し遂げる。
トーリヌスさんは、それを俺たちに望んでいる。
だったら、答えはひとつだった。
「…よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
パァン!!
いきなり響いた手拍子に、俺たちはビクッと肩をすくめた。見れば、
手を叩いたらしいノダさんが真っ赤になっていた。
「あっ、…しっ、失礼しました!!ついテンション上がって…!!」
そこでネミルが吹き出した。
俺も笑いが堪えらえなかった。
もちろんトーリヌスさんも同じ。
ノダさんはうろたえていた。
主を喪ったこの家の庭に、笑い声が重なって響く。
きっと爺ちゃんも笑ってるだろう。
いつの間にか、夕方が近かった。