自給自足の常連客
学生の日常は慌ただしい。
アグレッシブな性格の子であれば、その傾向は殊更に強い。
越してきてしばらくは毎日のように店に来ていたロナンが、週に一度の
来店ペースに落ち着いた。どうやら何かしらの同好会に入ったらしく、
大いに学生としての日々を満喫しているらしい。…勉強はどうなんだ?
何はともあれ、悪い傾向じゃない。同年代の友だちとの交流は財産だ。
それに正直…
「ちょっと気疲れするんだよね。」
「まあな。」
「ですよね。」
実感のこもるネミルの言葉に、俺もポーニーも実感を込めて頷く。
話題に上る機会は多くないものの、やはり彼女は兄のシュリオさんの
詳しい近況を知らない。とりあえず採用までこぎつけた…という程度の
認識しか持ってないらしい。たぶん母親のセルバスさんも同じだろう。
実際のシュリオさんは、女王陛下の直属という重職だ。あの事件の事を
思い返せば、荒事を任される機会もかなり多いと想像できる。
家族に言えないというのは当たり前だろうし、言えば問題が起こる。
こんな状況で毎日顔を合わせると、俺たちの誰かがポロッと余計な事を
言ってしまいそうで怖い。大丈夫だと言い切れる自信もない。
だからこそ、この状況は逆にかなりありがたい。
週に一度くらいがちょうどいい。
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ここしばらく、平穏な日々が続いている。天恵の宣告の依頼もないし、
それでネミルが苛立つ気配もない。さすがに色々厄介事があったから、
本人もそれでいいと思うんだろう。やっぱり平穏が一番だ。
そんな平穏な店内に、最近になってひとつの異分子が加わっていた。
窓際のいちばん奥の席に、ポツンと座っている少女である。
見た目はネミルより若い。おそらくポーニーと同じくらいなんだろう。
黒いソバージュヘアに大きな眼鏡。外国人かと思ったらそうでもない。
流暢に話せるし、訛りも特にない。服装もいたって地味だ。
年齢はおそらく15歳未満。実は、ネミルが指輪を使い確認している。
天恵は見えなかったらしい。つまりまだ15歳になってないって事だ。
ネクロスという可能性もあるけど、さすがにあまり考えられない。
初めてここに来た時は、迷子か家出かと思った。しかしそんな素振りは
見せなかったし、騒ぐ様子もない。淡々と紅茶とお菓子を注文した。
「お金が無いんです。」
ずいぶん長時間粘るなと思ったら、案の定そんな事を言い出した。
まあ仕方ない。今回限りという事で帰らせようとしたところ、先んじて
提案をしてきた。
「なので、食べた分手伝いをさせて下さい。皿洗いとかお掃除とか。」
「いや…それは…」
何と言うか、食い逃げよりも対処に困る申し出だ。一度でも了承すると
ズルズル続きそうな気がするから。…そもそもこれ、何のかんの理由を
つけて居座る魂胆じゃないのか?
「済んだら帰りますから。」
「…そうか。ならいいか。」
俺もネミルもポーニーも、どういうわけかそこで納得してしまった。
巧みな交渉術…ってほどのもんでもなかったのに、話の流れでまんまと
言質を取られてしまった。
食べた分の皿洗いをしたその子は、礼を言って帰っていった。
そして、翌日も昼前から来た。
やっぱり現金を持たず飲み食いし、その分を働いて払うと言い出した。
忙しかったのとポーニーがいない日だった事もあって、また了承した。
結局、彼女は閉店時間まで窓際の席に居座っていた。
二日連続で事例を作ったとなると、もはや断る理由が捻り出せない。
そのままずぶずぶと毎日、飲み食い代金を日雇い労働で徴収するという
サイクルを繰り返す事になった。
何やってんだろうなあ、俺たち。
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相変わらず少女は名乗りもしない。自分の事も特に語りたがらない。
しかし俺たちはもう、そのあたりを詮索する気も起きなかった。
見た感じ、服も汚れていない。顔や体に傷ができる…なんて事もない。
店を出てからどこへ帰るのかは全く分からないけど、少なくとも野宿を
しているとは考えにくい。おそらく帰る家はちゃんとあるんだろう。
もはや、来ないと逆に不安になる。
それに彼女は、喫茶店の客としては非常にわきまえた態度を取る。
無闇に声を上げる事はなく、店内をウロウロと歩き回ったりもしない。
よく退屈しないなと感心するほど、黙って窓の外を見ている事が多い。
たまに手元をじっと凝視している。正直、何かの修行かとさえ思う。
そして店が混んで来た時は、黙って出て行く配慮も見せる。もちろん、
後で戻ってきてちゃんと食べた分の仕事はこなしていく。
いつの間にか、俺たちは彼女という存在にすっかり慣れていた。
名前も知らない少女を、店の一部として認識していた。
まあいいじゃないか。
そんな風に思えるくらいには、店の経営に慣れてきたって事だろう。
そんな日々が、ひと月ほど続いた。
これからも続くだろうと思っていたその日。
意外な客がやって来た。
その来店が、平穏の終わりだった。