睨み据えるもの
正直、自分でも信じられない。
あれほど頭を悩ませていた管理棟の中で、まさか待ち伏せをしたとは。
しかし、間取りが分かってしまえば決して不可能ではなかったのだ。
通路を塞いだ何枚ものドアの鍵は、ホージー・ポーニーがあらかじめ
全て開けてくれていた。その点さえクリアされていれば、さほど複雑な
間取りでもない。そして賊も一箇所に集まっていた。
「注意はあたしが引きつけます。」
どうするのかと思ったら、どこからともなく大量の風船を取り出した。
どこかの子供が本に描き足したものらしい。その原理は理解し難いが、
使えるものはとことん使う、という考えは大いに理解できた。
そして、何気に風船は最適解だ。
本当の銃声だと、音量が大き過ぎてシャレにならない。この管理棟内の
人間だけに聞こえる破裂音ならば、効果的に注意を引く事が出来る。
今にして思えば、侮っていた。
児童小説のキャラクターとは言え、彼女は僕たち二人に出せない発想で
サポートしてくれていた。
よし。
事前に得た情報はほぼ正しかった。
唯一違っていたのは、賊が4人ではなく5人でまとまっていた点だ。
つまり、残るはあと一人。
そいつは、二階にいる。
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視線を交わし、僕が先行する。
リマスは接近戦特化だから、先鋒を任せるというわけにはいかない。
僕の天恵「騎士」は、イメージした武器を数秒だけ具現化する能力だ。
飛び道具系は創れないものの、その応用範囲は広い。武器を携行せずに
戦えるという点で、こういう局面においては存分に威力を発揮できる。
制圧に時間はかけられない。
最優先の目的がトーリヌス氏の救出である以上、とにかく先手必勝だ。
情報によれば、階段を上ってすぐの部屋に監禁されている。内側から
施錠するタイプのドアではあるが、ポーニーは自由に入れるらしい。
だからその点は心配いらない。
とにかく最後の一人を見つけ倒す。それさえ出来れば、後はどうにでも
ごまかせる。
タッ!!
階段を駆け上がったと同時に、再び盾を展開。いくら何でも下の戦いは
聞こえていただろうから、待ち伏せを警戒しての判断だった。
しかし相手は、廊下に出した椅子に座ったままの姿勢で待っていた。
明らかに、僕たちが上って来るのを待っていた。
後詰めのリマスが隣に来た時点で、相手の男はゆっくり立ち上がる。
パッと見た限り、銃器を持っている気配はなかった。
「マルニフィートの飼い犬だな。」
落ち着いた口調の言葉に、リマスが不快そうな表情を浮かべる。
状況をかなり正確に把握している。その上でこの余裕なのか。
「…スワンソン、か?」
「その通り。」
予感めいた問いに、男―スワンソンはあっさり肯定の言葉を返した。
つまりはこの男がリーダーであり、天恵持ちという事になる。
あと数歩で、長槍の射程内に入る。仮にかわされたとしても、リマスが
接近する時間くらい作れるはずだ。力を使われる前に仕留めて…
「浅はかだな。」
こちらの考えを見透かしたように、スワンソンは笑みを浮かべた。
…何だと?
「俺の視界に入った時点で、お前ら二人は終わってるんだよ。」
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ギイィン!!
かすかな目の発光を見た瞬間、体が溶接されたように「硬く」なった。
目も動かせないが、おそらくは隣のリマスも同じだろう。
油断した。
数の利を過信してしまった。
おそらく、スワンソンの持つ天恵は「睨む蛇」だ。
視界内、それも自分の目を見ている相手の体を、強制的に硬直させる。
有効範囲は広くないものの、人数を問わない強力な制圧能力。
知識として知っている天恵なのに、不覚にも想像が及んでいなかった。
こんな大それた拉致を行う犯人が、相応の能力を持っているのは当然の
事だったはずなのに。
「…!!」
声が出せない。
いや、実は呼吸も出来ていない。
このままの硬直が続けば、二人とも数分で窒息死してしまう。
迂闊だった。
「残り一人と思って気を抜いたか。高い勉強代だったな。」
僕たちを睨んだまま、スワンソンは酷薄な笑みを浮かべる。
どうにかして、あの眼光を逸らす事ができれば…!
ポーニーはどこにいるのかと考えた瞬間、苦い思いが胸に走る。
自分の不首尾を棚に上げて、彼女を頼ろうとしているのか僕は。
無理はするなと言ったはずだろう。
ならどうにかして…!
その瞬間。
ボトッ。
粘り気を感じる音と共に、天井から水色の塊が落ちてきた。狙い違わず
スワンソンの肩の上に。
「あ?」
それは、大きな一つの目玉を持った小鬼だった。半分溶けたような体を
蠢かせながら、その単眼を見開いてじいっとスワンソンを睨んでいた。
チラと肩に視線を向けたその顔に、やがて形容しがたい表情が浮かぶ。
当たり前だろう。
いきなりこんな醜悪な怪物が、己の肩に前触れもなく落ちてきたら。
すべき事はひとつ。
恐怖の悲鳴を上げるだけだ。
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「ヒイィィィィィィ!!」
ドガッ!!
かすれた悲鳴と共に、硬直していた体の制御が戻った。
溜めに溜めていた力を一気に解放。一歩で間合いに踏み込み、長槍で
スワンソンの肩をぶち抜く。小鬼はそのまま、ぼとりと下に落ちた。
「らあぁッ!」
長槍を引き抜くと同時に、リマスがスワンソンの体を一回転させる。
背中から叩きつけられた衝撃の強さは、ビリビリと震える床の振動で
嫌でも分かった。
「…制圧完了。」
口に出して初めて、息が切れている事実に気付く。
やはり気を張っていたらしい。
トランさん。
ネミルさん。
ノダさん。
マルニフィート陛下。
どうにか、約束は果たせそうです。