出来る事をやるだけ
「残念ですが、お連れしての脱出は無理です。」
ポーニーと名乗るの少女の言葉に、さほど失望は抱かなかった。
いきなり現れたのは驚いたものの、能力に限界があるのは想像できる。
文庫本を無理やりドアの下から押し込んでいたのも、その一端だろう。
ドアから出るしかないとするなら、誰にも見られずというのは無理だ。
どうやって見張りを遠ざけたのかは分からないが、倒していないのなら
すぐに戻ってくるだろう。彼女自身は脱出できるとしても、さすがに…
「時間がありません。見張りの男はもうすぐ戻って来ます。」
「なら、早く逃げて下さい。さすがにそれはできるんですよね?」
「あたしだけなら簡単です。でも、それじゃ来た意味がない。」
小声ながら、少女の口調には確固とした意志が宿っていた。
「お話しした通り、女王陛下直属の騎士が突入の機会を窺っています。
しかし、お二人にはあたしみたいな移動能力がない。だから入口から
入るしかないんです。」
「では、どうすれば?」
「このままの態勢で、両手を開いて下さい。」
「……?」
拘束は解かれていない。つまり今、両手は後ろ手に縛られたままだ。
どうにか開いた手に、何かがグッと押し付けられた。
「しっかり握って。」
「…これは?」
「さっきの本です。あたしはこれを伝い、離れた場所に移動できます。
向こうにいる誰かと話す事も。」
言いながら、少女はこちらの両手を握る。
「…この本の向こうに、ノダさんがいらっしゃいます。」
「ノダが?」
「はい。」
握る手に、力と思惟がこもった。
「あたしは、サポートに戻ります。きっとノダさんに声は届きます。」
「…………………………」
「ノダさんを、そしてあたしたちを信じて懸けて下さい。」
「分かりました。」
ドアの向こうに影が落ちる。見張りの男が戻って来たらしかった。
覗かれたら、全て露見してしまう。彼女の存在は…
「お気を強く持って。」
シュン!!
かすかな音と共に、手を握る感触が消える。そして、気配そのものも。
しかし、幻ではない。その証拠に、手にはあの本の感触が確かにある。
正面の窓から決して見えないよう、それでいてしっかり握らされた本。
信じるか信じないか。そんな選択はそもそも、頭に浮かばなかった。
疑って何になる。
ノダがいるなら。
そう。
懸けるべきだろう。
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シュン!
「戻りました!」
「ポーニー!」
「どうだった!?」
現出したポーニーに、ネミルと俺が矢継ぎ早に質問を投げた。
「トーリヌスさんを発見しました。が、連れ出すのは無理です。」
言いながら、ポーニーは傍らに立つノダさんに向き直る。
「ノダさん。」
「えっ、はい?」
「これを。」
そう言ってポーニーがテーブルから取り上げたのは、ネミルが購入した
あの豪華な装丁の本だった。戸惑うノダさんの手にそれを押し付ける。
「トーリヌスさんも今、本を持っています。呼びかけて。」
「…あたしが?」
「そうです。」
言いながら、ポーニーはノダさんの手を自分の手で包み込んだ。
「大丈夫、きっと届きますから。」
「はい。」
ノダさんの困惑は一瞬で霧散した。その顔に、憶えのある決意と覚悟が
浮かぶのが判った。
…頼むぜ、ノダさん!
一瞬の静寂ののち。
「…トーリヌス様。」
呼びかけの後の沈黙は、永遠なのかと思えるほど永かった。
そんな数秒ののち。
「…はいっ!」
俺たちには聞こえない。
だけど、ノダさんの表情と声がその全てを教えてくれた。
ああ、聞こえたんだなと。
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ノダか?
はいっ!
驚いたな。
本当によく聞こえる。
あたしもです。
よし。
じゃあ、頼むよ。
承知しました。
お任せ下さい。
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片手を離したノダさんは、そのまま席に着いた。そして手帳を開くと、
ペンを手に取って深呼吸する。
「…何ですか?」
「静かに。」
問うシュリオさんを制し、俺たちは息を詰める。
やがて。
ガリガリガリガリガリッ!!
すごい勢いで、ノダさんが文字列を帳面に速記し始めた。その顔から、
感情らしきものが全て抜け落ちる。集中すると、人ってこうなるのか。
これには、見覚えがある。
ずいぶん前に。
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…何だ?
何をブツブツ言ってやがるんだ。
さあな。
もしや、いよいよ気が触れたか?
顔も上げやがらねえ。
おいおい、いいのかそれ?
別にかまう事はねえよ。
命さえあれば文句はないはずだ。
むしろ、正気でいられる方が都合が悪いって連中もいる。
そういう立場なんだからよ。
そうか。
まあ、気の毒な話だな。
悪く思うなよ。
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鬼気迫る速記は、帳面5ページにも及んだ。
そしてそれは、唐突に終わった。
「…ノダさん?」
「定規とコンパス貸して!」
「あっ、はい!」
怒鳴り声に、リマスさんがあわててその二つを手に取って渡した。
「これからどうし」
「どいて!!」
「痛てっ!!」
ポーニーの手を乱暴に振りほどき、ノダさんはトランを突き飛ばして
開きっぱなしになっていた全体図に駆け寄る。その双眸に、迷いの色は
いっさい浮かんでいなかった。
シャッ!!
躊躇いなく定規をあてがい、空白になっていた管理棟部に線を入れる。
手帳に書き記した数字を睨みつつ、目にもとまらぬ速さで線を加える。
「おお…」
「これって…」
リマスさんもシュリオさんも、ただ目を丸くするだけだった。
だけどあたしとトランには、何だかその鬼気迫る姿が誇らしく見えた。
そう。
ノダさん。
あなたには、自己犠牲の天恵なんか必要ないんです。
あなたに何が出来るのか、あたしもトランも知っています。誰よりも、
トーリヌスさんが知ってますよね。
そして、トーリヌスさんにどんな事ができるのかも。
誰よりも深く、ノダさんがご存じのはずですよね。
あの人があたしのお爺ちゃんから、どんな天恵を宣告されたのか。
あの人が自分の天恵を、どんな形で見事に花開かせたのか。
あたしもトランも知っています。
あの人は、ただ黙って捕まるだけの人なんかじゃない。
「建築」の天恵を持つトーリヌス・サンドワさんなんだから。
シャシャシャシャッ!!
あっという間に描き上げたその上の数ヶ所に、荒々しい丸が足される。
そこで初めて、ノダさんはふうッと大きな息をついた。
「…………………………」
あたし含め、皆等しく息を呑んだ。
そこに描き上げられたのは、管理棟の完璧な間取り図面だった。
「賊はこの場所にいます。ここと、ここが一人ずつ、残りは集団で。」
最後に描いた丸を順番に指し示したノダさんは、最後の一つを叩いた。
「…そしてここに、トーリヌス様が拘束されています。」
「了解しました。」
「っしゃああぁぁぁッ!!」
パアン!
両手を打ち鳴らして、リマスさんが吠え声を上げた。
「やっと出番かよオォォ!!」
「落ち着けリマス。」
「落ち着いてるっての!!」
ホントかなあ。
でも、気持ちはすっごく分かる。
待ってたんだろうなあ。
この瞬間を。
誰よりも待ってたんだろうなあ。
「後は任せろ。」
そう言い放ったリマスさんの瞳が、ギラリと光を放つ。
よおし!
「ポーニー。」
「お任せ下さい。」
こっちもニヤリと笑う。
やっとだ。
そして。
いよいよだ。