行き着いた先で
「ああ。金は全てカシノロス銀行の指定口座に振り込め。」
聞こえてくる男の声は、低かった。
「確認?別に必要ないさ。…ああ。そもそも俺たちは、金にはそれほど
固執しないんでな。まあ、そちらの誠意の表れってだけの話だ。そう、
女王陛下の親心と言うべきかな?」
最後の言葉に、周りの人間の下卑た笑い声が重なるのが判った。
1…2…少なくとも3人。
つまり詰所に、最低4人が集まって電話交渉をしている事になる。
管理棟への入口は、さっき透過したあの事務所からのドアのみ。
ようやく、少し状況が見えてきた。
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思った以上に、管理棟の造り自体は他と変わりなかった。ただ確かに、
通路にはドアが多い。どのドアにも大きな窓があるものの、そのどれも
頑丈な鉄格子に挟まれている。ほぼ刑務所と同じ構造だ。少なくとも、
重要な機密が収められているという話に嘘はないだろう。
さいわい、特に迷路のような構造になっているわけではなかった。
さすがに迷いそうにはなるものの、建物としてはさほど複雑じゃない。
ドアにしても、聞いていた通り鍵は内側からすぐ開けられる。なので、
主要な通路のドアの施錠は最初から開けておく。
「…でもなあ…」
思わずボヤキが漏れた。
自分は専門家ではない。さすがに、建物の構造を言葉で説明するなんて
高度な事は、間違っても出来ない。もう、この点は割り切るしかない。
なら今の自分、ホージー・ポーニーに出来る事とは一体何なのか。
それは深く考えるまでもない。
トーリヌス・サンドワさんの居場所を突き止め、接触する。
それだけ。
それさえ果たせれば、勝機はきっと訪れる。
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先に見せてもらった全体図の空白を思い出し、今いる場所に重ねる。
空白なのは仕方ない。今、思い返すべきはその「広さ」の感覚だけだ。
さすがに、それほど広くなかった。当たり前だろう。管理棟そのものが
国家レベルの機密扱いである以上、広ければそれだけリスクも増す。
角を3回曲がった時点で、およその広さは分かった。部屋がある事も
含め、これ以上の空間はないはず。そして階段。構造的には2階まで
存在するらしい。上ったところに…
「!!」
階段を上ってすぐのところに、敵の一人がいた。危うく身を潜める。
だけど、間違いなく姿を見られた。いや全身までは見られてないけど、
少なくとも「影が動いた」程度には視界に入ったはずだ。
「…誰かいるのか?」
やっぱり見られていた。怪訝そうな言葉と共に、足音が聞こえてくる。
まずい、降りてくる気だ。このまま下まで来られたら、隠れていても
疑念は消えないだろう。
だったら…
「!?」
階段を降りる足音が停まった。
その代わりに、階下の廊下を小さな足音と影が素早く走り抜けた。
そう、まるで猫のように。
「…猫なんかいたのか。どこに?」
あらためてそう呟き、男性は階段を降り切ってその影を足早に追う。
途中の階段の影に置かれた本には、どうにか気付かれずに済んだ。
シュン!
外に出て本を手に取り、再び階段を上る。今の男は、ここに来館者用の
椅子を置いて座っていたらしい。
…どうしてこんな、何もない場所に座っていたのか?
考えるまでもなかった。
すぐ目の前に、備品管理室のドアがあった。他と比べると、ドアの窓は
格段に小さい。辛うじて中の様子が見えるってだけの代物だ。
その小さな窓の奥に、一人の男性の姿があった。
椅子に座らされた姿勢で、こちらに向いてうなだれている。おそらく、
後ろ手に縛られているんだろう。
来る前に見せてもらった写真とは、ずいぶん雰囲気が違うけれど。
それでも間違いない。
トーリヌス・サンドワさんだ。
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「…?」
何か、小さな物音が聞こえた。
足元からか?
ふと視線を上げてみれば、目の前のドアの下の隙間に何かが見えた。
わずかな隙間に強引に押し込まれるそれは、文庫本らしかった。
…何だ?
誰か来たのか?
そう言えば、外の見張りをしていた男が、どこかへ行く気配があった。
あの男が戻って来たのだろうか?
だが、こんな事をする理由は何だ。
この部屋は、内側から施錠できる。今も鍵がかけられている状態だ。
外からはマスターキーを使わないと開けられない。監禁場所としては、
いささか不条理でもある部屋だ。
とは言え、もし誰かが助けに来たとしても、鍵がないと開けられない。
拘束されている以上、こちらが鍵を開ける事もままならない。
…助け、だって?
そんなものが来るのだろうか?
来るとしても、どうやって…
考えが堂々巡りする間に、ドアの下の文庫本はようやく半分が入った。
しかしおそらく、これ以上はいくら押し込んでも無理だろう。なら…
『ああっ、もう!』
え?
シュン!!
疑問に思う間もなかった。
それが女性の声だと、頭で認識する間さえもなかった。
前触れもなく目の前に現れたのは、赤毛を三つ編みにした少女だった。
「ふぬあッ!」
こちらには目もくれず、その少女は半分まで押し込まれていた文庫本を
力任せに引っ張った。
ズルッ!
かすかな音と共に、文庫本は部屋に引っ張り込まれる。さすがに表紙に
折り目の筋がついたのが見えた。
何だ。
何がどうなってるんだ?
「トーリヌスさん、ですよね?」
「…あ、ああ。」
向き直った少女に問われ、辛うじてそう答える。久し振りに声を出し、
切れた唇の痛みを思い出した。
「救出の先鋒として参りました。」
「先鋒…?」
やけに時代がかった表現だ。何とも少女の雰囲気に不似合いと言うか…
そもそも彼女、何者だろうか。
「ところで、君は?」
「アルバイトです。」
「…何の?」
「喫茶オラクレールの、です。」
「え?」
その名は知っている。
知らないはずがない。
「…つまりトラン君とネミルさんのお店の?」
「そうです。」
即答した少女が、ニッと大きな笑みを顔いっぱいに浮かべた。
無垢とも不敵ともとれる、不思議な笑みを。