得るべき情報
お前、名前は?
言ってみろ。
ギリニ。
よしギリニ。
じゃあ、ココアって言ってみろ。
ココア。
よおし。
それじゃあ、今からそこに女の子が現れる。だが声を立てるなよ。
分かったらココアって言え。
ココア。
それと、俺とその子からの質問には正直に答えろ。いいな?分かったら
もう一回ココアって言え。
ココア。
よっしゃ。
いいぜポーニー。
赤いレバーだけ元の位置に戻して、事務所に入れ。
了解です!
ちょっと待ってて下さい。
気をつけろよ。
あ、それとトランさん。
何だ?
何でココアなんですか?
…いや何となく。仕事柄かな。
やっぱり変だったか?
いえいえ。
いいと思います、とっても。
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シュン!
ドア1枚透過した地点に現出する。そして鍵を開け、ドアの隙間から
本を回収。なお、1冊だけ柱の影に隠しておいた。これなら少なくとも
中と外の行き来が可能になる。
分かっていたけど、スキンヘッドの男性―ギリニ氏は無反応だった。
受話器を持ったままの姿勢で、ただボケッと突っ立っている。もちろん
視界に入っているであろうあたしを目で追う事さえしない。
完全に「魔王」の術中だ。
『入ったか、ポーニー?』
「はい。」
手にした本からではなく、ギリニ氏が持つ受話器からトランさんの声が
聞こえてきた。
『俺と君の質問に答えるよう命じてある。出来る限り情報を絞り出せ。
多分、唯一の機会だからな。』
「分かりました。」
助かる。
非常に助かる。
さすがは店長。
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「じゃあ答えて。」
ギリニ氏の傍らに立ち、質問する。
「拉致犯は、全部で何人いるの?」
「俺を含めて7人。」
「男女比は?」
「女はいない。」
「じゃあ、天恵持ちはいる?」
「リーダーだけが宣告を受けているらしいが、どういう能力なのかは
知らない。見た事もない。ただし、戦闘に特化した力と聞いている。」
『いるのか…』
受話器からそう聞こえてきたのは、恐らくシュリオさんの呟きだ。
こういった犯罪者が天恵持ちだったという例は、さほど珍しくはない。
しかし、戦闘特化型というのは厄介な話だろう。それを頼りに犯罪者に
なったのだとすれば、練度が高いという想定も十分に成り立つ。
懸念が大きくなるのは、無理もない事なのかも知れない。
しかし、今はそんな事で立ち止まるわけにはいかない。それも事実だ。
「リーダーの名は?」
「スワンソンと名乗っていた。が、おそらく偽名だろう。」
『おそらくって…親しくないのか、お前とそのスワンソンは?』
「俺は今回の件の補充要員だ。」
『誰から紹介されたんだ?』
「口入屋だ。もちろんこんなヤバい事だから、依頼主なんか知らない。
首尾よく事を果たせたら、国外逃亡の手配までしてくれる条件だ。」
『「…………………………」』
トランさんもあたしも、しばしの間黙り込んでしまった。
まさかこんな事態を想定していた…という事は考えにくい。それでも、
足がつかないようにという周到さは充分に感じられる。どう考えても、
浅い意図の誘拐じゃない。おそらく政治的な思惑なんかもあるだろう。
正直、あたしとしても手に余る。
『まあ、それはいいさ。』
あたしの考えを察してか、受話器の向こうのトランさんがそう言った。
『どっちみち、俺たちなんかが深く知っても意味のない話だ。ってか、
正直言ってトーリヌスさんを助ける以外の事に興味はないからな。』
『そうそう。』
「ですよね。」
トランさんとネミルさんの言葉に、あたしはあらためて同意を示す。
そうだ。
結局、あたしはそのためだけにこの場所にいるんだから。
無理に事件の全体像を覗こうなどと考える必要はない。
ただ、やるべき事をやるだけだ。
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突破すべき障害でしかなかったこの男性が、思わぬ情報源になった。
雇われだから知識には限界がある。それでも、多少なりとも敵の情報は
入手できた。
ただ、やはりこの男性からこの先の管理棟の情報はほぼ得られない。
入った事自体はあるらしいものの、ずっとこの事務所に詰めているのが
彼の受け持ちだ。早々とここに来たと思えば、中の間取りなどほとんど
憶える機会がなかったんだろう。
結局のところ、やる事自体は大して変わらないって事だ。
「じゃあ、あたしは行きますね。」
『分かった。』
今度は受話器ではなく、本の方からトランさんの声が聞こえてきた。
『この男は、このまま事務所の中に留めておくのが無難だろう。』
「でしょうね。」
『もう訊いておく事はないよな?』
「何なら、後で教えて下さい。この本があれば聞けますから。」
『了解した。気をつけて行けよ。』
「はい。じゃあ」
ジリリリリリン!
いきなり電話が鳴り出し、あたしは思わず跳び上がった。何事!?
『どうした!?』
「…どうやら、代表番号にかかって来たみたいですね。」
『交渉の時間って事か。』
受話器の向こうでリマスさんがそう呟く。なるほどそっちも進行中か。
少なくとも今この瞬間、トーリヌスさんは無事って事なんだろう。
ほどなく呼び出しベルは鳴り止み、代わりに表示のランプが点灯する。
「…管理棟内の詰所で、この電話を取ったみたいですね。」
『つまり最低でも一人、その詰所にいるって事になるな。』
「じゃあ、急ぎます。」
『頼んだぜ。』
「了解!」
そこで会話を終え、あたしはパッと踵を返した。
二枚目のドアを抜けた先は、もはや未知のエリアと言うべき管理棟だ。
だけどここまで来ればもう、怖れるだけ損だろう。得るべき情報は全て
得たのだから、後は行くのみ!
「待ってて下さいよ。」
誰にともなく呟いたひと言が、自分の中の勇気を奮い起こしてくれた。
さあ、いざ敵陣へ。